神崎聡(こうざきさとし)夢からはじまる
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初節句〜家族でつくる、次の世代へのかたち〜

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5月5日・6日、初節句のお祝いを家族・親族そろって行った。久しぶりの大集合となり、家の中は一気ににぎやかに。主役の孫も終始ご機嫌で、あやかすと声を出して笑うようになっていた。こちらがあやしているつもりが、いつの間にか大人の方が癒やされている。そんな穏やかな時間でした。
初節句を迎えるにあたり、2月中旬辺りから計画し、準備の段階から家族総出の一大イベントとなった。鯉のぼりや幟を立てるための“基礎づくり”。
ポールをしっかりと立てるために、約1メートルの穴を掘るところからスタート。普段なかなか使わないスコップを手に、汗をかきながらの作業だったが、「ここはもう少し深く」「もう少し真っ直ぐに」と声を掛け合いながら、子どもたちと力を合わせて取り組み。正直なところ、途中で「これはやはり業者さんにお願いした方がよかったかな」と頭をよぎる場面もあったが、最後までやりきったときの達成感はひとしおだった。

そうして迎えた5月5日。青空の下、しっかりと立ち上がったポールに掲げられた鯉のぼりと幟が、力強く風を受けて泳ぐ姿を、みんなにお披露できた時には、何とも言えない感慨があった。
庭では子どもたちが元気に走り回り、その様子を大人たちが見守る。
家の中では笑い声が絶えない。今は亡き両親も、またご先祖様も、あの世からさぞ嬉しそうに見ているんだと思う。
こうした何気ない風景こそが、何よりの財産であり、守っていくべき日本の姿だと感じる。

そして今回、あらためて強く感じたのは、「次の世代へバトンが渡されている」という実感!
鯉のぼりを立てるために掘った1メートルの穴は、単なる作業ではなく、家族の思いを形にし、次の世代へつないでいく“土台”だったのかもしれない。
少子高齢化が進み、地域のつながりが希薄になりつつある今だからこそ、こうした家族や地域の営みの大切さを、改めて感じている。

にぎやかな時間でしっかりと英気を養った2日間だった。
この「つなぐ」という感覚を大切に、これからの地域づくり、そして県政の現場でもしっかり取り組んでいきたいと思う。

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2026.05.07



鯉のぼり設置作業の記録(備忘録)

今年1月、長男夫妻に第一子が誕生しました。
長女夫妻にはすでに二人の孫がいますので、私にとっては三人目の孫になりますが、長男側のいわゆる「内孫」としては初めての孫になります。
5月には初節句を迎えることから、庭に鯉のぼりを立てることになり、家族総出で設置作業を行いました。せっかくの機会ですので、来年以降の参考にもなるよう、作業の様子を備忘録として残しておきます。

【まずは基礎づくり ― 1mの穴掘り】
最初の作業は、ポールを固定するための基礎づくりです。
庭の一角に、深さおよそ1メートルの穴を掘りました。
これが思っていた以上の重労働。
スコップで掘り進めていくと、固い土や石も多く、なかなか簡単には進みません。家族で交代しながらの作業となり、みんなで「これはなかなか大変だ」と言いながら、汗をかきつつ掘り進めました。

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【塩ビパイプを設置しコンクリートで固定】
穴が掘れたら、ポールを差し込むための塩ビパイプを設置します。
水平器を使いながら、垂直を確認して位置を調整し、周囲をコンクリートで固めて基礎を作りました。
この部分がしっかりしていないとポールが傾いたり不安定になったりするため、慎重に作業を進めました。コンクリートが固まるのを待ち、いよいよポールを立てる準備です。

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【10メートルのポールを立てる】
今回使用したポールは、あらかじめ10メートルまで伸ばした状態で立ち上げるタイプのものです。
長く重さもあるため、立ち上げ作業は慎重に行いました。
ポールの先端に矢車を取り付け、吹き流しと鯉のぼりを準備しながら、家族で声を掛け合って作業を進めます。

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【そして、いよいよポールを起こして設置】
青空の下に鯉のぼりが上がると、思わず家族みんなで「おー!」と歓声が上がりました。
苦労して設置した分、その姿はなかなか感慨深いものがありました。

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【まだ続く初節句の準備】
今回の作業で、鯉のぼりポールの設置はひとまず目処が立ちました。
しかし、初節句の準備はまだ続きます。
次は名前入りの武者幟を立てる予定です。
来週また家族が集まり、続きを作業することになっています。

ps:家族で準備する時間
こうした作業をしていると、昔は地域でもあちこちで鯉のぼりが泳いでいたことを思い出します。最近は住宅事情などもあり、以前ほど見かけなくなりましたが、こうして家族で準備をする時間そのものが、とても大切なものだと感じました。
孫が元気に成長してくれることを願いながら、今年の春はしばらく「鯉のぼり作業」が続きそうです。



健やかな成長を願って〜初参りの一日

令和8年2月16日、長男夫妻の第一子が誕生してからおよそ1か月を迎え、「お宮参り(初参り)」のため神社へ参拝してまいりました。
お宮参りは、赤ちゃんが無事に生まれてきてくれたことへの感謝を神様にお伝えするとともに、これからの健やかな成長を祈願する、日本の大切な伝統行事です。家族にとっては、命の尊さを改めて実感する、かけがえのない節目でもあります。
当日は雨の心配もなく、気温も穏やかで、冬のさなかとは思えないほどのやわらかな陽気に包まれました。澄んだ空気の中、静かに手を合わせながら、無事に出産を終えたことへの感謝と、「どうかこれからも元気に育ってほしい」という願いを心から祈りました。
腕の中で眠る小さな命を見つめながら、親として、そして祖父としての新たな責任と喜びを感じています。子どもは家族の宝であると同時に、地域の宝、そして未来そのものです。安心して子どもを産み育てられる社会を築いていくことの大切さを、あらためて胸に刻む一日となりました。
これからも家族を大切にしながら、次の世代が希望を持って成長できる社会の実現に向けて、日々の活動に取り組んでまいります。

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2026.2.16



令和8年1月9日 長男の第一子誕生!

【初春の吉報。健やかな成長を願って】
♪初春や 俳句はいくの(819) 日に生まれ♪

令和8年1月9日、長男・颯行夫婦に待望の赤ちゃんが誕生した。
ちょうどその時、豊前川崎商工会議所の新年祝賀会が開催されており、会の最中に妻から吉報のメールが届いた。母子ともに元気で健やかとのこと。本当に安堵し、心からうれしく思った。

新年祝賀会では万が一に備え、ノンアルコールで車で出席していたが、妻に状況を確認したうえで、車は会場の駐車場に置き、翌日に取りに行くことに決めた。そして、久しぶりに美味しいビールを味わうことができた。
ちょうど万歳三唱の音頭を任されていたこともあり、「うれしいことは皆さんと分かち合った方がよい」と勝手に思い、孫が誕生したことをご報告させていただいた。

翌日の1月10日、さっそく孫とご対面。
とても小さな体ながら、手も足も指もすべてがそろい、顔立ちも整っている。その姿を見た瞬間、じわりと嬉しさが込み上げてきた。

長男が生まれた日のことを思い出し、「あの長男が、今は父親になったのだな」と、妻と二人で感無量の思いに包まれた。
自分の子どもが生まれた時とは、またまったく違う種類の喜びである。

それにしても、長女の時の孫の誕生に続き、
世の中に、こんなにも幸せな出来事があるのだと、あらためて実感している。

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2026.1.10



長男颯行の挙式・結婚披露宴(令和7年2月15日)

家族が一人増えました。
昨日(令和7年2月15日)、長男(28歳)挙式・結婚披露宴が、ホテルオークラ福岡 - Hotel Okura Fukuokaで、滞りなくおこなうことができました。
新郎・新婦が大変お世話になった皆さんに祝福されての結婚式で、本人たちはもとより、両家の家族・親戚も一同大変嬉しく、ご参集頂きました皆さんに心から感謝を申し上げます。
二人は添田中学校時代の同級生で、高校は田川高等学校と嘉穂高等学校と別々の高校に通いましたが、そこから交際が始まったとの事でした。(父親はまったく知らず)
新婦は大学院に進学し助産師・保健師の資格を取りJCHO九州病院で助産師として、新郎の長男は同志社大学で猛勉強し、財務省に入りました。きっと長男は彼女に刺激を受けたんだと思いました。
長女の結婚披露宴(令和元年5月)の時とは、まったく違う感覚と緊張感でした。結婚は本人たちにとって、人生のとても大きな節目ですが、親にとってもまた一つの大きな役割りを果たす節目の儀式です。
御出席頂いた皆さんは、二人のことをよく知っている方々ばかりで、皆さんのお蔭で本当に素晴らしい結婚式となりました。まだまだ未熟な二人でありますので、今後ともどうぞご指導、ご鞭撻、またご厚情を賜りますように、よろしくお願い申し上げます。

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2025.2.15



令和6年(2024年)大晦日、家族そろって。

令和6年12月31日、今年も家族そろって誉行の誕生日のお祝いができた。22才、学生生活も残すところ3ヵ月となり、いよいよ4月からは就職し、新社会人としての一歩を踏み出すことになる。これで4人の子どもたちがすべて巣立ち、長かった子育ても終わりを迎える。短いようで長く、長いようで長く・・・本当にみんなよく育ってくれたと妻と一緒に感無量というところ。
昨日も家族でその話題となり、長男が「日本国民には大きな義務が三つあるが、誉ちゃん、わかるか?」と投げかけていた。教育者を目指す者としては、直ぐに答えるところがよかった。憲法は国民の義務として、三つ定義し、第一は、子どもに対して普通教育を受けさせる義務。第二は、勤労の義務。第三は、納税の義務。国民の三大義務である「教育」「勤労」「納税」ができるようになるまでは、長い道のりが必要だった。

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2024.12.31



iphone 緊急SOSの設定

急病や事件、事故など、万が一の時に役立つのが、iPhoneに標準装備されている「緊急通報機能」です。緊急通報機能は、「緊急SOS」と呼ばれており、緊急電話をかけて助けを求めたり、緊急連絡先に通知できたり、万が一の時に緊急連絡先にすぐ知らせたり、大音量のアラームを鳴らしたりできるようです。また、キャンセル操作をしない限り、指定の緊急連絡先にテキストメッセージで通知を送信。さらにiPhoneの現在位置やSOSモードに入ってからの経過時間なども送信されます。現在地が変わったらその都度、最新情報が届くようになっています。「ケガで動けない」「現在地がわからない」という時も、iPhoneが自動で現在位置を送信してくれるので、いざという時も安心だということです。
激しい自動車衝突事故にあった場合にiPhone 14以降(すべてのモデル)がそれを検出し、緊急通報サービスに連絡すると共に、緊急連絡先に通知することができるようです。衝突事故検出機能は、内蔵の加速度センサーとジャイロセンサーを使用して、重大な衝突事故を自動で検出します。衝突が検出されると、画面にSOS発信オプションが表示され、一定時間内に反応がない場合、自動的に緊急サービスに通報されるとともに、緯度と経度による座標とおおよその捜索半径を伝えます。

今回、万が一のことが起こってしまい、妻が設定していた緊急SOSが作動し、家族全員のスマホにメッセージが一斉に着信し、それを見た瞬間に頭が真っ白になり血の気が引きました。直ぐに携帯に連絡しましたが繋がらず、とにかく位置情報の場所まで駆けつけましたが、車から煙が出て消防車も出動する事故だったようです。妻が救急車で運ばれた後に到着しましたが、それから2時間近く現場で、警察や保険会社、レッカー車の手配に、やはり直ぐに駆けつけてよかったです。 子どもたちの方は病院に向かってくれて助かりました。
幸いに命に関わるような事態にならず、不幸中の幸いでした。安全運転をしていても避けられない事故もあります。モノレールの高架下の信号機付きの交差点で、青信号を3車線道路の中央を走って、右折した対向車が止まらず凄い勢いで突っ込んできたと言う事でした。
3月に退職して、小回りのきく軽自動車に乗り換えたばかりでしたが、事故に遭うと軽自動車は危ないと思いました。相手の方は、高齢運転手でしたが免許証返納をしようと思っていたところでしたと話されていました。あと0.1秒ずれていたら、どうなっていたか、考えただけでゾッとしてきます。県議会でも以前に高齢者の「運転免許の自主返納について」質問したことがありますが、高齢で認知能力・判断能力が衰えている人も含め、危険な状態と思われている方の運転は思いとどまってほしいと思いました。過疎地域では、車が「生活の足」となっていますから、高齢者が免許の自主返納を躊躇する一因となっており、公共交通網の整備が本当に求められています。返納などで免許がなくなり、外出が困難になれば健康寿命を縮めかねませんから、車を使わないでも移動できる街づくりが急務であり、自動運転などの先端技術がいっそう普及するように官民挙げて取り組んでいくしかないと思います。

今回、iPhoneの緊急SOS設定のおかげで、家族全員に緊急通知が発信し、みんな瞬時に動くことが出来ました。身体のあちこち打撲や怪我、また後遺症もありますが、この程度ですんだ事が何よりでした。ご心配をおかけしました。

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2024.11.27



見聞を広げ、見識を高める大切さ。

柔軟な判断や対応が求められる変革の時代、視野の広さが大きな強みとなると思います。見聞を広げ、思考や知識を深め、多面的に物事をみることができるようになりたいと思っています。そのためには、好奇心旺盛でフットワークを軽くして、何よりも一つの意見や考えに固執しないことが大事なんじゃないのかなぁと思うんです。
視野が広がると、いろんな場面で役に立ちます。例えば物事や自分の置かれている状況をフラットに眺めながら、的確に状況判断できるようになったり、柔軟に意見を取り入れ、新しい考え方や視点で物事をみることができるようになります。そのため、より効果的・効率的な問題解決能力が高まるのではないでしょうか。また、これまでにないアイデアなり発想が浮かび、複眼的思考パターンが可能になってくるんだと思うんです。
視野を広げるためには、やはり知識や経験が大きな要素となりますが、日頃の仕事や日常生活から離れて、国内外の地を訪れ、自分とは異なる価値観や年代の人たちと積極的に出会うことが何より大切なんだと考えます。
それは、世の中には多様な価値観や考え方があることに気づくからです。従って、知らない事や未経験の領域であれば、思い込みや先入観を捨てることが大事で、これこそが難局に遭遇した時の解決のヒントになってくるんだと思うんです。

37年間務めた教員生活を終えた妻育子も、4月は新たにスタートを切る門出でありました。新規一転、新たなステージで社会貢献していきたいとの想いで、4月は怒涛のスケジュール(何カ月も前から、ネットで安いホテルを予約し、LCCで格安航空券を手配して)でこれまでの経験値を頭の中でゼロクリアして、オールリセットしなければならなかったんだと思います。北海道でクラーク博士像を見ながら、妻曰く「志が大切よね!」。何となく、この選択で良かったんだと自分に言い聞かせているようでした。

《Boys, be ambitious.》〜facebookの投稿より〜
米国人クラーク博士が、札幌農学校の教頭を辞して日本を去るにあたって、教え子たちに贈った言葉。若者は大きな志を持って世に出よという意味だと思います。
クラーク先生は北海道にある札幌農学校(現在の北海道大学)の先生としてアメリカから招かれ、生徒たちに農業を教えました。そしてわずか9ヵ月後、日本を去るときに言った言葉が‘Boys, be ambitious’~少年よ 大志をいだけ~ です。
志とは何でしょうか。志とは心に思い決めた目的や目標という意味です。夢と少し似ていますが、志は自分という人間がどう“ありたい”か、自分がどう“なりたい”ということです。夢はこうなったらいいなと望むこと、志はこうなりたいと思い、そのために今、行動することです。
クラーク先生の言葉から志とは、"人としてよりよく生きるために自分が決めた高い目標’"と感じます。
「少年よ大志をいだけ。それはお金や自分の欲のためにではなく、また名声という空しいもののためであってはならない。人間として当然そなえていなければならぬあらゆることを成しとげるために大志をいだけ。」
今の日本人一人ひとりに問いかけているようです。

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2024.5.2



退職(卒業)〜麓から眺める山の稜線は、なだらかでゆるやかに〜

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離任者 退職者を代表してご挨拶申し上げます。
私たちは今年度をもって、異動また退職し、福智町を離れることとなりました。
これまで、関係の皆様には大変お世話になりました。
福智町は、北東に福智山、中央には中元寺川 彦山川、そして遠賀川とつづき、「福智のち」の町立図書館等 自然豊で教育環境にも恵まれた町でありました。また、様々な人々から支えて頂き、そのような中で私たちは、子ども達の教育に全力で取り組むことができました。
福智町は、童謡作家 河村光陽先生の生誕の地で有り、先生もまた旧金田小学校で音楽科の教員として、教壇に立たれたと聞いています。その後、童謡作家として作家活動に取り組まれていますが、ずっと子ども達への思いを大切にされ、子ども達の純真さや喜び、自然への愛と尊重、友情や助け合いなどを作品の中にこめられてこられました。また、先生は、子ども達の心に楽しみや感動を与えるだけで無く、子ども達が良い人間として成長するための良い影響を与える事を目指しておられました。そのような子どもを思う思いにあふれた福智町で、子ども達の教育に携わることができたこと、本当にありがたく思います。
私ごとですが、本年度で、教員生活37年を終えます。教員生活のスタートを旧金田小学校でお世話になり、最後の年を福智町でお世話になることができました。若かりし頃に、諸先輩方から、授業の力を付けること、様々な経験をして、見聞を広めることよく学びよく遊びなど、本当に育てて頂きました。当時、金田小学校では、秋の鍛錬遠足で、5年生で鷹取山/6年生で福智山への登山をおこなっていました。
学校を朝7時30分に出発し100名以上の子ども達と目指した道のりは登山口までがとにかく遠く、また、頂上までがさらに厳しい道のりでした。こうして今、麓から眺める福智山の稜線は、なだらかでゆるやかに観ることができます。
ご迷惑をおかけすることばかりであったと思いますが、皆様からたくさん支えて頂いたおかげです。心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
最後になりましたが、福智町の子ども達の健やかな成長と、皆様方のご健康をお祈りして、簡単ではございますが、ご挨拶と致します。

令和6年 3月29日
離任退職者代表
福智町立弁城小学校 校長 神崎 育子

仕事と家庭の両立は本当に大変だったと思います。
教職というやりがいのある仕事を全うし、
4人の子どもたちを立派に成長させました。
子どもを育み、人を育てる、育子という名前の通り、
幾多の困難を乗り越えて、立派に頑張ってきました。
本当にありがとう!
家族みんなで感謝しています。

これからの人生、オールリセットして新たな分野にチャレンジし、社会貢献していきたいとの想い、とても立派な事だと思う。
さぁ!新しいステージをみんなで応援していこう!!

2024.3.31



父(次彦)の格言は、遺言だったのか?!

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60歳となった妻も、お陰様で校長として最後の卒業式を終えることができた。3学校目の校長とは言え、校長式辞や卒業証書授与は万感胸に迫るものがあるんだと思う。50歳で福岡教育大学の大学院生となり、学校に復帰後、管理職の道へと進むことになる。それから怒涛のような一年一年だったように思う。結婚する時に、父から「育子さんの仕事を絶対に辞めさせる事はならんぞ!」と言われ、きっとあの世で「よし、よし」とうなずき、父母、義父ともあの世で喜んでいるんだと思う。本当にご苦労様でした。立派に教員人生を全うしてきたと思う。

66歳で突然事故でなくなった父には、いろいろと格言めいたことを言われてきた。今考えると、その後暗示するような出来事が次から次へと起こっており、まるで遺言のようにも思えてくる。

「財を残すよりも 人を残せ」 → 大学時代に言われたが、結婚して4人の子どもの親となり、お金は子育て・教育に使い切ろうと考えた
「大きな組織の小さな歯車よりも 小さな組織の大きな歯車になれ」 → 分社化で子会社になり、腐りかけていた自分を奮い立たせる
「お前の力を見せつけてやれ、実績こそが力」 → 一人部署となり新規事業で部門別損益で評価されることになっていく
「育子さんの仕事を絶対に辞めさる事はならんぞ」 → 選挙に出ることになり、周りから奥さんを辞めさせるように何度も言われる
「昔の家は大黒柱で家を支えていたが、今の家は、それぞれの柱が家を支えている。家族も同じぞ」 → 所帯は共働きが当たり前になり、二人で家計を支えるようになる
「人は家を作り、家はまた人を創る」 → 環境が人を育てるように、実際に5回家の建築に立ち会うことになる
「聡、お前に親父(日義おじいさん)の気持ちがわかるか、(おじいさんがつくった)このタンスを捨てることはならんぞ」 → 欅のタンスは倉庫に保存

また父の格言を思い出したら、ここに付け加えていこう。

2024.3.18



妻の還暦旅行へ

令和5年12月31日、ゆく年くる年。東京から長男と三男が帰省し、明けて2日には長女家族も合流し、久しぶりに家族が全員揃う。
冬休みに入った年末には、妻の還暦旅行で二人で旅に出かけた。
”知らない街を 歩いてみたい どこか遠くへ 行きたい 知らない海を ながめてみたい どこか遠くへ 行きたい”
「遠くへ行きたい」の歌を口ずさみながら、行き当たりばったりの旅だった。旅先で人情に触れたり、誰もいない大衆食堂に入り、店主が早朝に釣ってきた鯛やカマス、メバルにタコをさばいてくれ、本当に美味しい地魚を戴いたり、絶景を眺めながら人生を振り返ったり、県議会の視察のように美術館や伝統・文化、事業承継の話を聞いたり、またまた大好きな城巡りをしたり、大変有意義で貴重な旅だった。
訪れた美術館では、2029年度に大濠公園の南側に開館する新福岡県立美術館を想いをはせていた。これまで福岡県文化議員連盟や所管常任委員会で全国の美術館を視察してきたが、どこも素晴らしく、コンセプトに沿った設計に引き込まれる。きっと新しい福岡県立美術館も、これまでの歴史を受け継いで、古くから文化の交流拠点だった福岡の歴史を広げていくんだと思う。

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2023.12.31



父(次彦)25回忌と母(羊子)7回忌

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父が平成11年(1999年)11月10日に享年66歳で永眠、母が平成29年(2018年)11月4日に享年79歳で逝去永眠し、今年で25回忌と7回忌となった。両親とも、まさか死ぬとは思いもしなかったし、現実を信じたくなかった。二人とも突然、逝ってしまい、残された家族は本当に辛かった。
人の一生は、生まれてから死ぬまでの無常の世界。いつ何が起こるのかわからない。いつ何が起こっても不思議ではない。だから、人の死をご縁に命の尊さを知り、喜びよりも悲しみの方が人は目覚めるのかもしれない。だから、終わりから始まり、なくなったところから拾われ、なくしたところからいただく。悪いこと、悲しいこと、辛いことの中に光があるんだと思う。

過去に作っていた動画を見ていたら涙が出てきた。

2023.11.10



お宮参り(初参り)

生後1か月頃に赤ちゃんと一緒に神社に参拝する「お宮参り(初参り)」。無事に出産できたことへの感謝、今後とも元気に育ってくれますようにと、健やかな成長を願いお参りをしてきた。
ちょうど初孫も3歳で七五三のお祝いを兼ねてであったが、3歳ともなると、しっかりしてきたなぁというか、おてんばさんそのもので、何とも愛らしい。記念写真を撮る時に、肩車をしてやると、一瞬の隙をつきスカートで顔を覆い、参拝客のたくさんの人から笑われてしまった。参拝客の人たちから「いい写真が撮れましたねー」と微笑んで言われ、場が和んだのでそれはそれでよかったと思う。幸福というのは、何気ない、こんな時なんだと思う。

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2023.10.15



新しい命の誕生

令和5年9月5日午前3時16分、長女夫妻に第2子が誕生した。男の子だった。よかった。本当に良かった。6月末から切迫早産でずっと入院していたから、妻と一緒に心配していたが、本当によく頑張っと思う。
これから乳呑み児の赤ちゃん幼稚園児の子育てと大変になってくるから、出来るだけ妻と助けに行ってあげたいと思う。

自分の4人の子どもたちの考えると、乳児、園児、児童、生徒、学生、社会人と一人ひとりに応じて子育てをしてきた。特にこの10年間は、受験、就職、結婚、出産、育児と人生の大きな岐路に立っているんだと思う。
今、ようやく子育ても卒業する時が来たんだなぁと感じる。“子供は親の言う通りには育たない。親のする通りに育つ。”4人の子供を育てながら、何となく「教育とは何ぞや」「人を育てるには何が大切なのか」と自分なりの考えを持てるようになった。子供は親の真似をして、生き方を学んでいく。親も「育児」そのものが「育自」であり、子供を育てていくのと同時に親自身が育っていくもんだとも思う。だから、親が育てば、子も育つ。今、振り返ると子供たちの教育に対して反省している点は、誰かと比べたりしてきた”競育”をしたんじゃないのか、怒ったり叩いたりして少々恐がらせた”恐育”したんじゃないのか、今すぐできるようなれと要求した”今日育”だったんじゃないのか、親の意志を強いてきた”強育”・親の狭い了見を押しつけた”狭育”だったんじゃないのかと・・・考えてしまう。
まぁ、今さら考えても、良くも悪くも夫婦二人でバランスを取りながら、4人の子供たちも巣立っていっているんだと思いながら、今度は孫の成長を楽しみに人生を過ごしていきたいと思う。

無事に生まれてくれてよかった。本当に良かった! kenshin1 

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2023.9.5



妻 還暦となる

5月31日は妻の誕生日で、とうとう妻も還暦となった。夕方18時半、仕事から帰宅して赤いポロシャツに着替えて、お祝いは自宅から歩いて1分のところにできた「情熱的中華厨房 味都」でビールで乾杯。
29歳で結婚し、仕事に子育てに頑張って来たんだなぁと思う。笑いあり、涙あり、山あり谷ありの人生だと思う。妻のえらいなーと思うところは、60歳になって、「私を産んでくれてありがとう」って母に花束を贈るところだと思っている。本当に感心してしまう。母曰く「今日が誕生日は知っとったけど、もう60歳になったんやねー」って!お母さん、もうすぐ90歳!

先日は、妻自身の還暦積立のお金で、ミステリー還暦旅行に強行スケジュールで行ってきた。福岡空港のカウンターに着くまでまったく知らされず、カウンターのスタッフの女性が、「神崎様、出雲空港経由の隠岐空港ですね」と言われた時、僕が「えー!?」ってビックリした顔で大声で発すると、スタッフの女性が「えっ?」って驚き、隣で妻はクスクス笑っていた。悠久の歴史と絶景の自然、美味しい魚と肉、ハプニングありの想い出に残る旅になった。初めての隠岐諸島はそれはそれは素晴らしかった。

ちなみに昨年の僕の還暦旅行は、九重登山(法華院温泉)で孫たちとの楽しくもあり、相当過酷な還暦旅行でもあった。そういえば、この旅行も神崎妻がお金を出してくれたなー。いつか埋め合わせをしなくては。

麻生ちか子さんから電話があり、10分近く話をしていました。笑いながら気楽に話せることがありがたい事だと思う。近況を聞かれて、「主人は知ってるの?」っ聞かれたので、「多分知らないと思います。」と言ったら、「私から話しとくわね」って言って下さり、また「育子さんに、おめでとうございますと、くれぐれもよろしく伝えてね」と言われ、誕生日に花を添えて頂いた

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2023.6.1



令和4年12月31日 ゆく年くる年

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令和4年(2022年)12月31日、三男誉行の二十歳の誕生日。大雪の日の朝、添田町の中山産婦人科で生まれた。あれから20年。やんちゃ坊主で負けん気が強く、直ぐに泣くくせに、口だけは大人顔負けの言い草をする。姉兄弟でも一番自己主張をする、姉兄3人から鍛えられながら、なかなかたくましく、上3人とは違った体つきになってしまっている。その誉行が成人式を迎えるとは。
20年を振り返ると、実にいろんな出来事が起こり、予期しないことが世の中も家族も次から次へと・・・激動の時代に、家族みんなが波乱万丈な人生を送ったように思う。
そんな激動の時代に生まれたのも、何かの因縁なのか。これまで誰も経験したことのない時代だから、道なき道を切り拓いていくしかないんだと思う。もしかすると、この困難な時代を切り拓いていくために、生まれてきたのかもしれない。大きな夢をもって、みんなに希望を与え、これからの時代を切り拓いてもらいたい。間違いなく大きな可能性を秘めているんだと感じる。

 

2022.12.31



初心忘るべからず

過去のリーフレットに掲げている政策ややポスターのキャッチコピーなどを読み返しながら、来春の県議選でどのような政策を掲げ取り組んでいくのか、それをワンフレーズで訴える言葉は何かを考えています。もう16年前になりますが、初めて県議選に挑んだ時(2007年)のリーフレットには、企業で取り組んできたこと、自分が大事にしなければならないと思っていること、将来の田川のあるべき姿をイメージした想いをそのまま政策として掲げました。
その中で「自分が大事にしなければならないと思っていること」は、結婚した時に父から「育子さんの仕事を辞めさせることはならんぞ!」と言われたことです。「昔の家は大黒柱が家を支えていたが、今の家は一つひとつの柱で支えて建っている。家族みんなで力を合わせて支えていくように」とも言われました。選挙に出るときには、父はこの世にいませんでしたが、その言葉はずっと心の中に残っていました。政策の中にある”男女共同参画社会”や”仕事と家庭の両立”次世代を担う人材育成”は、自分自身を言い聞かせる意味でもありましたし、あの世から見ている父への報告でもありました。政策は掲げるだけではなく、やはり実践力だと思います。まずは自分自身が実践しなければ説得力がありません。きれいごとばかりじゃダメですが、やはり政治は政策であり、実践力なんだと議員になって改めて感じているところです。
お陰様で妻も来年は還暦を迎え、職を全うすることになると思います。仕事と家庭を両立し、4人の子供たちを育て、夫は仕事を辞めて選挙に出ることになり、本当に立派だと思います。両家の両親もきっと同じ気持ちで見守ってくれていると思います。

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2022.11.30



初当選時の叔父の親族挨拶

11月10日は父の命日でした。享年66歳でした。来年は25回忌ですから、本当に時の経つのは早いものです。豊前に釣りに行って、JR日豊線の電線から釣り竿を通して感電しました。毎年事故現場にお参りに行っていましたが、母が5年前に亡くなってからは、もう行かないようにしました。

人間の一生というのは、本当に何が起こるかわかりません。だんだん父の年齢に近づいてきて、もっともっと長く生きていてくれたらなぁと思います。
今日は支持者まわりをしながら、宮若市の叔父叔母を訪ねて行きました。選挙に限らずいろんな面で後ろ盾になってくれ、アポも入れずに今日会うことができたのも亡き父のおかげかな?よかったです。初当選時に親戚代表で挨拶してくれた動画がありました。

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大学3年生時に田中六助先生との写真です↓

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2022.11.10



節目の式典、休校式そして卒業式

令和4年3月、大学4年間の学士課程を修了し、次男(陽行)が卒業式を迎えた。あっという間の4年間だったと思うが、未経験の体操部に入部し主将を務めたり、学部の看板ゼミに入室したり、きっと本人にとっては中身の濃い充実した学生生活だったんだと思う。4月からは新社会人として、社会への一歩を踏み出すことになるが、企業のビジョンやミッションをしっかり体得しながら、自分の夢や希望、役割・責務を見出してほしい。若いということは何にでもチャンレンジできるし、変革の時代にあって間違いなく大きな可能性を秘めている。頑張れ!全力で応援しエールを送っていこうと思う。

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妻も添田町立津野小学校の歴代最後の校長としての役割を担い、責任を果たしていた。昨年は香春町立採銅所小学校の閉校式で、2年連続の閉校式、休校式に責任者として携わった。本当にご苦労様。両学校とも149年という歴史と伝統のなる学校で、関係者の皆さんはもとより、地域の皆さんにとっては母校がなくなるのを複雑な思いで見守っていたんだと思う。今後はどのように地域社会を維持し守っているのか、地方行政に課せられた課題はあまりにも大きい。来年度からはまた新たな学校に赴任することになるが、新たな気持ちで頑張ってほしい。教職員としての人生を全うしている妻に本当に頭が下がる。

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2022.3.24



人生の半分を一緒に過ごす

令和4年2月27日、29回目の結婚記念日となる。平成5年に30歳で結婚し、妻は29歳だったが、人生の半分を一緒に過ごしたことになる。昔、妻が「姓が変わって嬉しかった」と話していた。その心境はわからなかったが、その時「それは、よかったね〜」と言ったことを覚えている。あれから実に様々な出来事、笑いと涙、楽しいこと辛かったことが次から次へとやってきた。29年前に戻り、今に至るまでのことを当時の自分に伝えたら、きっと信じてもらえるはずもなく・・・もっとこうした方がいいぞ、もっと冷静に考えろ、もう少し相手のことを思いやれ、もう二度と会うことができないぞ・・・

長女家族が遊びに来て、せっかくなので浮羽稲荷神社と道の駅うきはに連れて行く。孫は本当にかわいい。孫とただただ一緒にいるだけで楽しくなり幸せな気持ちになる。長女たちは結婚記念日ということも知るはずもなく、でも遊びに来てくれたおかげで、良い結婚記念日となった。

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令和3年12月31日 ゆく年くる年

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令和3年(2021年)12月31日、我が家の三男誉行の19歳の誕生日。昨年はコロナ禍の中での大学受験、よく受験を乗り越えたなぁ〜と思い出すとホッとしてくる。今年もまた我が家の”ゆく年くる年”は、長女夫婦家族がが元旦に来るものの子供たち全員が揃って迎えることができたことに感謝しなければならないなぁと思う。当たりまえのことに感謝する。そう当たりまえと思っていることも実は有難いことであり、幸せなことなんだと、夫婦二人っきりになってそう思う。令和4年(2022年)は寅年であり、還暦となる。一方、三男誉行は成人式を迎える。40歳の年の差は永遠に変わらず・・・

 

2021.12.31



【我が家のコロナ対策〜新しい生活様式】

コロナ禍になって一年半、新しい生活様式なる言葉が出てきて、「よし!我が家の新しい生活様式をつくるぞ」と意気込み、折畳み式カウンターやウッドデッキ、壁の張り替え、井戸掘りまで、休日や少しでも空いた時間ができれば、いわゆるDIYをやってきた。親が亡くなり、子どもたちが一人ひとり巣立ち、夫婦二人だけの生活となって、加えて、コロナ禍の中での緊急事態宣言に伴う自粛生活、これまでにない自宅で過ごす時間ができて、家の修繕やこんな生活をしてみたいと思っていた夢が少しずつ実現できた。
「この地域に生まれて良かった、住んで良かった」と思えるような暮らしやすさを自ら実践していくことで説得力ある提案ができるのではないかと自分の心の中では、そんなことを思いながら・・・「間違いなく、都会じゃみることができない光景がここにはあります。深緑の山、小鳥のさえずり、新鮮な空気と美味しい水。人口減少が著しく、歯止めがかからない地域ですが、必ずやこのローカルの良さに多くの人たちが気づき、憧れの地域になっていくはずだと思っています。Let's begin! まずは自分から動きだそう。そして広げていこう。」

DIYでいろいろ試行錯誤しながらも一番のお気に入りは、2階の広いテラスに設置したウッドデッキが、「アウトドアリビング」、「セカンドリビング」のような感じで、このウッドデッキで過ごす時間が、元気をチャージできるような気がしてきて楽しみとなっている。
ウッドデッキやフェンスは、コメリやナフコで購入したが、人工木のウッドデッキを設置したことで、メンテナンスフリーで日常庭生活を楽しめるようになった。毎日、岩石山の緑を眺めながら、小鳥の囀りや虫の音色、夜にはきれいなお月様と星空を眺めながら、朝食やディナー(?!)を食べている。

コロナ禍の中でスタートした新しい生活様式が、ちょっとしたリゾート感あふれる空間が実現でき、子どもたちが帰ってきたくなる家づくりになったような気がする。
今の幸せな時間は、離れている家族が集まり、食事を一緒に楽しい会話をすること。子供たちが一人でも帰省すると、笑い声で家の中がパァーと明るくなる。料理も二人だけの時とは雲泥の差。

食事も何か楽しみをつくらねばと思い、家庭用ビールサーバを購入。ネットで1万円のビールサーバが、雰囲気と美味しいビール(発泡酒)を醸し出してくれる。
天気の良い日は、布団を干し太陽を浴びた布団の匂いで夜は熟睡する。
その昔、親父が言っていた気持ちがわかる歳になってきたんだと思った。「蝶が舞い、小鳥がさえずり、小川のせせらぎを聴き、魚釣りと山菜採り、そんな生活が俺の夢やな」
井戸を掘り、地下水を汲み上げ、それで孫に小さなプールを買ってあげて水遊びをさせるのを微笑んで見守る、あれやこれやと夢が膨らんでくる。

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2021.8.28



21世紀は水の世紀〜妻曰く、「私が子孫に残すのは水」

「井戸のあるくらしをしたい。子供たちに水を残してやりたい。」
昨年末、妻が突然そう言いました。今、災害時の貴重な水源として生活用水を確保できる井戸の役割が見直されていますし、「水を大切」に扱うということを伝える事も大事だと思い、そしてお金は妻が出すと言うので、100%賛同しました。

昔はどこの家にも井戸があり、額に汗かきながら井戸のポンプを押して勢いよく噴き出す水に涼を求めて小さな子供たちの手がいっせいに伸びていました。
かくして、「我が家に手押しポンプで地下水を汲み上げようプロジェクト」がスタートしました。調べると手押しポンプで水を吸い上げる原理はポンプ内を真空にして、そのときに生じる大気の圧力を利用しているみたいです。そのため理論的には井戸水面までの深さが10.33メートル以内(実際には約8メートルまでが限界)までしか水は汲めません。電動ポンプを使ったとしても同じ結果です。
まずは自宅の敷地内のどこに掘るのか?どこを掘れば地下水が出てくるのか?昨年末より調べていました。

井戸掘りでわかった"水みち"
大地に雨や雪といった形で降り注いだ水はやがて地下へと浸透し、地下水脈へとたどり着きます。この地下水は砂や泥でろ過され、ミネラルを多く含む美味しいお水となります。
その地下水を汲み出すのが井戸の役割ですね。
井戸を使うことでつくられる"水みち"。井戸の水みちは、もともと水が流れやすいところに掘られたかどうかという当たり外れだけでなく、井戸を使い汲み上げることによって水みちが形成されると考えられているそうです。井戸水を汲み上げると地下水が動き、その際、水は通りやすいところを通っていきます。その通り道は井戸をいつも使い続けることでより通りやすくなり、水みちが固定されます。「井戸は使えば使うほどよい」と言われるのもうなずけます。
きっと我が家の地下水は、ミネラル豊富な地下水だと思います。20世紀が石油の世紀ならば、21世紀は水の世紀かもしれませんね。目に見えない地下水について、もっと勉強してみたいと思います。
令和3年5月19日、思いついて半年後、やっと手押しポンプを取り付け、家庭用電動ポンプを設置して完成しました。あとは水質検査をしてもらいます。

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2021.5.20



【子供や孫に夢を語って!私は生活を語るから】

【子供や孫に夢を語って!私は生活を語るから】

1年経つのはあっという間で、令和元年5月5日に長女未悠は結婚し、令和2年5月10日に長女未悠に赤ちゃんが産まれた。いわゆる初孫というもので、今になって想うと初孫未悠が産まれた時の親父(次彦)の気持ちがよ〜くわかる。
そんな親父も亡くなってから既に20年の歳月が流れているが、父からもらった言葉や格言はいつまでも忘れることなく、人生の指針になったり、間違いなく大きく人生に影響を与えてくれた。
初孫誕生の翌日に妻育子に話をした。「僕も子供や孫の人生に影響を与える言葉を残そう!」と、すると妻は言った。「子供や孫に夢を語って!私は生活を語るから」・・・さすがの切り返し、説得力があるなー!!

そう、妻が言うように、未来を担う人たちから夢を語ってもらえるように、僕らが夢を語ろう!夢は話すものじゃない。話したって相手には絶対に伝わらない。「話す」という漢字は、「舌で言う」と書く。「語る」という漢字は、”吾を言う”と書く。吾が言う時には、自分の感情が込めて言うから、自分の想い次第で、伝わる大きさが違ってくるだと思う。だから、夢は話すことではなく、夢は語ることなんだと。夢を語り、高い志を持って、そして、いつの日か、次の世代に夢を語ってほしい

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2021.5.11



人生の岐路に(父)親の存在あり

ようやく子育ても卒業する時が来た。“子供は親の言う通りには育たない。親のする通りに育つ。”4人の子供を育てながら、何となく「教育とは何ぞや」「人を育てるには何が大切なのか」と自分なりの考えを持てるようになった。子供は親の真似をして、生き方を学んでいく。親も「育児」そのものが「育自」であり、子供を育てていくのと同時に親自身が育っていくもんだとも思う。だから、親が育てば、子も育つ。今、振り返ると子供たちの教育に対して反省している点は、誰かと比べたりしてきた”競育”をしたんじゃないのか、怒ったり叩いたりして少々恐がらせた”恐育”したんじゃないのか、今すぐできるようなれと要求した”今日育”だったんじゃないのか、親の意志を強いてきた”強育”・親の狭い了見を押しつけた”狭育”だったんじゃないのかと・・・

人生の節目節目に父親として何ができるのか。自分の時を振り返りながら子供たちのことを考える。受験、就職、結婚、育児、そして転職や定年といった第二の人生、親の死、何の挫折も、波乱もなく、順風満帆なんてことは当然なかった。いろんな挫折や絶望感、辛い苦しみ、幾度となく壁に当たり、その壁を乗り越えてきた。そこにはいつも父の存在があり、自分の経験を交えた叱咤激励の言葉があった。父はいいところも悪いところ、性格もよく把握し、適格な言葉でアドバイスをしてくれた。その言葉はいまでも鮮明に残っていて、その精神は脈々と生き続けている。
逆境こそチャンスであり、どんな困難な時でもそれを乗り越える先進力をつけることが大切である。人は夢の大きさに応じて成長するんであれば、大事なことは倒れないことではなく、倒れても立ち上がることにある。
今、4人の子供たちも、それぞれに受験、就職、結婚、育児の巣立ちを迎え、今度は自分が次世代へ伝えていかねればならない。いつの日か、きっと子供たちも、同じように考える時が来るんだと思う。

父の願いはたった一つ。自分の得意分野等どんな事でもいいから父を乗り越えてもほしい。(既に乗り越えているのかもしれないが・・・)

2020.11.23



令和2年9月20日(2020年9月20日)、58才の誕生日

今年の誕生日は4連休中で、子供たちも帰省しての誕生日祝いをしてもらった。例年は地域の敬老会や運動会、麻生OB会などイベント行事で目白押しであるが、今年はコロナ禍ですべての行事が中止となっている。十数年ぶりに家族でゆっくり過ごす誕生日を挟んだ連休となった。facebookでもたくさんの誕生日のお祝いメッセージを頂いたり、本当に家族の温かさ、友人知人の有難さ、そして、この世に生を享けた縁に感謝しなければと思う。長女が結婚し孫が生まれ、長男は職務に務め、次男は就職活動、三男は大学受験、妻は職場を懸命に切り盛りし、それぞれの人生を歩んでいる。まだまだ支えてやらなければならず、心配の種は尽きない。あと2年で還暦を迎え、不思議な感じがしてくる。ところで、アラ還っていうの?58歳は。

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2020.9.20



初孫の誕生で人生の楽しみが増えました!

5月10日に生まれた初孫が百日を迎え、長女の嫁ぎ先の実家(糸島)で百日祝い(お食い初め)をする。これから節目節目で催し、お祝いを重ねていくことで成長の階段を上がっていく。還暦近くになり、こんな楽しみが人生に待っていようとは思わなかった。「人生、笑いと涙、山あり谷あり」、まだまだいろんな楽しみが待っているだであれば、やはり人生は元気に長生きしたいものだと思う。

2020.8.11



これからの楽しみ

5月15日、長女未悠と赤ちゃんが退院してきた。役所で出生届けも出したようで、名前は「彩芭(あやは)」。大変感じの良い名前だと思う。夫婦で本も買い画数も調べ、ずいぶん考えぬいた名前だったということ。さっそく夕方にアパートに家族みんなで会いに行ってきた。これが実質的な初対面。1時間ぐらいだったが、抱っこすると少しはにかんだような笑いを浮かべたり、あくびをしたり、しゃっくりが出たり、眠ったり・・・一つ一つの表情に、みんな和やかになり笑いが出てくる。最初、みんなでマスクをしていたが、義理の息子(娘婿)が「お父さん、マスク外してください」と言うので、遠慮なく外した。これからたくさん抱っこしてもらい、顔の表情、唇の動き、声の表現などをしっかり観察しながら、言葉や感情を覚え人間らしく育つんだと思う。生まれてきたばかりの子どものことを考えると、新型コロナウイルスで大変な事態だけに、明るい未来を築きいてやらねばという思いが強くなってきた。そして、これから1日1日成長していく楽しみであり、何よりもうれしい。

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2020.5.15



5月10日午前8時20分 初孫の誕生

♪母の日に 母になった 我が娘♪

5月10日8時20分、長女未悠に赤ちゃんが産まれた。早朝電話が鳴り、妻と急いで篠栗の病院に向かう。病院に到着しても予め病院の中には入れないとのことを聞いていたが、メールで赤ちゃんの写真を送信してもらって、その写真と動画を見ながら妻と二人喜こぶ。記念にと思い、篠栗駅で記念にキップを買いにいった。戻ると玄関先でご対面できるとのこと。これが初孫との初対面。とても小さく、それでいて、すべてのパーツがそれっている。2800gのかわいい女の子。母子ともに健やかで、よく頑張ってくれた。

何となく、今、ジワっと嬉しさがこみあげてくる。帰宅途中で、タイのお刺身を買って、主役不在のお祝いをした。長女が産まれた時からの事を振り返りながら、初孫の誕生を祝った。
いやぁ、本当にうれしいな。自分の子供が生まれた時とは、まったく違った嬉しさである。子供が出来て、親の気持ちがわかったと思っていたが、まだまだ甘かったように思う。それにしても、世の中、こんな嬉しいことがあるとは!

"子育てで 初めてわかる 親ごころ それにもまして 気づく 初孫"

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2020.5.10



令和、初めてのゆく年くる年。令和元年12月31日

令和になって初めての年末年始となります。子どもたちも一人ひとり帰省して、騒がしくなり、和やかでもあり、家族全員が集まる日は盆と年末年始だけになってしまいました。悩みもあり、能天気あり、一人ひとりこの一年間をもがきながらも一生懸命に過ごしてきたようです。今年は、統一地方選挙の年であり、改選後には福岡県総務企画地域振興委員長に選出されました。妻は昇進転勤し、長男の就職、長女の結婚、そして大学生の次男と高校生の三男も、勉強での苦悩と試練の壁に当たっているようです。義父と母の三回忌も終わり、もう2年も経つのかと、時々思い出しては、生きていたら喜んでくれたのにと心の中で呼びかけたりしています。来年には新しい家族が一人増えますから、またどんな生活が待っているのか、楽しみでもありますが、どちらかというと心配が先にきます。子供が出来て初めて親の想いがわかると言われますが、まだまだ親の領域には達していません。

今日は三男(誉行)の17歳の誕生日です。必ず家族が揃う日でもありますから、良い時に生まれました。いろんな事が思い出されます。悩みは絶えることはありませんが、子育てというのは、どの子も遅かれ早かれ手がかかります。順風満帆な子育てなんて、ありえないということだけは間違いないと思います。大きくなればなるほど、心配の種も大きくなってくるもんです。皆さん、令和のゆく年くる年、よいお年をお迎え下さい。

2019.12.31



冠婚葬祭の令和の始まり。

平成から令和へと時代は変わり、怒涛の十連休は、東京で研修中の長男・颯行の就職赴任地が6月から長崎に決まり、この連休で家族協力して引っ越しを行なった。長女・未悠が長崎大学だったから、さすがに長女は詳しく、妻もまた長崎は熟知しているようで、まったく知らない土地じゃないから良かったと思う。次男は、同志社大学の授業があったということで引っ越し後、3日夜に帰省した。また、妹・亀谷悦子の嫁ぎ先のお父さん(故亀谷勇)の一周忌の法要が4日に直方市の実家であり参列する。5日には長女・未悠の結婚式、25年間の成長が走馬灯にように蘇ってくる。小さい頃から学校の先生になることを目標に頑張っていた。努力をしないとできないことを自分自身よくわかっていて、人の3倍努力していた。妻もいつも相談に乗ってあげていたから、本当に寂しいようで・・・連休後の田川地域は、地元各地で神幸祭が執り行われる。まさに、冠婚葬祭の令和の始まりだった。そして、3期目の県議会へ初登庁の始まりでもあった。

2019.5.13



長女未悠の結婚

令和元年5月5日、長女未悠の挙式・披露宴が、With The Stile Fukuoka Hotel(ウィズ ザ スタイル 福岡)で行いました。新郎・新婦がこれまでの人生で大変お世話になった多くの皆さんに祝福されての結婚式で、本人たちはもとより、両家の家族・親戚も一同大変嬉しく、ご参集頂きました皆さんに心から感謝を申し上げます。

二人が出合いました長崎大学教育学部時代の恩師の野口先生御夫妻に、快くご媒酌を引き受けて頂き、ご媒酌人から二人の馴れ初めや的確な性格分析などお言葉を頂きました。親の知らなかった一面を知ることができ、大変心温まるお話でした。また、来賓挨拶では未悠の職場の上司、福智町立伊方小学校の益田茂校長先生から、(私たち家族をよく知っているものですから)神崎家の家風なりも紹介を頂き、新郎側の親戚の皆さんにもご理解頂いたようで、有難いスピーチでありました。

御出席頂いた皆さんは、二人のことをよく知っている方々ばかりで、皆さんのお蔭で本当に素晴らしい結婚式となりました。まだまだ未熟な二人でありますので、今後ともどうぞご指導、ご鞭撻、またご厚情を賜りますように、よろしくお願い申し上げます。両家を代表しての挨拶は、新郎の父親でしたので、新婦の父親としては、何も申す事ができませんでしたので(^_^)、ブログで御礼のご挨拶をさせて頂きました。

ps:神崎妻は、嬉しさよりも寂しさの方が大きく、涙を堪えながらも、うるうるしていましたが、父親はまだ何となくピンときていません。娘未悠は嬉しさ100倍のようでした。

2019.05.06 19:00

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それぞれの船出

統一地方選挙も終わり、怒涛の3月4月も過ぎようとしている。3期目の当選が決まり、会派も全員当選できて、新たに新人議員も会派入りされる。今後、県知事選がどのように県政に影響してくるのか、非常に不透明で、これまで経験したことがない県議会・県政になってくると思う。選挙結果について、テレビである女性が「今までどおりで結構です」とインタビューで話されていたが、これが多くの県民の答えだったかもしれないと思うと、それは非常に重たい。現状維持じゃダメなんだという自分の考えが世間からズレていたんだとすれば、もっと耳を傾けないといけないんだとも思った。県職員の不祥事問題、宿泊税の問題、JR日田彦山線の復旧問題と、どれも危機感を持って取り組まないといけない政治事案であり、実際に政治のリーダーシップとスピードを持って取り組まないと、きっと解決できない問題だと思っていたが・・・とにかく、4年間負託を受けたからには県政の発展と県民福祉の向上に全力で取り組んでいこうと思う。

妻・育子も4月から校長に昇進した。新任校長として、精一杯に職務を全うしようと努力をしていくのが容易に想像できるが、それでも初めての経験だから苦労もたくさんあると思う。職場での手伝いはできないから、家庭においてお互いに協力しながら助け合っていこう。

長女・未悠も5月には結婚を控え、また4月からは最上級生6年生の担任として、休日返上、夜遅くまで忙しくしている。昨年12月に結納を挙げ、4月14日には相手家族との食事会も終え、結婚披露宴を迎えようとしている・・・”何事もなく恙なく、その日を迎えられますように”と、親のできることって、そう願いだけかな。

長男・颯行は、4月から新社会人として公務員となり、東京に行った。公務員試験を本当によく勉強して頑張って合格したと親として誇らしく思う。1月には京都から引っ越しを済ませていたが、財務省福岡財務支局の勤務となり、東京での研修を終えて、赴任地は長崎ということで、5月連休に引っ越しをせねばならない。巣立っていく子どもを見ながら、頼もしくもあり、ホッとするような気持ちにもなり、とにかく良かったと安堵している。

次男・陽行も、4月1日に長男と一緒に、大学2年生として京都へ。長男と同じ同志社大学だけど、長男の法学部と違って生命医学部というところは、どんな職業に就くのやら。体操部に入部して1年が過ぎ、筋肉マンになって、きっと充実した大学生活を満喫していると思う。学問も頑張れ!

三男・誉行は、高校2年生。成績はいまいち。少し上がってきたが、何とか頑張ってほしいものだと思う。部活も中学のバトミントンからバスケットに入部し、それなりに充実した高校生活を送っているのか?あっという間に大学受験が来るから、とにかく勉強に頑張ってもらいたい。

というわけで、それぞれの新学期・新年度、そして新しい元号を迎え、新たな人生の船出を迎える。

2019.4.24



愛犬”そうた”が旅立って逝った。

平成30年11月29日午後1時4分、我が家の愛犬”そうた”が死んでしまった。14歳9ヵ月の命だった。一昨日(26日)夕方から、餌や水を飲まなくなり、散歩も途中で引き返した。27日早朝が最後の散歩になった。それから、立つことも困難になり、ただ泣くばかりで、夜中ずっと家族で介護をしていた。今朝、泣く元気もないようで、日の当たるところに寝かせ、午前中の所用を終え、自宅に戻ると、朝のままだった。声をかけると反応し、水を少し与えて、様子を見ていると、大きく口を開けて、静かにそのまま眠るように旅だって逝った。まるで僕を待っていたかのように・・・

長女が屋久島から一年間の山村留学で戻り、頑張った褒美に、動物管理センターで譲渡してもらい、家族となった。平成15年5月連休だったと思う。
29日夕方に、大学生の長男と次男が二人して京都から新幹線に乗って帰ると妻に連絡があったとの事。子供たちにとっても家族だったんだと思う。犬の世話をし、脱走したら、みんなで探したり、病気の時は夜中じゅう看病し心配したり、犬のお陰で素直で優しい心が持てたと思う。「”そうた”、ありがとう」14年と9ヶ月、”そうた”の存在は大きく、家族として本当に楽しい時間を一緒に過ごせたと思う。

動物管理センターで譲渡してもらう時、実は茶色の柴犬に人気が集まり、”そうた”は誰も引き受けてがなかった。係り員が「この犬は右足の爪が2つに割れていて」と話したからみんな敬遠したんだと思った。正直どうしようかなぁと思ったが、誰も希望しなかったら、殺処分になると言われ、譲渡してもらうことにした。譲渡してもらうには、2度講習を受けなければならなかった。帰宅中、購入したばかりの犬小屋に入れて帰ったが、ずっと泣き続けていた。

「そうた」という名は「北の国から」の草太兄ちゃんから名付けた。(友人の辻眞作先生の犬が「ゴロウ」だったので)

家の周りの庭と車庫で放し飼いにしていたため、脱走は数えきれないくらいあった。大脱走は3度。一番遠いところは、田川伊田駅と彦山駅まで、川崎町の東川崎に迎えに行ったこともあり、また偶然田川市伊加利で見つけたこともあった。とにかく、脱走は雷がなった時で、我が家が一番安全なのに、塀を乗り越えて逃走する。血相を変えて、舌で「ハァハァ」息をし、ヨダレを垂らして、狂ったように怯える。そのため、家の板塀は破られ、門は崩され、結局は、塀の高さは1m80cmにもなった。

家族で登山したり、キャンプしたり、小旅行の時も一緒に車に乗せて連れて行ったりしなぁ。色が真っ白で赤い首輪をしているためか、知らない人から「お父さん」と呼ばれ、しっぽをふって愛想良く振る舞う。日頃はとても優しくおとなしく、吠えることはないし、決して噛みついたりしない。最初の登山は、九重山で法華院温泉まで行ってきた。涌蓋山にも登り、地元の岩石山は何度も登っている。

2018.12.2



11月4日、母の一周忌

早いもので、母が亡くなり一年が経った。昨年の11月4日9時から、「香春町の将来を語る対談」企画があり、その後、「TAGAWAコールマインフェスティバル〜炭坑節まつり」や川崎町で「日中交流水墨画公募展」に来賓出席した。その後、母が入院している病院へ向かう途中で、危篤の連絡が入った。急ぎ、病院に駆けつけ母の手を握った時に、息を引き取った。あれから、もう一年になるのか。
通夜、葬儀、そして初七日、初盆と家族が一人いなくなるとは、こんなにも大変で、家族のバランスが崩れてしまう。亡くなって、何気ない毎日の中で、改めて母の存在の大きさに気づくバカ息子。僕のために、嫌な思いをしていたのに文句も言わず、一生懸命に選挙をしてくれたことも思い出され・・・もっと労わってやればよかった。もっと、やさしい言葉をかければよかった。

母に報告しなければならないことがたくさんある。この一年、家族にとってとても大きな変化があった。次男は4月から大学(同志社大学)へ進学し、三男は高校に入学(育徳館高校)。長男は就職活動で財務省に内定も決まった。そして長女も教師3年目で転機を迎えている。母が生きていたら、「よかったねー、よかったねー」って涙を流しながら喜ぶに違いない。

厳しく、何事も相談にのってくれ、僕を手塩に育て道筋をつけてくれた父。
優しく、何事にも相談を持ちかけ、すべて僕に任せていた母。今考えると、僕の両親の育てからは、両極端だったように感じる。耳を澄ますと、まだ、母の笑い声が聞こえてくる。

2918.11.8



非日常を楽しむ

気力・体力・知力を100%充電し、心身ともにリフレッシュする時間を自分でつくることが、どれほど大切なのか。まさに、”オフの充実がオンの活力になる”んだと思っている。5月連休は山登りや山菜採り、ヤマメ釣り、温泉めぐりと充実したオフを過ごせるようにし、自然に囲まれた環境で非日常生活を楽しむようにしてきたが、子どもたちも大学生になったころから、6人一緒に過ごす事がなくなってきた。それでも、できるだけ家族と一緒にいる時間をつくっていこう。巣立ちは、もうそこまできているから。

2018.5.6



巣立ち3〜次男陽行大学へ

3月30日夕方から、名門大洋フェリーで陽行(あきゆき)の船出(引っ越し)。もしかすると、いやきっと、実家には帰ってこないかもしれない。大学進学と同時にそんな想いが頭をよぎる。これで、3人目の巣立ちとなる。うれしくもあり、ちょっと寂しくもあり・・・大学の入学式で隣に座っていた妻の目には涙が流れていた。

同志社大学の学長の式辞や総長の祝辞で、創設者の新島襄の建学の精神、「良心」と「自由」そして高尚な志の大切さを聞きながら、素晴らしい大学に入学して良かったと改めて思う。長男颯行も法学部4年で、学部・キャンパスが違うが、兄弟で同窓となって何とも不思議な気がする。自立した人間になるための第一歩になる大学生活を送ってほしい。多くの先生方から学問を通して高度な専門知識と、人間としての生き方や思想を学ぶ大切な4年間となるように。

帰りは、名門大洋フェリーが欠航となったため、阪九フェリーで帰路についた。既に就職した長女が学生時代に使っていた、冷蔵庫や洗濯機、テレビにレンジ等々があって、かなり助かったが、それでも一人暮らしはお金がかかる。僕らの時代は、体一つで上京し、自分のお金で時間をかけて揃えたが、今の時代の学生は本当に恵まれているなぁと思う。

2018.04.02 16:00



陽行(あきゆき)〜卒業式

3月1日10時より、次男陽行(育徳館高等学校3年)の卒業式。いつもは母校の県立田川高等学校に来賓出席しているが、今日は夫婦で県立育徳館高等学校に保護者として出席。とても厳粛の中に希望に満ち溢れた素晴らしい卒業式であった。校長先生の式辞も、添田町出身の育徳館高等学校を卒業された医師の話をされ、大変興味深く聞いた。中高一貫教育ではあるけど、義務教育はこれで終わる。今春には、颯行(長男)と同じ同志社大学に進学することが決まった。大きな夢と高い志を持ち、希望を胸に、自立できる人間に育ってほしいと願う。がんばれ!



結婚25年〜銀婚式

2月27日、結婚して丸25年、銀婚式ということになる。長くもあり、短くもあり、山あり谷あり、涙と笑い、たくさんの想い出、幾度も訪れる試練の連続。他人同士だったのが、いつの間にか家族になっている。まだまだ経験したことがない出来事が、これからもやってくる。新婚旅行は、モルディブに行き、あの赤道直下で約束したっけ。10年後のスイーツテンダイヤモンドは、「スイーツテンモルディブやね」って。約束を果たせず、25年経ってしまった。

結婚20年の時の動画

2018.2.27



お陰様で、家族水入らずで過ごせたお正月

年末年始のご挨拶を遠慮させて頂き、お正月は家族と伴に時間を過ごす事が出来た。これも、母や義父から、家族ゆっくりするようにとの贈り物なのかもしれない。母の着物や洋服類、家財道具等を整理し、この際、18年前に亡くなった父の遺物も含めて処分した。タンス等重たい荷物は、子どもたちがいる時にしかできないので、もう立派に、一人前に役に立つようになった。親の老いや死、そして自分の体力の衰えを感じながら、一方で子供たちは確実に成長してきているので、移りゆく時代の流れを痛感しながらのお正月だった。

新しい年を迎え、これまで活動してきた成果をしっかり出そうと思う。まずは地元田川をより良い方向へ。一人ひとりが持っている潜在力、一企業一事業体が持っている可能性、そして地方が持っている底力を発揮できるよう、挑戦し続ける実践者になとうと思う。そして、福岡県から発信し、諸外国から期待され、尊敬される日本になれるように行動しよう。みんなから期待を越える価値やサービスを提供できるようになれば、きっとどこかで会う両親も喜んでくれ、そんな自分を笑顔で迎えてくれながら、また一緒に飲んだ時に大いに語らうことができるから。今年も明るく元気に前向きに頑張ろう。

2018.1.4 22:00



平成最後のゆく年くる年、平成29年12月31日

今年一年間を振り返ると、いろんな出来事が思い出される。そして、来年5月には新たな年号となり、新しい時代がやってくる。4月には統一地方選挙となり、この4年間、取り組んできた結果を有権者に問われることになると同時に、次の4年間の将来ビジョンを、課題を、要望を誰に託すのかを問われる選挙になる。知事選挙においては、12月29日、自民党福岡県連が公募により、元厚生労働官僚の武内和久氏(47)を推薦する方針を決めた。現職の小川洋知事(69)が既に3選を目指して出馬する意向を表明しているから、自民党と現職が対決する構図が固まったといえる。これから予断を許さない状況になってくる。2期8年、車の両輪として福岡県政の一翼を担ってきた県議会は、様々な提案や施策・課題解決に向け実行し、県行政と力を合せて推進してきた。一方で、模範となるべき県職員の相次ぐ不祥事や、JR九州民営化後の交通網の不便さや災害復旧に対する公共交通機関としての対応、政令市との意思疎通の欠如、何よりも政治家としてのリーダシップと人間関係における信用・信頼・信義について、小川知事に対して、疑問を呈してきた。二元代表制である県政は、それぞれがチェックし合いながら、同じ方向で様々な政策・施策を加速度を挙げて推進して、はじめて県民福祉の向上と地域の活性化に貢献できるものと考える。そういった意味で議会側は一丸になる必要があり、執行部側・特にトップリーダーは人間関係を大切にしなければならないと考える。

大晦日12月31日は誉行(たかゆき)の誕生日。16才となった。午前8時27日に添田町の中山産婦人科で生まれた。雪の舞う寒い日だった。高校生となり、それなりに逞しくなってきたが、まだまだ幼く、親としての悩みは絶えることはない。

2018.12.31



ゆく年くる年、平成29年12月31日

年末年始のご挨拶を遠慮させて頂き、本当に寂しい年越しとなった。それでも12月31日は誉行(たかゆき)の誕生日。この日だけは、必ず家族全員集合できるから、いい日に生まれてくれたと思う。29日は長年の友人宅での忘年会。30日は亡母の実家、北野町で従兄弟寄りで、母を偲んでの笑いあり涙あり、いい時間を過ごすことができ、本当に感謝している。誉行も、15才になった。4月からは高校生となり、長いようで怒涛のような、アっという間の15年だった。いろんな事が思い出される。悩みは絶えることはないけど、それもまた、一人ひとり通ってきた子育てであり、きっと後から振り返ったら、いい思い出になるんだろうなぁと思う。

 家族で

 母の実家で従兄弟寄り

 長年の友人宅で

2017.12.31



母、満中陰法要(四十九日法要)

12月17日、自宅で母(神崎羊子)の満中陰法要も無事に終え、あっという間に時間が過ぎた感じがする。母の持ち物も整理し、いるのがあればと、妹や伯母さんたちに、持って帰ってもらい、家の中もかなり片付いてきた。着物や洋服などの衣類をはじめ、装飾品やバックに帽子・靴に傘も、どっさり出てきたのには、ビックリというか、あきれてしまった。きっと、モノを捨てきらない性格と、大きな買い物はできなかった分、小物を買うのが楽しかったのかなぁと思う。家財道具もまだまだあるので、不必要なものから処分しなければ。

法光寺の住職の法話も、いつものように心に深く染み入った。「日々是好日」、言葉では理解していたつもりなのに、風習からなのか、日頃の実践となると、なかなか難しい。日本には結婚式に仏滅を避けたり、大安を選んだりする風習がある。しかしながら、人生を考えると、晴れた日もあれば、雨の日もある。幸運な日も、不運な日もある。どの日も貴重な一日なのに、何となく六曜が気になったりする。「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」これまで、六曜は仏事と深く関わっていたと思っていたが、そうではないと言う。六曜はそもそも中国の三国志、諸葛亮孔明が発案したとの説(孝明六曜星)もあり、軍略で使われていたとも言う。それが鎌倉時代に伝わり、迷信・俗信のように風習として伝わってきたのかもしれない。

結婚式は仏滅にしない、大安にする。友引には葬式は出さない。なぜ友引に葬式をしないのかというと、「友を引く」と書き、死んだ人が親しい友を引っ張っていくからという。本当は、「共に引く」〜「双方、戦をいったん引く」から来ているので、まったく根拠のない迷信だということ。今ではその中国でも無意味なものとして使われていないという。そう考えると、まさに「日日是好日」であり、日に良し悪しなどあるわけがない。

手相にしても家の方角の吉凶などの家相、墓相、占い、厄払い等々、周りには根拠のない迷信俗信や、やたらと不安に陥れ、結局お金を取られたり、高い買い物をしたりと、詐欺のようなものが横行していたりする。真実とは何なのか。根拠のない迷信や俗信に惑わされたりすることなく、また不安になることなく、しっかりと自分の人生を歩んいきたいものだと思う。

2017.12.17



母、神崎(旧姓深山)羊子の人柄を偲んで

母、神崎(旧姓深山)羊子の人柄を偲んで、今日(11月15日)は母の中学校時代、三井中学校時代の恩師と同級生の皆さんが、遠路から自宅にお参りに来られた。本当にありがたいことで、きっと母も笑顔いっぱいで喜んでいるんだと思う。お嬢様育ち(?!)のような、おっとり穏やかな性格だったから、たくさんの人から慕われ、まわりをパッと明るくなり、人から恨まれることなんて、これっぽっちもない。母を知っている人は、皆さん、口を揃えたようにそう言ってくれ、亡くなってはじめて、母の性格の良さがしみじみわかったような気がする。父から常に厳しく、それでいて手塩にかけて育ててくれ、天然(?!)のような母からどんな育てられ方をしたのか、よくわからなかったが、こうやって母の友達から母の話を聞くと、何となく両親からそれぞれ受け継いでいる自分に気づく。素晴らしい両親に育てられたことに、今さらながら感謝している。

 平成22年三井中学校同窓会 前列左3番目

 平成24年三井中学校同窓会 2列目左3番目

 平成26年三井中学校同窓会 前列右2番目

 平成27年三井中学校同窓会 2列目右3番目 

2017.11.15 16:00


母の初七日、父が浄土へ連れて還る。

11月10日、母(神崎羊子)の初七日で法要をして頂いた。親戚の人たちがおられる葬儀の後に一緒に初七日をしていたが、基本的には還骨であり、本来であれば今日11月10日が初七日なので、午前中、お経をあげて頂き、夜は家族だけで仏間で初七日の食事をする。

今日11月10日は亡父(神崎次彦)の命日(平成11年11月10日)であり、 毎年、父の亡くなった現場に行き、自宅に連れて帰える。父は、母を迎えに来たのかもしれない。

父(神崎次彦) 「羊子、迎えにきたぞ」
母(神崎羊子)「ありがとう 長いようであっという間の18年間でした」
父「よく がんばったな」
母「孫たちも ずいぶん大きくなり みんな素直に優しく育ちました」
父「ちゃ〜んと、見よったから よ〜く わかっちょう」
父「俺の分まで よ〜く 可愛がってくれて すまんやったな」
母「でも いろいろあったけど、とても楽しく 過ごせました」
母「ゆっくり 話を聞いてね」
父「ちゃ〜んと 聞いてやる その前に あの世は いろいろ 面白い処があるから 連れていってやろう」
母「はい」

そんな会話をしてくれていたら、うれしいな。きっと、二人で積もり積もった話をするんやろうな。 二人とも突然、逝ってしまい、残された家族は本当に辛いけど、やっと母も父に会えたんであれば、哀しさ辛さは少しは和らぐ。79年間、お疲れ様でした。

2017.11.10



母、神崎羊子 享年79歳 永眠

11月4日、午後1時50分 母、神崎羊子が逝去しました。享年79歳でありました。生前中、皆様方には大変ご厚情を賜りましたことを厚く御礼申し上げます。
あんなに元気がよかったのに、と皆様方、思われていると思います。私たち家族も、まさか、逝去するとは思いもよりませんでした。今から考えますと、兆候は半年前からありました。9月に入り、物忘れがひどくなり、何となく動作もにぶく、痴呆症なのかと思い、病院で診てもらっていました。 そんな折に、9月25日早朝に自宅の玄関の階段で転倒し、頭を切って、腰やお尻を打って歩けなくなり、入院しました。怪我以外の箇所、身体全部をCTやMRIで診てもらったところ、50万人に1人という副腎にガンが出来ていました。ガンは、7cm以上で、すでにステージ4かもしれないということでありました。あまりに進行が速いものですから、10月24日と25日に麻生飯塚病院に行き精密検査をしてもらったところ、悪性リンパ腫も見つかり、それが脊髄から髄膜へ、脳に移転していて、加えて、連続的に脳梗塞がおこっているとの診断で、余命一週間との宣告を受けました。
日に日に衰弱していく母を、妹と私たち家族が24時間寝泊りしながら、今日かもしれない、今かもしれないという想いで、看病しながら、母も懸命に頑張りました。 「ありがとう、ありがとう、4人の子どもたちをいつも見守ってくれて、本当に感謝しとるんよ」と「妹家族も含めて、みんな仲良くしていくから」と、何度も何度も話しました。母はもう話すことはできませんでしたが、目からは涙が出てきていました。元気な時に、言えばよかったと悔やんでも悔やみきれません。
最後は静かに息を引き取りました。ガンによる痛みがなく、最後まで私たちのことがしっかりわかっているのが、せめてもの救いでした。
11月5日、6日と法光寺さまで通夜・葬儀を行なわせて頂きました。葬儀は法光寺でという生前中からの母の願いでありましたので、親の願いを叶えることができたことに感謝致しております。多くの皆様方に母の最期をお見送り頂きましたことを心から御礼申し上げます。

本日は、昨夜の通夜に引き続きまして、大変お忙しいところ、また遠路より、母、神��羊子の葬儀・並びに告別式にご参列下さり、まことにありがとうございます。
皆様方には、生前中、一方ならぬご厚情を賜りました。本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。

母は、昭和13年10月18日、三井郡北野町で4兄弟の一人娘として生まれました。北野小学校・三井中学校・南筑高校と進学し、久留米の日華商事に勤めました。
父との出会いは、父の下宿先が母の実家の真ん前だったことで、昭和36年2月3日に結婚致しました。翌37年9月に私が、昭和40年に妹の悦子が生まれました。母は、とても明るく、ほがらかで、県南・筑後ということもあったんでしょうか、言葉もゆっくりした穏やかな性格でした。そんな母でしたから、田川の気質・添田での生活は、母の性格からして、なかなか馴染めなかったのは容易に想像できます。
そんな母も、添田に来て56年、いつの間にか、すっかり添田の人になっていました。
戦前生まれの母の人生は、激動の時代の中で、まさに時代に翻弄され、また、環境に、人に影響されながらの波乱万丈な人生だったんじゃないかと思います。
特に、18年前の平成11年11月10日に、父が釣りでJRの電線に感電死したことはショックでありました。
私たち家族が実家の隣に新築し、一緒に暮らし始めましたが、新築した半年後に火事の類焼で母屋まで燃えてなくなりました。
何とか、みんなで力を併せて元通りの家を建てましたが、やっとこれからという時に、私が選挙に出ることになり、本当に苦労をかけました。
ただ、私の4人目の子どもたち、それと妹夫婦の双子の子どもの、孫たちに囲まれ、「おばあちゃん、おばあちゃん」と幸せな日々を過ごすこともできました。特に、共働きの私たちにとって、母の存在は本当にありがたく、母のお蔭で、子どもたちは、みんな素直で、心優しく育つことができました。

昨日の通夜でもご挨拶させて頂きましたが、ちょうど1カ月前に病院で、身体全部をMRIやCTで診てもらったところ、50万人に1人という副腎にガンが出来ていました。ガンは、7cm以上で、すでにステージ4かもしれないということでありました。
あまりに進行が速いものですから、10月24日と25日に麻生飯塚病院で精密検査をおこなったところ、悪性リンパ腫も見つかり、それが脳に移転し、加えて、連続的に脳梗塞がおこっているとの診断で、余命一週間との宣告でした。
日に日に衰弱していく母を、妹と私たち家族が24時間寝泊りしながら、今日かもしれない、今かもしれないという想いで、看病しながら、母も懸命に頑張りました。
最後は静かに息を引き取りました。ガンによる痛みがなく、最後まで私たちのことがしっかりわかっているのが、せめてもの救いでした。

結びにあたりまして、私どもにも、母同様のご厚情を賜りますよう、お願い申し上げ、御礼のご挨拶に代えさせて頂きます。本日はまことにありがとうございました。

2017.11.7



義父(山本徳孝)、たくさんの皆様に見送られ永眠。

義父(山本徳孝)が永眠した。平成29年10月1日12時22分。義母から携帯に危篤の連絡が入り、急遽、入院先の田川市立病院に向かったが、着いたのが12時24分だった。まだまだ元気にいてもらいたかったし、こんなに急に逝ってしまうなんて想像もしていなかった。

父(山本徳孝)の人生は、まさに挑戦し続けてきた人生だったように思う。酒を飲みながら話をしていた、現役時代の教育現場・教育行政での修羅場、その生き方、その迫力。
父と二人三脚で戦ってきた選挙では、大所高所から物事を見ながら、ち密な計画を作り、問題や課題が出てきたら、一つひとつ、それを潰していく、その解決力、そして行動力。
それでいて、物腰柔らかく、寛大さを兼ね備えていた。多くの皆さんからの信頼が厚かったと思う。理不尽な目に逢っても決して激怒せず、常に、清濁併せ飲むようにと、言い聞かせるように、教えてくれた。そんな父の息子になれたことが、誇りでもあった。

亡くなる前日に会ったのが、結局最後だった。危篤状態で、酸素マスクで激しく呼吸していていて、家族みんなが集まると少し落ち着いたようで、紙とペンを用意するような仕草をし、最後の力を振り絞って、ペーパーに書き出した。父は、命をかけて何かを伝えたかったんだと思う。
父が命をかけて何を言いたかったのか、僕にはよ〜くわかる。
「着眼大局、着手小局」高い志と大きな夢を持って、未来を切り開いていく信念が何より大切なんだと。世の中、この先、何が起こるかわからない。だからこそ、人よりも先に難題に挑み、もがきながらも解決していく姿が、多くの人の共感を得られるんだと。失敗や挫折、試練を乗り越え、決してあきらめない。そんな実践的先駆者になるようにと。
父は息を引き取り、永眠致した。僕は、父の志しを引き取り、そして、次の世代へ繋いでいく。それを、父に約束したいと思う。

弔辞:田川郡退職中学校長会

2017.10.10 14:40



家族が一番のホームグランド

田川の神幸祭は、4月初旬(第2土日)の英彦山神宮御神幸祭から始まり、9月第2土日の豊前坊高住神社神幸祭が終わるまで、田川市郡の各地域で行われる。その中でも、福岡県無形民俗文化財に指定され、福岡県五大祭りの一つである、風治八幡宮川渡り神幸祭(5月第3土日)が有名であるが、200年以上も続いている赤村の我鹿八幡神幸祭や光明八幡神社神幸祭、糸田町で300年以上の歴史を持つ糸田祇園山笠(5月第2土日)の伝統文化は壮大で、山笠の高さは約9m重さ2トンでしかも舁き山だから凄い。ちょうど添田町神幸祭(5月第2土日)と重なり、観にいったことはないが・・・今年は地元須佐神社の神輿元になっているから神輿を担がねば。

5月大型連休も、長男颯行が自動車免許の更新で一時帰省(4月29日〜5月5日)し、家族全員で過ごすことが出来た。義父(山本徳孝)の入院し、心配しているが、みんなでお見舞いに行き、早く元気になってもらわねば。遠出はできなかったが、家族全員で充実した連休を過ごせたことが何よりだった。早朝5時半よりソフトボールをしたり、自然からお裾分けで、食べる分だけワラビやタケノコを採ったり、地鶏の炭火焼き、湯布院のクギノオカでピザやパスタを堪能し、安く上げようと浜勝やスシロー、どんどん亭にも。とにかく家族が揃って食べるのが楽しい。オフを満喫できる極意を何となく身に付けていて、心身ともにリラックス・リフレッシュすることが大事。仕事からも日常生活からも離れて、家族や友人たちと飲み語らい、のんびり過ごせる時間と空間が持てたことに感謝しなければ。連休明けからは怒涛の・・・

2017.5.7


人の器も比例して

大学生の長男が、4月からは3年生ということもあり、この時期に短期(1ヵ月)語学留学にオーストラリア・メルボルンに行き、3月11日に帰国し、自宅に戻ってきた。自分たちの頃に海外に行くとか思いもよらず、ましてやそんなお金もない。2年間、ユニクロやセブンでせっせとアルバイトをしながら、貯金をしていたらしい。結構なお金になるようで、援助しようかと助け船を出したが、自分のお金で行くとの返事。我が子ながら大したもんだと思う。

子どもたちが小さい時、お祭りの縁日でミドリカメを金魚鉢で飼って育て、だんだん成長し、水槽を大きいのに入れ替えていくと、その大きさに応じてミドリカメも大きくなり、結局、自宅の池で育てることになった。まさに、人の成長も同様で、フィールドの広がり大きさによって、人の器も比例して、どんどん成長していくように思う。大学生になると、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとり・・・もう既に父を追い越して、自分の足で歩き始めている。

2017.3.13



今年の成人式には我が家の長男も・・・

地元の新春の行事が続く。田川郡7ヶ町村あり、同日同時刻に同じ行事が重なる。体はひとつしかなく、行けなかった町村に心が痛むというよりも、自分の選挙にとっては頭がいたい問題(;_;)

 成人式

平成29年1月8日、今年の成人式は長男颯行が参加した。子供の前で挨拶するのは、何となく気恥ずかしく、まぁ出たとこ勝負たいという気持ちで挨拶をさせてもらった。早いもので、あれから20年。夜中に陣痛が来て、田川市の佐野産婦人科に駆け込んだのが昨日の事のように思い出される。たかが20年、されど20年、いろんな事があり、涙あり笑いありの子育てだった。まだまだ、成人まで、あと二人の子供を抱え、未だ子育て奮闘中!

 豊前川崎商工会議所新年祝賀会

 添田東行政区新年の集い

 消防出初式

2017.1.8



家族はエネルギーの源

年末年始、天気も穏やかで、久しぶりに家族とゆっくり過ごすことができました。どのように過ごすかは人それぞれだと思いますが、生きがいの源、少なくともエネルギーの根源は、家族にあると思います。家族とのかかわりの再認識ができる大切なときのような気がします。

政治家をこころざし、オンとオフの切り替えが大事なことを学びました。
さぁ!明日から仕事始めです。変革の時代、今年は更に大きな動きが始まります。ピンチとチャンスが併存しているから油断大敵。高く広い視野を持ちながら、目の前の為すべきことを一つひとつ実践すること。まさに”着眼大局着手小局”で、流れを創っていかねばと思っています。

2017.1.3



たかが5分、されど5分

12月11日(日)、添田フレンズ20周年記念大会が田川市総合体育館で開催された。岡山県や広島県、九州一円から強豪チーム、32チームが参加していて、来賓挨拶をさせて頂いた。一姫三太郎の男3人の子供たちが、添田フレンズでお世話になり、保護者OBとしても少しの間、観戦させてもらった。

結成当初から今日に至るまでは、監督、コーチをはじめ、保護者の方の大変なご苦労があったと思う。添田フレンズの運営というものは、まさにボランティア精神で成り立っており、監督、コーチ、OB、保護者の皆さん方が、日頃から子どもたちが集中してドッジボールに打ち込める環境づくりに取り組んでおられる。今日まで様々な大会において優秀な成績を収めてきたのも、そのお蔭で成し遂げられてきたんだと思う。
ドッジボールは決して個人のスタンドプレーじゃ勝てない。一人ひとりの役割、キャッチング・パス・アタック、そして内野と外野の連係プレーが噛み合って、チームの心が一つになって、はじめて勝利を手にできるスポーツだと思う。一試合あたり5分間という短い試合時間。 ”たかが5分、されど5分”
その中には、瞬発力や判断力、集中力、なによりも仲間を信じ、助け合うチームワーク力が求められる。最後の1秒まで、気を抜けない、あきらめない気持ちが、ドッジボールの中で培われている。
子供たち3人が選手として出場し、応援席から試合を見ていると、試合の流れ・タイムや得失点等は応援団はわかっているが、選手たちはそれを一瞬で判断しないといけないわけで、これは頭で理解してもどうしようもなく、体で覚えるしかない。毎日の繰り返しの練習と監督・コーチの指導によって、選手一人ひとりが体で覚えていくしかない。それによって、冷静な判断力と瞬発力が身についていくんだと感じる。一方で、挨拶や礼儀・後輩のフォロー等も自然と身につけられていった。添田フレンズで子供たちはたくましく成長していったと思う。益田監督には本当に感謝している。

「添田フレンズ」の益々の発展と選手たちの活躍、関係各位のご健勝とご多幸を心からご祈念申し上げます。

 平成20年 颯行(ゼッケン4)

 平成23年 陽行(ゼッケン4) 誉行(ゼッケン12)

 平成26年 誉行(ゼッケン3)

2016.12.11



第13回日本の次世代リーダー養成塾に次男が参加

7月24日から8月6日の日程で、次男陽行(高2)が第13回日本の次世代リーダー塾に入塾した。2週間の合宿研修で、宗像市のグローバルアリーナで開塾。次世代を担う高校生が世界で活躍することを目指し、行政(参画9県・3市)および経済界、学界が一体となり実施している。日本や世界で活躍する一流の講師陣が講義を行い、国際貢献や世界平和のあり方について議論している。2週間という短い期間であるが、自分の知らない多くの人と出会い、様々なことを学んでくると思う。若い新しい発想で、社会変革に対応できる人材に育ち、未来を切り拓いていく志を見つけてほしいと思う。

僕らの高校時代にはこんなチャンスはなかった。大学を卒業し、麻生セメント�蠅貌�社し3年目(25才の時)、JC(日本青年会議所)の第18回青年の船(横浜港から香港・グアム)に応募し参加できる機会があった。イギリスのコーラルプリンセス号に乗り全国から500数十名が横浜港から香港からグラムに向けて出航した。目的は「世界平和と青年の役割」、副主題として「ボンボヤージュ〜感動が主食です」。10名ぐらいのグループに別れ、ディベートのような主張を行い発表し代表にもさせて頂いた。2週間の旅であったが今でもあの時の感動がよみがえる。若い時にあのような異業種交流しかも2週間もクローズされた中での共同生活、人生にとって本当に大きなステップアップとなっている。JC青年の船はこの年で最後であったが、日本の次世代リーダー養成塾、入塾する高校生にとって、大きなチャンスであり、きっと将来の自分に影響していくと思う。

2016.7.29



23年ぶりに二人旅

7月16日から3日間の連休。後援会の方との毎年恒例の視察観光の予定が、突発的な出来事により中止となり、急遽、妻と二人で旅行することになった。子供たちは部活などがあったため留守番、よく考えると二人きりの旅行は23年ぶりで、子供が生まれて初めのこと。突然のことで、妻は大喜びの様子であった。16日夕方に部活帰りの子供を迎えに帰宅させ、小倉駅近くの駐車場へ。名門大洋フェリーのシャトルバスに乗り込み、新門司港(19時50分発)→大阪南港(翌8時30分着)へ。モノレール・地下鉄で新大阪駅に行き、新幹線で名古屋に到着。実のところ、名古屋は初めてで、周遊バス・地下鉄一日券(600円)を購入し、名古屋城と徳川美術館、そして名古屋港にある「南極大陸観測船ふじ」を見学する。京都に戻り、同志社大学に通っている長男と夕食をし、アパートに宿泊。翌日は、徒歩で20分のところにある二条城を散策し、レンタカーで比叡山延暦寺、大原三千院そして鞍馬寺と貴船神社に強行軍で行ってきた。18時京都駅から小倉へ。船に乗り、モノレールと地下鉄、新幹線にバス、レンタカーとまったくの行き当たりばったりでありながら、なかなか楽しい旅であった。

初めての旅行が23年前、新婚旅行でモルディブへ。すぐに北海道ルスツにスキーにも行き、その一ヵ月後に鹿児島に3泊4日の旅行に出かけ、妊娠中にはハウステンボスで宿泊し、九重高原のペンションへ。「10年後にはスウィートテンモルディブやね、いろんなところに一緒に行こうね。」と約束していたけど・・・4人の子供たちに恵まれ、家族でいろんなところに旅行はしたが、仕事が忙しく毎週のように出張が続き、選挙に出て議員になってからは、殆ど家にもおらず・・・君は家と学校の往復の毎日であり、僕は全国各地どころか、海外にも飛び出し・・・あの頃、結婚生活がこんな風になるなんて想像すらできなかったんだと思う。
”涙あり、笑いあり” ”修羅場をくぐり、家庭危機を乗り越え” ”幸せだったのか?不幸だったのか?” 君は何を考え、どう思っているのか?

2016.7.19



日本の次世代リーダー養成塾

第13回日本の次世代リーダー養成塾(塾長:榊原定征 一般社団法人日本経済団体連合会会長)に次男の陽行(高2)が選ばれた。7月24日〜8月6日までの13泊14日の宿泊合宿に行くとのこと。グローバル化が急速に進み、各分野で世界に伍して活躍できるリーダーを育成することが求められ、日本の文化や歴史に対するしっかりとした知識と認識だけでなく、世界についての幅広い知識を身に付け、自らの意見を的確に主張できる能力を養うことが必要。「日本の次世代リーダー養成塾」は、リーダーとして必要な素養形成の「きっかけ」を与えることを目的としている。

合宿にあたり、今年で創業400年を迎える有田焼についての課題が出ていることだった。7月3日(日)朝早くから、さっそく家族で有田焼に出かけてきた。初めての訪問で、現地の窯元から直接話しも聞くことができた。やはり、現場に出向き、生の声を聞くことからしか始まらない。親のできるところは、こんなことぐらい。あとは自分で頑張れ!

17時には、小倉駅前で大家敏志参議院議員候補の街頭演説会があり、麻生太郎副総理ともお会いしてきた。

2016.7.4



夫抜きの誕生祝い

5月31日、今日は、妻、育子の誕生日。今日は、議会棟で6月定例会代表質問で断続的に打ち合わせ、そして県議会広報紙編集会議や「住・ひと・しごと創生調査特別委員会」が開催、夜は博多で懇親会が続く。ということで、誕生祝いは、僕抜きでということらしい。10年前ぐらいに、育子のメモリアルアルバムをつくっていた。とりあえず、アップしてお祝いとしよう。
妻〜神崎育子 その1
妻〜神崎育子 その2
妻〜神崎育子 その3

僕と育子の不思議な縁!?

2016.5.31



本人抜きの二十歳の誕生祝い

5月28日は長男・颯行(はやゆき)の誕生日。妻が「本当に早いねぇー、あの颯坊(はやぼう)が二十歳ばい」としみじみ言った。平成8年5月28日午前2時ぐらいに、どうも陣痛が早くなったと妻に起され、アパート近くの田川市の佐野産婦人科へ・・・あれから20年、いろんな事があったなー。今では、大学2年生となり京都で一人暮らし。という訳で、誕生日祝いをしようと、本人抜きで飯塚市の「MK RESTAURANTS]に初めて行ってきた。子どもたちは喜んでいたけど、この年になると食べ放題はちょっと・・・とりあえず、ずいぶん前につくった(小学生までの)メモリアルアルバムを貼り付けて、お祝いとしよう。

家族からの誕生日メッセージ

2016.5.29



23回目の結婚記念日

2月定例県議会が22日から始まった。2月補正と平成28年度当初予算の14ヵ月予算となっている。改選年だった今年度は、ギュッとスケジュールが詰められていて、常任委員会・特別委委員会・議連の視察と毎週続き、まったく余裕がなかった。一般質問や予算特別委員会もあり、質問をつくるのが、切羽詰った感じで迎えている。ハッと気づくと、明日(2月27日)は結婚記念日。あぶない、あぶない。家庭は留守が続き、帰宅しても、「結婚」なんて会話をすることもなく・・・とりあえず、毎年のことでもあり、明日は忘れないように・・・ブログだけでもアップしておこう。議会のない明日の夜は、地域の人たちとの懇親会。明後日は、ちょっと家族で外食でもしようか。

2016.2.27



平成27年、我が家の10大ニュース!?

平成27年も残すところ5日となった。福岡県小川知事は平成27年の10大ニュースを発表した。今年の1位には、「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録と2017年の登録を目指している「宗像・沖ノ島と関連遺産群」が推薦候補に決まったこと。2位には、タクシーや公用車にFCV=燃料電池自動車を導入したことやFCV用の水素ステーションの整備を進めたこと。3位には、4年後の2019年に日本で開かれるラグビーワールドカップの試合を福岡に誘致したこと。そして4位は「景気の緩やかな回復」でプレミアム地域商品券の人気や外国人観光客の急増などを挙げ、「明るい話題が多く元気な福岡を発信できた年だった」と振り返っている。

我が家を振り返ると、10大ニュースとしては、
�/精蠢鏝�議選の再選、育子の福岡教育大学大学院卒業、颯行の同志社大学法学部入学、誉行の県立育徳館中学校入学、未悠の福岡県教員採用試験合格
�⇒杞圓慮�立育徳館高でカナダ・バンクーバーへのホームステイ
�8�議会公式訪問 11月南米・北米及びタイ国公式訪問により、留守家庭がテンヤワンヤ
�だ价叉�念公園にて県政報告(麻生太郎副総理〜激励演説)
�ゲ搬価完�で野球観戦するもののソフトバンク負ける
�ι磧平精蠎”А�17回忌法要
��知事のふるさと訪問(糸田町・福智町・香春町)で、知事から陽行(田川飛翔塾で知事から声を掛けられ)の事を聞かれる
��麻生太郎先生、麻生泰会長からのお手紙
��金のエンゼル、銀のエンゼルが当たる
��家族サービス〜日田まぶし

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2015.12.26



平成27年大晦日

ゆく年くる年、大晦日に生まれた誉行(たかゆき)も13才となった。体力だけは他の姉兄よりも勝っているが、なかなか成績がパッとしないなぁ。それぞれ4人の子供たちも病気や怪我や学校生活等々で心配をかけてくれたけど、子育てというのは、どの子も遅かれ早かれ手がかかる。順風満帆な子育てなんてありえないよなぁ。大きくなればなるほど、心配の種も大きくなる。

皆さんのご家族のご健康を心からお祈り致します。良いお年をお迎えください。

2015.12.31



父・神崎次彦17回忌法要

11月9日、県議会は午前中、県土整備委員会が開催され、午後から2泊3日の管外視察(鳥取県・島根県)となっている。明日11月10日から県議会代表として南米への公式訪問のため、管外視察には行けず、福岡空港に見送りをさせてもらった。

11月10日は父の命日であり、平成11年11月10日に豊前市の中川でハゼ釣りをし、JRの高架線に釣り竿が接触して亡くなった。今年で丸16年となる。11月8日(日)10時から法光寺住職に法要をして頂いた。この時期になると父の夢を見たり、父と関係していた人たちと会うから本当に不思議な感じがする。きっと家に帰ってきて、家族を見守りながら、家族にいろいろと話しかけているのかもしれない。毎年、必ず事故現場に行って花やビールをお供えしていて、今年は初めて妻・育子も一緒に同行した。

追伸:当分ブログの更新ができません。

2015.11.9



ご先祖様もお戻りになり・・・

今年もお盆も終わり、少々夏バテというか疲れがたまってきるている感じ。選挙に出ることになり、早いもので10年が経つ。親戚や知人の初盆参りも、だんだん多くなってきて、寂しい思いがしてくる。仏壇に手を合わせながら、お亡くなりになった皆さんは、様々な人生で、様々な壁につきあたり、様々な修羅場をくぐってきたんだと、人生とはまさに四苦八苦の連続なんだと思いながらお参りさせてもらった。

長男颯行(大学1年生)が京都から帰郷している。自分の大学1年生の夏休みを振り返ると、東京からはやり帰郷していて、アルバイトを1ヵ月半していた。同級生のお父さんの会社で、学校や病院の清掃業だった。一日中、ただ黙々とガラス拭きをしたり、モップで床を磨いたり、かなりきつかったのを覚えている。でも親は、帰ってきたのを、とても喜んでくれていて、今思うと、ちょっとした親孝行したんじゃないかと思う。でも、それ以降の夏休みや春休みはずっと関西の伯母の会社で葬儀のアルバイトに精を出していて、結局、大学時代はお正月にしか実家に帰らなかった。その伯母が、4月にお亡くなりになり、お葬式には妻に行ってもらい、初盆にも行けず・・・関西弁で「聡くんはなー、次さん(僕の親父:次彦)が手塩にかけて育てたんやでー。ほんまに偉いやっちゃで、次さんは」っていつも話してくれていた。関西でのバイトは、お金の有難さ、稼ぐ大変さだけでなはく、冠婚葬祭という人生の節目の儀式として、人生観や宗教観など、普段では得られない貴重な経験をさせてもらった。親元を離れて世間の荒波にもまれることが、一人前になることなのかもしれない。

2015.8.17



陽行(高1)16才誕生日

7月12日、早いもので次男の陽行(あきゆき)の16才の誕生日。
思い起こせば16年前、当時、�衙秬絃霾鵐轡好謄犖�共システム部長だった。あの日は、福岡県教育庁筑豊教育事務所の田川出張所(田川合同庁舎内)で、田川郡教育研究所小学校算数研究会のメンバーの先生たちと一緒に、「生きる力」について語り合っていた。当時、アパート暮らしで、田川合同庁舎のすぐ近くの田川市新町に住んでいた。予定日は、7月12日当日だったけど、姉・兄ともに予定日より遅かったから、少しのんきに構えていた。すると、19時半くらいに、妻から「もうすぐ生まれるかもしれん」と電話が入り、急いでアパートに戻る。慌てて車に乗せたのが20時だったと思う。田川市の佐野産婦人科に20時10分に到着。でも妻は車から出ることが出来ない。陣痛の感覚が既に数分だったそうで、その合間を縫って分娩室に抱えるように移動する。そして、20時20分生まれた。危機一髪で、後から冷や汗をかいていたのを覚えている。あれから16年、父は激動で波乱の人生を送ってきたように思うけど、子どもたちは反発もあり、葛藤もありながら、素直に育ってくれているように思う。

 陽行10才時のメモリアルアルバム

2015.7.12



体を使うか、お金をつかうか。

毎日、何かしらの行事が入っている。土日は特に地元の行事があり、今日(6月7日)も第58回筑豊地方保育事業研究大会が田川市民センターで開催され来賓出席してきた。その後も団体の集会での挨拶や陳情要望での現地視察、夕方からはホタル観賞に呼ばれて赤村源じいの森に出かけていた。なかなか自宅の草取りやらの仕事に手が回らず、午後14時から庭木の剪定ができた。家族は朝から庭の草取りをしていくれていて本当に助かっている。昨年はまったく余裕がなく、かつ手の付けようがなかったので、人材シルバーセンターにお願いしていたけど、結局お金を使うか、体を使うかしかない。家を維持していくっていうのは大変なことだけど、家を継いだもんの務めだから、とにかく家族で協力しながらやっていこう。

平成19年のタイトル”庭木のせんてい”を見ると、小さい時の誉行がいる。小っちゃいでかわいらしい。今ではもう中学一年生。

2015.6.7



気がつけば、新しい生活がはじまって・・・

2月22日の事務所開きに始まった怒涛のような2ヵ月間だった。選挙が終わった翌日から次の選挙が始まっていると言われるように、疲れ切った心身を休めることもなく、地域の様々な総会にも積極的に顔を出し、田川市郡の企業・支持者の挨拶まわりが続いている。本当に劇的に生活スタイルが変わってしまった2ヵ月間だった。

家庭を顧みると、妻は大学院の修士課程を終え、学校現場に復帰し、長女は大学4年となり選挙期間はウグイスで大きな戦力になってくれた。長男は3月末に京都へ、大学進学のためアパート一人暮らし。次男は高校1年生になり、三男は中高一貫教育校に合格し中学1年生となった。毎朝、高校生を6時半に油須原駅まで送り、帰宅してすぐに7時半に今度は中学生を油須原駅まで送る朝の生活スタイルになっている。

まだ、家族みんな新しい生活に慣れていないけど、何となくバタバタしていたので、長男がいなくなった寂しさを味わうこともなく、「そういえば、一人いないなぁ〜」みたいな普通の生活になってきている。でも、本人は既に5月病なのか?連休中にフェリーで帰宅するようで、それはそれで、妻はとても楽しみにしている様子。ノートパソコンを買ってあげようと思う。

 哀川翔さんと一緒に写る子どもたち(3月22日)

 新高校生と新中学生(4月6日)

2015.4.18



卒業〜ランドセルとさようなら!

3月18日(水)添田小学校卒業式、誉行(たかゆき)が小学校過程を終えた。6年前(平成21年4月)に大きなランドセルを背負って入学したのが、つい最近のようで、本当にあっという間の6年間だった。卒業式に出席し、あんな事もあった、こんな事もあったと、想い出が次から次へとよみがえってくる。もう二度とランドセルを背負うことないから、17日の登校時に最後のランドセル姿を写真に撮った。今日の卒業式で学生服を着ている姿を見て、改めて、ランドセルから卒業するんだなぁ〜と思った。別れがあり、新たな出会いがあり、そうして少しずつ成長していく。親としての役割も、一つひとつ終わっていくようで、寂しくもあり、うれしくもあり。

 最後のランドセル(平成27年3月17日)

 最後のランドセル(平成27年3月17日)

 添田小学校卒業式(3月18日)

 添田小学校入学式(平成21年4月9日)

 はじめてランドセルを背負って

2015.3.18



2月も終わり・・・

今日で2月も終わり、選挙まで残すところ1ヵ月となる。2月27日は丸22年の結婚記念日だったけど、分刻みのスケジュールでお祝いなんてすることもなく一日が過ぎていった。28日も支持者の方々と個別訪問をし、くたくたになってしまうけど、それでも気を引き締めて、少しの時間(15時〜18時)の間、自転車遊説に出かける。途中、雨が降ってきて、少しの雨宿りをしてけど、続行して自転車遊説を続けた。夜は僕ら夫婦の共通の知人と家族で、決起大会(?!)。結婚する前からの30年来の付き合いなので、本当に何でも話せる仲間だからいい。結婚記念日のお祝いのような事もしてもらい、ちょっとした息抜きができたと思う。政治の世界のようなドロドロした感じじゃなくて、純粋に地域を想い、子どもたちの成長を願う仲間って本当に素晴らしいと思う。これからも、ずっとそんな関係を続けていきたいなぁと思う。

2015.2.27



不休の正月三が日

今年のお正月は、4月の選挙を控え、不眠とまではいかないまでも、不休の正月三が日だった。選挙のためのあらゆる準備を行なっていた。この段取りに選挙の8割近くの時間を割かれるけど、やはりかなりのノウハウがないと厳しいなぁと思う。段取りが悪いと手戻りになる。優先順位と時間計画の段取りは、何の仕事も同じであり、実は、この日本風「段取り」という取り組みを世界に発信することで日本のソフト文化を広められるんじゃないかと考えている。とにかく、選挙はあれもこれもやる事は山のようにある。一つ一つ片付けて処理していくしかない。大切な事は、イメージして事にあたることだと思う。予測や推測しながら段取りすることからしか始まらない。

妻の実家や自宅には妹夫婦、また田川高校サッカー部OB戦や挨拶まわり。不休の正月三が日だったけど束の間の休息も頂いた。

2015.1.4



クリスマス〜子供たちの成長

4人の子どもを育てていくというのは、本当に大変なことで、でも、楽しみも4倍だと、クリスマスの日そんな事を思った。4人とも素直で元気がよく、いろんな体験をしながら、すくすく育ってくれている。3年前には長女が大学進学で家を巣立ち、今度は高校3年生の長男がまた巣立っていく。結婚した当初、田川市新町のアパートで暮らしていたのが、遠い昔のように思えてくる。初めての子供は、何をするにも手さぐり状態で、”あれもこれも”させようと、気負っていたように思う。子供が成長するってことは親も一緒に成長してきたのかもしれない・・・「子育てが親育ち」だったのかもしれない。「子供は親の言うとおりには育たない。親のするとおりに育つ」と言われるのも妙に納得してしまう。

今日はクリスマスイブ、20年間来てくれたサンタさんも昨年から来なくなった・・・でも、僕の心の中では今もあの頃あの時の様子が鮮明に覚えている。

 2009年クリスマス

 2008年クリスマス

 2007年クリスマス

 2003年クリスマス

 2001年クリスマス

 1996年クリスマス(颯行)

2014.12.24



添田小学校Day

9月28日(日)、添田小学校は日曜参観日ということで、小6の誉行(たかゆき)の授業参観に行ってきた。保護者として添田小学校に来ることができるのも、あと半年となり、親としての小学校卒業となるんやなぁーとふと思った。未悠(みゆう・大学3年)が添田小学校に入学してから通算で15年間、本当に長かったなぁーと思いつつ、当時の事を思い出すと本当に懐かしい。午後からは、添田町民体育館でPTAふれあいレクレーション大会ということで学年対抗で楽しく汗を流す時間を過ごせた。夜は、番傘で懇親会。今日一日、添田小学校Dayとなった。(神崎妻は、落合小学校の運動で、父親の出番だった。)

2014.9.28



情報発信・伝達力が活動の実績

昨日、お墓掃除をしたせいか?お盆が近づいたのか?久しぶりに親父の夢を見た。 今年で亡くなってちょうど15年になる。生前は、よく僕に仕事のこと、先祖のこと、地域のことなんかを語ってくれた。20代では炭坑で測量の職員として何度も身の危険にさらされ、30代では添田に呼び戻され役場でたばこ産業・くり園の振興に取り組み、40代では学校建築に、50代では町立病院再建・黒字化と特産物開発と、「何になったか」ではなく、「何ができたのか」「何をやれたのか」を僕に語ってくれた。小さい頃は、山に川に連れて行かれ、道なき道をカマでかき分けながら、ただ後ろ姿を追いかけるしかなかったけど、大学に入り、社会人になった頃から、そんな話をよくしてくれた。

何となく、自分自身を振り返ると20代・30代・40代とこれを成し遂げたという、どの時代も志を持って生きてきたんじゃないかと思う。50代に入り、政治の道を歩み、これまでとは違う志を持てるようになってきた。志を持つとは、将来を考え、構想を練り、そのギャップを埋めるために今何をなすべきか、ということじゃないのかと思う。

県議になって、ますます未来志向を考えるようになった。そのために、今、誰がいつまでに何をしなければならないのかを問うように努めてきた。ここが、今置かれている職業としての政治家の使命と役割じゃないのかと思う。だから、それを有権者の皆さんに伝えなければならないし、発信しなければならない。これこそが投票を入れてくれた方への恩返しであり、議員としての活動の実績なんじゃないかと思う。それでもネットでのブログや紙面での活動報告は限られていて、実は活動を発信・伝達するための情報収集・マーケティングなどは何十倍もの労力を要している。

2014.8.11



陽行15才誕生日

7月11日、田川高校で長男・颯行の三者面談。僕らの頃とはまったく違っている受験制度にびっくりしながら、学校での成績や大学受験について担任の先生から説明を受ける。長女・未悠(大学3年)の時に経験しているのに全然理解しておらず反省する。

今日(7月12日)は次男・陽行の15才の誕生日。早いもので15年の歳月が経っっている。ちょうど午後7時半ぐらいに、田川郡教育研究所で算数研究会の勉強会に参加し、「生きる力」について議論している最中に、妻から「生まれるかもしらない」と電話がかかってきた。アパートが近くだったので、直ぐに帰宅し、そのまま病院に連れて行き、午後8時に田川市の佐野産婦人科で産声をあげた。まだまだ幼いところもあるけど、中学3年生になり、背も追い越され、だんだん逞しくなってきて、親として少しうれしくもある。

 陽行10才時のメモリアルアルバム

今日は夕方から田川市新町の「あをぎり」で第16回岳南会に来賓で出席させてもらった。ここ「あをぎり」の歩いて一分のところに新婚時代のアパートがあった。そして、結婚披露宴の2次会(東京の大学時代のゼミ生たち)をここでしていた。

2014/07/12 21:53



颯行18才の誕生日(5月28日)

今日は長男・颯行(やはゆき)の誕生日。本当に早いもので18才になった。今でも生まれた時の事が思い出される。28日午後2時ぐらいに、どうも陣痛が早くなったと妻に起され、とにかく病院に行こうと準備をしていたら、急に痛くなったようで、急ぎ病院に駆け込んだ。長女未悠を田川市新町のアパートに寝かせたままだったので、心配になり、実家に電話すれど、誰も出ず、どうしたのものかと思っている時、午前3時に産声をあげた。

長女の時(小坂産婦人科)は、立ち合い出産だったけど、長男は佐野産婦人科で、廊下で待っていた。ドアに耳を当てていたら、「女の子」って看護師さんの声が聞こえ、「ありぁ〜またか」と心の中で呟いていた。そしたら、ドアが開き、看護師さんから「男の子ですよ」と言われ、僕は小さくガッツポーズをとっていた。後から聞くと、「女の子」って聞こえたのは、上の子はどちらですか?と聞かれたらしく、妻が「女の子」と言って、看護師さんが「女の子」って反復したのが聞こえたらしい。神崎家の長男として本当に良かったと胸を撫で下ろしたけど、あの頃、やっぱりそんな感じがあったのかなぁ。いろんな事が思い出されるけど、だんだんと巣立っていくのを見ていると、寂しくもあり頼もしくもあり・・・ビデオは中学生卒業時につくったメモリアル。

2014.5.28



屋久島〜かめんこ留学(誉行)最終章

平成25年度屋久島永田小学校での、誉行(小5)の1年間の”かめんこ留学”が終わった。本当は、3月28日の議会最終本会議後に鹿児島港へ、そしてフェリーで迎えに行く予定だったが、里親さんの都合や、議会後の政治活動を考えて、1週間早めて迎えて行ってきた。誉行(たかゆき)も本当に1年間、よく頑張ったと思う。姉兄3人が経験しているだけに、最初から屋久島に行かねばという本人も自覚していたとはいえ、親元を離れての生活は大変であり辛いものがあったと思う。また、たくさんの楽しいこと、友達や自然も満喫し、きっと将来に繋がることは間違いないと思う。これで、神崎ファミリーの屋久島編は最終章となり、親として一つの節目が終わったような気がする。(議会中だったため、5年生の修業式に出席させてあげられず、誉行には本当にすまなかった。)

 平成26年3月(誉行)

 平成23年3月(陽行)

 平成20年3月(颯行)

 平成20年3月(颯行)

平成16年3月(未悠)の動画はないけど、本当に不自由さを知って初めて自由の有難さがわかる。親がいなくなり親の有難さがわかるって事をこんな小さい時から体験させることができて良かったと思う。お金や時間の大切さもわかる。子供たちにも何でも与えて、何不自由なく育てていくことが良いことなのか?物があるのが当たり前から、なかったら無いなりに工夫して知恵を出す事の方が子供にとって大事なのではないかと思う。親元を離れて知らない土地で生活した。今まで経験した事のない不自由さも味わったと思う。でも大きく成長したようにも思えた。ちょうど10才は親離れ子離れの時かもしれない。

2014.4.1



妹の嫁ぎ先のお母様のご逝去

平成26年3月1日10時50分、妹(亀谷悦子)の嫁ぎ先のお母様(故亀谷榮枝子様)がお亡くなりになった。享年74歳、あまりにも突然の死で、言葉にならなく、本当に残念でならない。とても明るくて優しく、それでいて気丈なところがあり、嫁の兄ということで、選挙でも一生懸命にお手伝いして下さった。生まれは若宮町で、実は、麻生太郎先生の最初の若宮町後援会長だった、柴田得城さんの長女であり、義弟(亀谷勝弘〜田川市立鎮西中学校教頭)は孫になる。柴田得城さんは、温厚でかつ気概を持った大変な人格者であり、本当に不思議な縁だなぁと思っていた。昨日のお通夜、そして今日の葬儀・告別式、初七日と故人を偲び、親族の皆さんが集まって、在りし日のお姿を思い浮かべながら・・・人の一生は、生まれてから死ぬまでの無常の世界。人の死をご縁に命の尊さを知る。まだまだ、僕の知らないところで、いろんなご縁があり、助らえていることも知ることができた。今はただ御霊の安らかになることを祈りつつ、心からご冥福をお祈りいたします。

 平成11年4月、妹夫婦が双子の赤ちゃんと里帰り。

 今度は父の代わりに僕が亀谷家にお祝いに。

2014.3.3



長女未悠の成人式

1月12日(日)、田川地域の各町村では消防出初式や成人式が行われた。体は一つしかなく、出席できないところは祝電を打っているけど、7ヵ町村もあると本当に行事が重なり大変。長女未悠も今日は添田町成人式で長崎から昨日帰宅していた。子供の前で来賓として挨拶するのも何となく気が引け、添田町121人が成人を迎え、90人が出席していたけど、名簿を見るとかなりの名前を覚えていた。保護者の皆さんもみんな知っている人ばかりで、本当に感無量というか、「生まれてくれてありがとう」という想いで、晴れ姿を見守っていたんだと思う。・・・アッという間の20年、それでいて、様々な出来事や子育ての想い出が走馬灯のようによみがえってくる。

2014.1.12



誉行(たかゆき小5)、最後の屋久島へ

1月7日、三男誉行が屋久島の”かめんこ留学”に戻った。あっという間の冬休みで、それでも年末の北海道スキーに行ったおかげで十分に休みを満喫できたんじゃないかと思う。宿題も何とかできたようで、有効に時間を使って頑張っていた。残すは3学期だけとなり、これで親として4人の子供たちには、同じように体験させてやることができ、チャンスの平等の役割は果たせたかなぁ。でも、結果はそれぞれ違ってくるから、これはこれでまた面白い!子ども以上に親も辛くて、苦しくて、葛藤のようなものがあり、正直、何であえてこの道を選ぶのかと思ったりする。きっと、そんな生き方を子供たちもしていくような気もする。
”かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂”

長女未悠の時は、飛行機に乗せるという発想がなかった。鹿児島港まで送って、里親さんに宮之浦港まで迎えて来てもらっていた。

誉行(2014年-小5)

 陽行(2011年-小5)

 颯行(2008年-小5)

福岡空港まで見送りの後で、県議会棟で仕事の打ち合わせ、その後、飯塚市のコトブキで毎年恒例の公明党新春賀詞交歓会に出席してきた。

2014.1.7



平成25年12月31日誉行11才!

ゆく年くる年、大晦日に生まれた誉行(たかゆき小5)も11才となった。1年間の屋久島”かめんこ留学”で何となくたくましくなったように思う。12月24日に帰省し、27日から30日までは北海道のルスツスキー場で、スキー・スノボーを体験させてきた。ルスツは実に6年ぶりであり、神崎妻の6年間のルスツ貯金を使わせてもらった。家庭環境が一変したから仕方がなかったけど、上の子供たち3人と比べると、九重のスキー場を含め、あまり連れて行ってやれず、かなり遅れをとってしまったと思う。

皆さんのご家族のご健康を心からお祈り致します。良いお年をお迎えください。

過去10年間の年賀ハガキです!(^^)!

 平成25年元旦

 平成24年元旦

 平成23年元旦

 平成22年元旦

 平成21年元旦

 平成20年元旦

 平成19年元旦

 平成18年元旦

 平成17年元旦

 平成16年元旦

平成26年活動報告はこちらからです。

2013.12.28



サンタは心の想い出に

12月24日、誉行(たかゆき・小5)が屋久島から帰省した。久しぶりの誉行の笑い声、言葉は何となく屋久島なまりになっていて、相変わらずよく喋る。家族みんなの笑顔と笑い声で、家の中が一気にパァ〜と明るくなる。2学期は結構長く、殆ど電話連絡もしなかった。3学期はすぐに終わるから、本当によく頑張ったと思う。1月7日までの短い期間の帰省、年末は北海道(ルスツリゾート)にスキーで、ワイワイガヤガヤ、ワクワクドキドキ、賑やかな年末年始にしよう。

今年からもうサンタのおじさんは我が家にはやってこない。去年までが限界ギリギリだった。20年間、アパート時代からサンタさんは毎年やってきたけど、本当に楽しまさせてもらったなぁ〜。想い出を心の中にしまって、一つひとつ親としての役割が終わっていくのかなぁ。まだまだ、先(親のつとめ)は長いけど、今、子どもたちにできることを精一杯体験させてあげたい。

 2009年クリスマス

 2008年クリスマス

 2007年クリスマス

 2003年クリスマス

 2001年クリスマス

 1996年クリスマス(颯行)

2013.12.25



9月20日、51歳になり・・・

9月20日、51歳の誕生日を迎えた。何となく、”51歳”と活字にすると、ちょっと年齢を感じるなぁ。昨年の誕生日のブログ(50代の大台に乗って)を、読み返してみたら、
”とにかく、年相応の振る舞いと、それでいて30才前後のようなエネルギッシュな行動力と、40才代の探究心を兼ね備えよう。気力・体力・経験とも充実した50代になろう。これまでの経験と人脈を活かし、新しい可能性を見出すことができる世代と言われるように頑張ろう!周囲にも大きな影響力を持てる世代でもあるから、幅広い世代の人たちの意見やアドバイスに謙虚に耳を傾け、リーダシップとマネジメントで組織を引っぱっていかなければならないと思う。そう、僕らの中間世代は、二つの違う異文化に挟まれている。何が大事で、何を優先的に取り組んでいかなくてはいけないのか、判断力が要求される年代だと思う。”
と立派な決意をしていた。本当にその通りのことができているか、できていないか。初めて選挙に挑んだ前年の誕生日
44歳の時「9月20日誕生日に思うこと」、”たかが人生 されど人生”一度の人生だから、いくつになってもチャレンジはできるんだと、今改めてそう思っている。

たくさんのBirthdayメッセージをありがとうございました。あんなに多くの誕生日のお祝いの言葉をもらって感激でした。多くの皆さんの期待に応え、世のため人のために何ができるのか考え、実践していきたいと思います。どうぞ、今後とも温かく見守ってやって下さい。

9月20日県議会各会派の代表質問が終わり、閉会後に県文化議連主催の筑豊交響楽団軽音楽部・アンサンブルPiu(ピウ)のコンサートが開催された。

その後、17時からベルセゾンナカムラで田川地区進出企業協議会総会&懇親会に来賓として出席するために急ぎ車を走らせ、ぎりぎり間に合った。

21日(土)は、スポーツフェスタ・ふくおか「第56回福岡県民体育大会秋季大会」が田川市総合体育館で開会式が行われ出席する。

そう言えば、9月21日は安倍総理大臣の誕生日であり、昨年はソラリア西鉄ホテル開催された、「安倍晋三総裁候補を支援する会」に参加してたなぁ。9月20日は、麻生太郎先生も誕生日であり、同じ日というだけで何となく幸せな気持ちになってくる。

2013.9.20



妻の格言?いや、名言!

今朝は、家族みんなでお墓参りをし、掃除をして、お仏壇に手を合わせ、ご先祖様をお迎えした。それから、初盆参りに出かける。9時半から6時半ぐらいまで、ぞっとするくらいの数だったので、帰宅した時にはグッタリしてしまう。とても暑かったので、お風呂に入り、ビールを浴びるように飲んでいた。妻と話しながら、何となく我が家もお盆を迎え、親父の格言の話を思い出した。父の言葉は、僕の人生に大きな影響を与えていたように思う。実は、facebookで、これまで”人生で影響を受けた方・出来事・言葉・本”というカテゴリーでアルバムで登録している。そうだ!親父が僕に語ってくれた言葉をどんどん書き残そう!それをまた子供たちに伝えていこう。そして、僕も子供たちの人生に影響を与える言動を心掛けよう、そう思った。すると、妻は僕に言った。「子供たちに夢を語って!私は生活を語るから!」妻の格言?いやぁ〜名言だなぁ。 間違いなく、僕の言葉もよりも説得力がある!

2013.8.14



あと10日もすれば・・・

もうすぐ子供たちは夏休みに突入する。あと10日もすれば、屋久島”かめんこ留学”に行っている三男誉行(たかゆき・小5)が一時帰宅する。よく一学期頑張ってくれた。最初は毎日電話をかけてきて、直ぐに折り返し電話をしていたけど、近頃はまったく、かかってこなくなった。末っ子だから、家にいる時は、ある意味、何でも思い通りになっていたと思う。でも、他人の家では思い通りになるはずもなく、かなりの辛かった事だと思う。本当に過酷な試練だったと思う。姉・兄の3人とも1年間の留学を経験しているから、誉行だけ行かなかったら、きっと、いや必ず姉兄からバカにされるに違いないから、何が何でも、避けて通れない道だった。

「かめんこ」in永田(屋久島)のホームページに誉行の写真が掲載されていた。親の知らないところで、こんなに逞しく、頑張っている姿を見ると、涙が出てくる。子供でさえ、こんなに頑張っているのに、親として何をやっているんだ。もっと、しっかりしなくては!と思う。”子育ては、親育ち”と言われるけど、一人ひとり、成長していく我が子を見ながら、未だ成長していない自分が情けなくなってくる。もっと、リスクや責任を負って、世のため人のために尽くす背中を見せていかねばと強く思う。親父の生き方に触れさせ、理屈じゃなく、感動で子供が自己を奮い立たせ、自らの行動で変容を導くような生き方をしていきたいものだと思う。

約4ヵ月の一学期を乗り越えた誉行に会うのが今は一番の楽しみである。

 一番左端で(僕らは参加できず、1人で・・・)
4月7日夜、永田区民は留学生を歓迎するために公民館に集った。「かめんこ」の一人一人が"はつらつ挨拶" 。そして実親、里親が順に語る。
歓迎会は大いに盛り上がりました。地元の子どもたちは「想い出の永田」の歌で迎える気持ちを伝えてくれました。

 鍬を押している誉行
4月9日(土)、田の提供者=徳永さんの好意で今年も「田植え」を行いました。
稲刈りの7月まで2〜3度の草取りも子どもたちでおこないます。5月13日(土)に1回めの草取りを実施。「車押し」もうまいものです。ギャラリーの大人たちも感心していましたよ。
永田の稲刈りは早い。夏の実りが楽しみです。今年末には、収穫されたコメで子どもたちによる餅つきも行う予定。

2013.7.13



丸坊主〜お願い!今日は5枚にして、3枚はやめて!

土曜日の夕方、大学2年生になる長女が久しぶりに帰省した。今日(7月7日)午後から、来年1月の成人式を迎え、振袖の予約を早めにしないと間に合わないということで、妻と一緒に付き添って、小倉の衣装屋さんにきた。どの振袖も艶やかで、色や柄も豊富だから、正直どれがいいのかわからず、途中退席し、二人で決めたみたいだった。ここのシステムは会員になると、8年間8回まで無料でレンタルできるシステム。添田町の成人式の他、高校時代のパーティもあるそうで、大学の卒業時や謝恩会・パーティー時のドレスも必要だからということで決めたらしい。そう考えると、貸衣装じゃないと無理だなぁと思った。とにかく、一応これで懸案事項は1つ片付いた。

久しぶりの小倉だったから、インドカレーのお店”ガネーシャー”で食事をする。昔はよく行っていたけど、子供たちは初めてだったから、あの”ナン”の大きさとカシミールの辛さに、少々びっくりしていて、一緒についてきていた高校2年生の長男も腹一杯になったようでご満悦だった。ところで、もう一ヶ月になるかなぁ、高校生の長男が、どういう訳か?丸坊主にしていて、なかなか高校生の坊主というのは、清潔感があっていいと思う。中学生の時、「坊主がいいぞ」と勧めたけど、「絶対に嫌だ!」と言って譲らなかったのに・・・高校の先生からは、「神崎、気合が入っちょうな!」と言われ、ただ、近所の人からは、「何か悪いことしたんか?」と言われたそうで、可笑しかった。
僕らの時は、中学生になるとみんな丸坊主だった。一度、親父に聞いたことがあったなぁ。「何で、中学生だけが坊主にならんといけんと?」すると、父は、「中学生は、体も大きくなっていくから、大人なんか子供なんか、ちょっと見ただけじゃわからんやろうが。大人に間違えられんように坊主になるんたい。」 「な〜るほど」何となく説得力があるその言葉に、中学生は丸坊主にするのが当たり前なんだと妙に納得し、父から月に一度、バリカンで刈られていた。「お願い!今日は5枚にして!3枚はやめて!」中学生の僕と父との格闘だった。

2013.7.7



誉行からの便り

6月18日一般質問も2日目に入った。お昼の休憩時には、福岡県果樹振興議員連盟総会(会長:出利葉県議)があり、副会長を仰せつかっているので、平成24年度事業報告・決算報告、平成25年度事業計画(案)・収支予算(案)について説明させて頂く。終了後、福岡県過疎地域活性化対策福岡県議会議員連盟総会も行なわれた。また、本会議終了後には、国連ハビタット福岡本部の深澤良信本部長の講演会。まちづくりの国連機関、国際連合人間居住計画(ハビタット)の取り組みについて詳しくプレゼンが行われた。その後、来客もあり、いろいろ所用も重なる。

昨日、1年間の”かめんこ留学”で屋久島に行っている誉行(たかゆき・小5)からうれしい便りが届いた。父の日という事で書いたのか、下手くそな字で、でも一生懸命に書いた様子が手に取るようにわかる。漢字も間違いもあり、何となく子供らしくもあり、うれしいような・・・寂しいような・・・「ぼくもげんきです。」という言葉に、きっと寂しいやろうなぁと思ってしまう。そう言えば、上の子供たちもみんなハガキで書いてきたのを思い出した。暇な時に探してみよう。

 誉行からのハガキ(2013.6.16)

陽行からのハガキ(2010.6.15)

2013.6.18



県立育徳館へ、そして県立田川高等学校へ

6月8日土曜日、中学校2年の子供の体育祭で育徳館へ。妻育子が仕事(福教大小倉付属)で、一人応援に行ってきた。中高一貫教育校ならではの体育祭で、中学生の思春期の不安定な時期に、少し大人びて落ち着いた高校生と一緒だから、礼儀正しく、清々しいなぁと思う。お弁当を一緒に食べるところまでいてあげて、午後からは田川へ戻る。

田川で所用を済ませ、15時から田川高校で岳陽同窓会本部事務局との総会打ち合わせ。10月26日総会に向けて、実行委員会の体制や進捗等の報告と確認を行った。この日、田川高校では文化祭が行われていて保護者も含めて賑わっているようだったけど、時間が全然なく見れなかった。夕方18時に急遽、お通夜があり久留米まで行ってきた。

6月10日、IT関係者の来客や議員総会、そして地元田川から陳情依頼が2件あり、県庁行政棟で打ち合わせをする。できる時はいいけど、できない時は何となくやるせないなぁと感じる。今の僕にできることは、人と人をつなぐことであり、双方の意見に耳を傾け誠実に対応することなんよなぁと思う。

2013.6.10



どうして、あえてこの道を選ぶのか?

家族も新しい生活に慣れてきたかなぁと思っていたら、妻育子が今週から6週間の日程で国立福岡教育大学付属小倉小学校・中学校に実習で行く事になった。毎朝、4時半起床で6時には家を出なくてはいけなく、夜も遅くなり、時間的なものに加え、仕事量も体力も精神的にもかなり苦労しているようで、帰宅していろいろ話してくれる。いろいろ課題もあるようで、まぁ、行ってみたり、やってみないとわからないし、自分で選んだ道だから、やり遂げることが何より大事。それにしても、よく頑張るなぁとわが妻ながら感心している。

誉行も屋久島に行ってしまい、別に留学しなくても良かったのに自分から行くと言い出したし、家族みんなそれぞれが、あえて苦しい道を選んで進んでいる。正直に言うと、苦しいとか苦労とか、選択した時にはわからないもので、体験や経験しないと実感がわからない。”どうして、あえてこの道を選んだの?”と聞かれても、「・・・」「だって、わからんやったもん!」 妻の大学院へのトライに相談を受けた時、「いいやん!やり、やり!」って軽く返しただけで・・・そう言えば、僕が政治への道を妻に話した時も、「いいんじゃない」と軽く言われたようだった。何でこんな感じになっていくのかなぁ〜とふと考えると、どうも、ここに原因があるような・・・でも、あくまでも自分で選ぶわけだし・・・

若い時にする苦労は必ず貴重な経験となって将来役立つから、求めてでもするほうが良いという、”若い時の苦労は買ってでもせよ”という言葉があるけど、もう若くないしなぁ。でも、人生80・90年とすれば、まだ30・40年もあるわけだし、経験が人をつくるという想いで人格を磨き、新たな能力を身につけて、成長していくしかないと思う。経験こそ、人生そのものやから、”努力は秀才をつくり、苦労は人物を創る。”この言葉を信じよう!

2013.5.13



タカの教育を実践したい!

5月2日、屋久島に行っている誉行(たかゆき小5)が三泊四日で一時帰り、福岡空港まで迎えに行ってきた。初めて一人で飛行機に乗ったから興奮したんじゃないかと聞いたら、寝ていたとの事で大物やなぁと少し親バカ。今は屋久島-福岡の直行便があるから、約1時間10分の飛行時間となっている。上の子供たちは、連休中に僕らが屋久島に行っていたけど、今回は家族の日程が合わず、屋久島に行けなかった。すると、「大丈夫、僕が一人で帰るから」と。4人目とはいえ、誉行にとっては初めて親元を離れての生活だし、5年生10才とはいえ、まだまだ子供。家族がやっぱり恋しい時期。(本当は親の僕らが一番恋しい)夏休みまで、ずっと会わないのは、これまでの経験からちょっと厳しいと思っていた。5月の連休という目標があればこそ、1ヵ月我慢できたんだと思う。1ヵ月できたら次は夏休みまでの2ヶ月、そして2学期の4ヵ月と徐々に伸ばせば大丈夫。親っていうのは、どんな時でも子供を心配するもの。まるで、鷹(タカ)の教育のようでもある。

動物の教育で引き合いに出されるたとえで
猫の教育は、猫は子猫の首根っこをくわえて、親が子供を自分の連れて行きたいところに連れて行く。子供自身は、何ら自分の意思を発揮するところがない。
猿の教育は、移動する時どうするかというと、子供が親のお腹に抱きつき、母親は自分が行きたいところに連れて行く。要は行きたいところに連れて行くのは母親の意思で、子供はある一定の努力をして、ついていかなければいけない。子供はある程度努力はするが、親がだいたい面倒をみる。
鷹の教育は、子供がある一定の大きさになると、自分で餌をとるために、子供の鷹を後押しして巣から落とし、自ら飛ぶようにする。子供の鷹は、自分で努力をして飛んで、餌を捕まえようと自ら練習する。親の鷹は、子供の鷹が危うい時や危機に瀕した時にだけ、手を差し伸べて助ける。
子供の成長を促進できるようにするためには、どの教育がいいのか。言うは易し、行うは難しだけど、僕らは、タカ(鷹・誉)の教育を実践したい!

上の兄二人は、今度の帰郷に、「甘やかし過ぎやろう!」と言っているが、自分たちがどのくらい泣いていたか、もう忘れちょう。誉行に、「連休は屋久島に行けんもんねぇ、ごめんね。」と言うと、「大丈夫、僕が帰るから」って言い返してきた。今までの姉兄にはなかった発想だった。そして、家に帰ると、「たった1ヵ月、家におらんやっただけで、お風呂がこんなに広い、犬がおおきくなっとう(里親さん家は猫を飼っているので)、洗面器が小さい」とか、いろいろ比較して発見している。今までの姉兄にないパターンにとても驚いている。(親バカほどありがたいバカなない・・・本当に!)

2013.5.2



伯父さん(神崎義生氏)のご逝去

4月6日23時9分に、亡き父(神崎次彦)の兄で、神崎家の長男であった神崎義生伯父さんがお亡くなりになった。昨日(7日)のお通夜、今日(8日)の葬儀と、母と妻を連れて熊本まで往復した。昨年の12月にお見舞いに行った時には、まだしっかりしていたのに・・・享年83才、本当に残念でならない。従兄弟たちを見ていると、自分が父を亡くした時を思い出し言葉に詰まる。父親の存在は本当に大きく、仕事ではもうそんなに相談する事はないのに何となく後ろ盾をなくしたような、そんな存在が父親のような気がする。

神崎義生伯父さんは、僕の祖父(神崎日義・明治39年4月9日生‐S52.3.18)、祖母(敏代・明治43年2月20日生‐H16.4.1)の長男(5人〜長男・長女・次男・次女・三女)として、本当に神崎家の指針を示してくれたような大きな存在だった。僕の父・次彦もいつも「兄ちゃん、兄貴」と頼っていたのを思い出す。明治大学商学部を卒業され、西日本銀行に入行し、各支店を歴任され、熊本支店長から、最後は飯塚支店長だったと思う。退職後は、当時の最盛期の壽屋の常務として勤務され、熊本に移住された。僕が選挙に出るにあたって、明治大学校友会の懇親会に参加させてもらっているのも、選挙対策事務局長をして頂いた中村國雄さんが、明治大学出身で、伯父(神崎義生)と浦田県議(田川市)のお兄さんと一緒の下宿だったという不思議な縁もあったから。懇親会では、いつも伯父(神崎義生)や従兄2人が明治大学という事を引き合いに出し、明治大学を2校を受験した(桜が散った)神崎聡です、と挨拶させてもらっている。

添田町にも伯父さんの同級生もおられ、また銀行時代に伯父さんから助けてもらい恩がある、大変お世話になったという方々方もたくさんおられ、選挙で回っていて、僕の知らないところで活躍された親戚縁者の皆さんから助けられているんだと、気付かせてもらった。在りし日の伯父さんをお姿を思い浮かべながら、今はただ御霊の安らかになることを祈りつつ、心からご冥福をお祈りいたします。

 2010年3月8日の自宅での法事で〜僕の隣に義生伯父さん

2013.04.08



屋久島留学とやり残した宿題

誉行(たかゆき新小5年)がとうとう屋久島の行ってしまった。姉兄3人が10才の時に1年間留学しているから、僕も行かねばと子供ながらに決心したんだと思う。(屋久島かめんこ留学の面談に)

あ〜それにしても本当に寂しく切なく・・・妻曰く「何でこんなことになってしまったんやろう?」最後の別れ際、無理して作り笑顔をしていた誉行君を見て、車で走らせた瞬間から、ドッと涙が溢れてきた。4人ともそうだったけど、あえてこんな辛い事をさせてしまって・・・10才は親離れ子離れとかっこいい言葉は出てくるけど、本当はずっと一緒に暮らすのがいい。きっと将来、何かのためになると言い聞かせ・・・たかゆき、頑張れ!父もお母さんも、離れていても心はいつもそばにいるからね。

颯行・陽行、2人とも屋久島一周のサイクリングをするため一緒についてきた。ずっと前にチャレンジした屋久島一周約100kmのサイクリングを途中で断念していたので、やり残した宿題を終えるためだった。8時間かけて、アップダウンの山道・海岸通りをやり遂げた。あえて過酷なチャレンジをした2人に拍手を送ろう!自ら試練に挑戦するその姿は本当に素晴らしい。「素晴らしい人生じゃないかもしれない。でも、素晴らしい生き方を見つけてもらいたい」と思う。

2013.4.2



従姉妹弟たちと・・・束の間の楽しい食事

予算特別委員会も明日(22日)ですべての審議を終える。と言っても、来週の知事保留質疑が残っているけど・・・19日夜、久しぶりにラ・ロッシェル福岡で従姉たちと食事をする。関西の従姉の�螢譽奪�・KSGグループ社長の高橋泉さんと子供の光君、宮若市のなびき苑でドクターをしている田中由美さん、医療法人笠松会有吉病院理事長をしている田中圭一君の姉弟、 僕の父方のいとこは、全部で13人いて、僕はちょうど7番目。みんなぞれぞれの分野で活躍しているから、本当に頼もしいと思う。初めてじゃないかなぁ〜この4人で食事をするのは。おばあちゃんも亡くなってしまったから、なかなか顔を会わせる機会がなくなってしまった。

そう、僕の左隣は仕事仲間で�衒―�の河野孝雄社長で、今度、弟さんの河野義博さんが参議院に出馬される。全然、選挙と関係なかったのに、不思議な感じがする。

2013.3.21



結婚20年を振り返り

2月27日、今日で結婚して丸20年になってしまった。本当に、山あり谷あり、涙と笑いの20年だったように思う。正直、安定・安心・安住とは決して言えず、常に安定せず、不安な日々で、失敗し、くじけて、試練の連続だったと思う。でも、妻がいて、子供たちに恵まれ、ん!間違いなく、家族が支えになってくれた。だから、つらい想いよりも、楽しい思い出がどんどん湧いてくる。いやぁ〜20年って短いようで長いようで・・・いろんな事があったんだ。大学生の長女から今日結婚記念にという贈り物が届いた。アルバイトのお金で買ったんだと思うけど、子どもから貰うなんて初めてやなぁ。神崎妻は、泣いていた。

2013.02.27



1/2の成人式

10年前(平成14年12月31日)の大晦日の午前8時20分、添田町の中山産婦人科で誉行(たかゆき)が生まれた。今日で2分の1の成人式。本当にあっという間の10年だったけど、いろんな事があり過ぎて、短くもあり・・・長くもあり・・・来年4月からは姉兄同様に屋久島のかめんこ留学で、心身ともにたくましく頑張れ!(きっと最初の1週間は泣き続けると思うけど・・・)何もしてあげられず、ただただ見守るしかなく、今のままで子供らしく素直に成長してほしいと願う。今朝起き来ると、あの時と同じように雪の舞っていた。

2012.12.31



志国(四国)への旅

念願がやっと叶った。高知土佐(龍馬と桂浜)へ連休を利用して行ってきた。四国へは仕事で、愛媛(松山)・香川(高松・さぬき)・徳島(鳴門)に2・3度訪れたことがあったが、高知にはなかなか機会がなかった。2ヶ月以上前から計画していて、急な衆院解散でどうなるか心配だったけど予約がパーにならずに良かった。(もし投票日が一週間遅れていたら行けなかった)

高知龍馬空港に到着し、乗り捨てレンタカーを借りて、龍馬の聖地桂浜へ。途中、武市半平太(武市瑞山)の旧宅とお墓(瑞山記念館)に立ち寄り、幕末志士たちの歴史を学ぶ。高知県立坂本龍馬記念館でも龍馬の手紙や軌跡、お龍の人柄なんかも掲載されていた。桂浜に着くと、昭和3年に建設された巨大な坂本龍馬像が立っていた。高さは、5.3mで台座を含めると13.5mもあるから見応えがあった。そして、さすがに黒潮波が高く荒々しかった。そして、生まれ育った上町にも足を運び、高知市立龍馬の生まれたまち記念館にも入館してきた。天守閣と追手門が残っている高知城も素晴らしかった。子供たちも初めて登った天守閣で何となく歴史を感じていたようだった。高知城近くには、熱気あふれる巨大屋台村”ひろめ市場”で土佐名物を食べ、かなり満足。夜も高知城のイルミネーションを見てきて、初めての高知を満喫していた。

2日目は、祖谷・大歩危(おおぼけ)で大歩危峡観光遊覧船で、エメラルドグリーンの清流や峡谷を見ながら船頭さんのガイドを聞いた。すぐ近くの妖怪屋敷はあまり大したことはなかったなぁ。ここでのメインは、何と言って、かずら橋と小便小僧で、どちらも絶景な場所で、やはり訪れてみないと写真を見るだけじゃ、素晴らしさはわからんなぁと思った。ここから、こんぴらさんまで1時間半ぐらいだったと思うけど、途中、細い山道を登った山中というロケーションで知られている純手打うどんの店”やまうちうどん”を探して行く。かけうどん小で200円で、麺とダシが”あつあつ””ひやあつ””ひやひや”から選べて、しっかりとしたコシで本当にうまかった。こんぴらさんへのお参りも初めてで、御本宮までかなりの階段で、膝が笑っていた。幸福の黄色い金のお守りも戴き、参拝してきた。ここから、四国霊場八十八箇所めぐりの88番大窪寺に着いたのが17時。小雪が舞い、かなり寒かったけど、ぎりぎり間に合って良かった。宿は徳島駅前に泊り、近くの居酒屋で食事をする。

3日目は、発願の寺「一番さん」1番霊山寺へ。そして、近くにある第九の里(鳴門市ドイツ館)に立ち寄った。知らなかった、第一次世界大戦で捕虜となったドイツ兵が暮らした、坂東俘虜収容所(ばんどうふりょしゅうようしょ)。第九日本初演の逸話を紹介するシアターがあり、ガイドさんからのお話でとても勉強になった。次は、大塚国際美術館に行ってきた。大塚国際美術館は、これで4回目となる。一度家族に是非見学させたかった。フランスのルーブル美術館やローマ・バチカン市国、ロンドン大英博物館等々、海外に行く機会があったから本物を見てきたが、家族はそんな機会もなく、だからここに来れば世界中の美術館の名画をリアルに体験できると思っていた。子供たちは、あまり興味なさそうだったが、さすがに妻は喜び、連れてきた甲斐があった。最後は、鳴門でうず潮クルージング、うず潮に大接近できる高速観潮船に乗船した。ちょうど満潮時だったので一番いい時間帯に乗船できた。あっという間の3日間だったけど、とても充実し有意義な旅になった。妻にも子供たちにもいい機会だったと思うけど、自分自身にとって何のために政治家を志を立てたのか、地域振興・企業誘致・新産業創出、原点に立ち返って、自分の為すことを確認する旅でもあった。折しも、新しい政権となり、これまでの経験・人脈が生かせる環境ができているようにも思う。これも巡り合わせなのかなぁ〜。時代が必要とする人材にならねば・・・

2012.12.26



屋久島かめんこ留学の面談に

1ヶ月以上前からの予定(予約日程)であり、11月17日17時から、末っ子の誉行(たかゆき・小4)の、来年度屋久島永田の”かめんこ留学”の面談があった。妻と3人で16日(金)夜にワンボックスで一路鹿児島へ、5時間かけ夜中に鹿児島港に到着した。車中で仮眠し、早朝コンビニで朝食を調達、いつものように8時20分出航のフェリー屋久島2に乗船する。強風でかなり波が荒く、久しぶりに船酔いしそうで、2等席で寝たり漫画を読んだり、船中のサウナ風呂に入ったりしながら、4時間半の船旅。屋久島ではレンタカーで島を一周しながら、空港の目の前の”まんてん温泉”と”平内海中温泉”で入浴し、大川の滝で大自然を満喫してきた。(毎回同じパターン)

時間も計ったように17時前に永田小学校に着き、かめんこ事務局の方4人と学校長・教頭先生との面接があった。これまで3人の子供たちがお世話になっており、それぞれの子供たちの近況も報告できて良かった。来年は5年生ということもあり、競争率も高いと思うけど、是非とも屋久島の大自然で1年間鍛えてもらいたいと思う。最初の子供が初めて屋久島に留学した時、誉行はまだ生まれて3ヶ月だった。そう考えると10年というのはアッという間でもあり、長い時間でもあるなぁと思う。4人が僕ら親の知らない世界で共通の話題で盛り上がるのは、何ともほほえましく、子供たちにとって間違いなく第2の故郷に屋久島はなっている。

 校長室での面接の様子

 お馴染みのグランドの中にある”せんだんの木”

 何度行っても素晴らしい大川の滝(おおこのたき)

過去の屋久島かめんこ留学の想い出

 最初の選挙のパンフレットにも掲載(長女未悠のかめんこ留学〜誉行まだ0才)

 長男颯行のかめんこ留学(H19.4〜H20.3)

 おもいでの永田

 地域の行事にも参加して。

 

 次男陽行のかめんこ留学(H22.4〜H23.3)

 選挙戦真っ最中だったので父は行かれず・・・

かめんこ留学のとは、平成16年の「統計福岡」の随想に、福岡県企画振興部調査統計課から原稿を依頼され書いていた。その時「夢からはじまる」とタイトルをつけて書いた。夢を持つことは、それを実現するために努力することであり、壁に当たった時にそれを乗り越える精神力をつける源である。人が育つのは、この”夢”を持っているからであり、”夢”の大きさによって、人もまた大きく育っていく。子供たちにはそんな生き方を学ばせたいという思い、かめんこ留学も将来夢を実現するための、精神力・根性をつけさせたいという気持ちで送り出した。この時、自分が選挙に出ようなんて、これっぽちも考えてもいなかった時だった。結局、夢の実現のための精神力は僕自信がつけなければならなかった。親が自ら実践しないと子供は育たない。

2012.11.19



お前が選んだ道やろうが

11月10日、今年もこの日が来てしまった。今日は父の命日であり、午前8時57分に豊前市で亡くなったあの場所に行ってきた。ここに来るといつも父に話しかけている。「平成11年だから丸13年になるのか〜。13年、いろいろあったんよ。本当に」そう言うと、父のあの声が聞こえてきた。「お前が選んだ道やろうが」と・・・僕は「うん」とうなずいた。

生きていたら、1月1日で満80歳になるけど想像ができない。父は66才のままで、僕の心に今も存在している。

2012.11.10



夏休み家族の休日

8月10日、一ヵ月前から予定を組んでいた家族day。家族全員が揃う日なんて、なかなかできないから本当にみんな楽しみにしていた。午前中、仕事(?)を兼ねて福岡市動植物園に行く。県庁自然環境課の課長が、動物園のサル山の件で連絡を取って下さり、動物園の施設係長さんにレクチャーして頂いた。動物園のニホンザルは、小豆島の野生ザルを捕獲し、既に20年以上経っている。サルの飼育方法や日常気を付けていること等の話を伺う。そして、ベトナムの動物園にサル山を造る場合に参考となる設計図を見せてもらいながら、自分なりにサル山の構想を練っていた。実は先日、到津の森公園にも行ってきて、係りの人からいろいろ参考となる話をヒヤリングしてきていた。ここまで来たら何としても成功できるように頑張らねばという想いをしている。

 福岡市動植物園

 到津の森公園

午後からは、西戸崎まで行き、マリンジェット(ヤマハ)を楽しんできた。子供たち(陽行・中1、誉行・小4)も、もの凄く楽しみにしていて、3時間みっちり水上オートバイのスピード感に興奮していた。博多湾だとほとんど10分ぐらいでどこへも行けて、海からの福岡タワーやドームも見るのもまた楽しい。妻育子も久しぶりにハイテンションになっていて、連れて行ってあげて良かったなぁと思った。

長男颯行(高1)は、高校の合宿で福岡国際会議場に来ていたので、17時に車で迎えに行き、長女未悠(大学1)も長崎から高速バスで天神に着いていたので乗せて、そのまま家族そろってYahooドームへ。スーパーボックス席には、ミカサ商事上席執行役員の戸田さんが既に食事の用意もして下さり、BIZQの片岡社長夫妻と一緒にソフトバンクVS楽天の試合を観戦させてもらった。毎年恒例とはいえ(?!)、子供たちも本当に大喜びで、今日一日家族で充実した時間を過ごすことができた。ヒルトン福岡シーホークホテルでの宿泊だったらからゆっくりできた。

2012.08.12



兄弟二人で小旅行

子供たちにとって楽しみにしていた夏休みも、結局8月10日ぐらいしか遊んでやれないもんだから、弟たち2人は大学生になった姉に会いに長崎へ一泊二日の旅に出た。博多駅バスセンターまで送り、2時間半ぐらいのバス旅行。それなりに楽しんできたようだった。帰りも自分たちで高速バスに乗って黒崎ICまで乗り、妻が迎えに行く。まぁ、陽行は屋久島に”かめんこ留学”している時、一人で屋久島から博多駅まで帰ってきたから何て事はなかったと思うが、誉行(小4)は、ちょっとした冒険旅行だったかもしれない。

今日(8月8日)は、お墓掃除をし、これでお盆を迎えることができた。9時には長男が部活で足首と膝を痛めた病院に行き、他病院への紹介状とMRI等をもらいに行く。10時半、障害施設を訪問し意見交換と打ち合わせ。県庁へのアポを取り、今後の運営について話し合ってきた。11時半、別の障害施設で打ち合わせ。その後、ビストロみな川で福智町の方々とのランチミーティングを行なう。

午後3時からは、ライオンズクラブ国際協会337-A地区 3R1Z・2Zのガバナー公式訪問例会が、ザ・ブリティッシュヒルズで開催された。(地区ガバナーL松井和子)今期のガバナー提言「愛・誠実・勇気」として、会員の増強に力を入れている。ガバナーの「流した汗は、嘘をつかない」という言葉がいい。昨年度は、なかなか参加できなかったけど、本年度は今のところ何とか参加できている。100%例会と言われているけど、正直、議員になってなかなか時間の都合がつかなくなった。ここ1・2年、上田川ライオンズクラブに貢献できていない自分が歯がゆく、何となく後ろめたい気持ちがしている。

2012.08.08



完全オフのゴールデンウィーク〜充電100%

今年のゴールデンウィークは、本当に何年かぶりに何一つ行事もなく、自分と家族の時間を過ごすことができた。と言っても、5月2日までは、6月定例会の質問の骨子を考え、自分なりのシナリオと文章も考え、ある程度の形にした。それと、県政報告5月号の封筒に入れる作業等、連休明けに発送できるようにコツコツ取り組む。

それと本当に久しぶりに妻の両親とも食事ができ、選挙でお手伝いしてくれた鬼丸夫人と一緒に、これまた久しぶりの”だぼちゃん”でゆっくりと飲んできた。

ゴールデンウィーク後半は、大学生になった長女も帰り、これも何年ヵぶりに家族6人全員で小旅行。テニスや三角ベースそれに温泉にも浸かり、のんびり過ごす事ができた。友人の2家族も合流し、子供たちは、ヤマメにもチャレンジし、渓流釣りの難しさも体験したようで、ずぶ濡れになり、大いに満喫したみたいだった。

さぁ明日(5月7日)からは、東京出張で、広域行政推進対策調査特別委員会の管外視察。地方分権改革シンポジウム「国出先機関の移管実現と地域の自立」に参加する。現在、政府が進めている地域主権改革の1つに、国の出先機関の原則廃止があるが、今、九州地方知事会と関西広域連合が全国に先駆けて、地方整備局、経済産業局及び地方環境事務所の3出先機関の”丸ごと”移管を国に求めている。今回のシンポジウムは、関連法案の提出・成立に向けた機運を醸成し、一層の地方分権改革の推進を図ることを目的としている。また8日には、内閣府地域主権戦略室での意見交換を行ない帰福する。9日は広域行政推進対策調査特別委員会が開催される。以降、5月31日まで、土日も含めて、行事はすべて入っていて、連休後からエンジン全開となる。

”オフの充実がオンの活力になる” 完全オフ状態のゴールデンウィーク、心身ともにリフレッシュでき、困っている人、地域の問題、企業や行政の長年の懸案や新たな事業・ビジネスモデルを、自らの課題として果敢に挑戦し続けていく気持ちがさらに湧いてきた。気力・体力・知力とも充電100%となった。

2012.05.06



巣立ち

3月31日、家族総出で長女を長崎市まで送ってきた。もしかすると実家にはもう帰らないかもしれない、多くの親御さんは大学進学と同時にそんな想いが胸をよぎるんじゃないかと思う。僕の時も両親はそんな想いで東京の大学に送り出してくれたんやろうなぁと思った。何しろ初めての一人暮らしだし、本当にきちんと生活できるのかどうなのか・・・自由には責任を伴うし、自己管理をしっかりしながら、大学生活(青春時代)を満喫し、自分の夢に向かって頑張ってほしい。

子供たちもこうして一人ひとり巣立っていくんだなぁ〜とうれしくもあり、ちょっと寂しくもあり・・・

2012.4.1



高校合格発表

3月21日(水)、県立高校の合格発表。わが家の受験生3人で最後の結果が発表され、見事合格してくれた。本当に良かった!僕の母校である田川高等学校に午前8時50分に到着。9時なると講堂玄関に一斉に張り出され、あちこちで歓声があがった。いやぁ〜本当に良かった。これで、長女の長崎大学、長男の田川高校、次男の育徳館中学とすべて第一志望に合格でき、与えられた環境・与えられた選択肢の中で最善を尽くした結果だと、親としては本当にホッとしたというか安堵した。

2012.03.28



ピアノ発表会〜未悠”ノクターンOp.9-2”

今日、添田町オークホールでピアノ発表会(指導:中島美保先生)があり、長女未悠も「ショパンのノクターンOp.9-2」を演奏した。第1部ソロで21名、第2部は連弾で17曲が聴けて、子供たち、みんな練習の成果を発揮し上手で、とても素晴らしかった。県議会での視察では、ホールや音響施設等を見るばかりで、いつも慌ただしく駆け足で演奏なんて聴くことがないので、こんなふうにゆっくり演奏を聴くのもいいなぁ。昨年は、それこそ選挙の真っ最中だったので、帰宅してビデオでしか見れなかったから・・・高校も卒業し、4月からは大学生になり、家も離れ、巣立っていく。ピアノも10才から始めて、本当はもっと早く習わせたかったけど、親父が亡くなったり、火事になったり、屋久島に留学したりとタイミングを逃し、悪かったなぁ〜と思う。小学校の先生になりたいという想いを貫いて、大学生活を送ってほしい。

2012.3.18



結婚19年目〜風信子婚式(ふうしんしこんしき)

2月27日、今日は19年目の結婚記念日。風信子婚式(ふうしんしこんしき)と言うらしい。医師ならジルコンだそうで、日本語ではヒヤシンス。そうか、付き合い始めて20年になるのか。何かあっという間に時が流れているけど、よ〜く考えると本当にいろんな事があったなぁと次から次へと走馬灯のように蘇ってくる。特に、ここ15年は信じられない事が起こり、よく乗り越えてきたと思う。そう考えると結婚して最初の5年ぐらいの、アパート時代がほのぼのとした、ほんわかした、あの頃がとても懐かしくもあり、楽しかったような気もする。(生きるか死ぬかのような試練もなく・・・)

毎度2月27日には、今年も若かりし頃の思い出に浸って、結婚式のビデオをアップしているので、ご容赦を!

2012.02.27



節分の豆まきもあと何回?

私立高校の入試も終え、3月13日に控える公立学校の入試のみ。親は何もしてやれず、あとは本人が頑張るのみやなぁ。今日は2月3日、いろいろと想いでのある日でもある。両親の結婚記念日であるし、最初にチャレンジした選挙(平成19年)時の2月3日は、添田町民会館で決起大会も行なった。

子供たちも大きくなり、帰宅時間も揃わず、僕らはそれぞれ分担しながら送迎する。それでも、今日の豆まきは忘れることなく、神崎妻はちゃんと用意しているから、まめな性格やなぁと感心する。ビデオを撮るのはおっくうだから、写真だけ撮った。2008年・2009年節分豆まきのビデオを見ていると、本当に子供の成長は早いなぁと感じる。

 2012年節分、陽行と誉行

 2008年節分

 2009年節分

2012.02.03



旅行カバンの中を整理しながら・・・

2週間もの出張は、25才の時に日本青年会議所の青年の船(横浜港から香港・グアム)と麻生情報システムの部長時代(34才)に、NEC全国販売店会でアメリカ研修視察(ニューヨーク・ボストン・ラスベガス・サンフランシスコ)に行った時以来。それとヨーロッパは、1998年(35才)に学校の先生たちとユースホステル(ロンドン・スイス・ローマ)の旅に出て以来か。

 JC青年の船(世界平和と青年の役割)

 ”感動が主食です”

 シリコンバレー(インテル社)

 ニューヨーク図書館で

 ロンドン

 マッタンホルン・ユングフラウンヨッホ

 ローマ

今日は午後から議会棟でブラジル公式訪問の事前説明があった。遠く日本を離れ、様々な苦難を乗り越えられた福岡県人の皆さんのご苦労は、僕らの時代には想像しがたい。移住資料館も視察予定に入っているから、事前によく勉強しておこうと思う。よく考えるとパスポートも3回更新していて、海外も何十回も既に行っている。旅行カバンの中を整理しながら準備をしている横で、神崎妻はどうも割が合わないような顔をしている。ちなみに妻育子の海外旅行は、新婚旅行のモルディブだけ。

2012.8.21



すべての入学試験を終えて・・・

3月13日(火)、公立高校の入試が実施された。受験生を抱える親の気持ちって、こういうものなのかと思いながら、親は何もしてやれず、ただただ、頑張れと励ますだけで、何とも息苦しい時期だった。これで我が家も、大学受験・高校受験・中学受験とすべて終えて、後は21日の結果を待つだけとなる。新学習指導要領が3年間の移行期間を経て、今年4月から本格的にスタートするから、かなり試験の難易度も高くなってきているとのこと。今朝の新聞回答欄を見ていると、かなり記述式問題が多く、深い思考力・知識力と高い文章表現力が問われる問題になっているんだなぁと感じた。

我が家の4人の子供たち、3学年づつ離れているから、一度に受験が訪れる。3年後には統一地方選挙も行なわれるから、どんな環境で状況になっているのか想像すると・・・いやいや想像するまい、21日には春が訪れますように!

2012.3.14



大学受験〜30年前、僕は1勝5敗だった。

全国一斉に始まった大学入試センター試験。県内でも32会場に分かれて、2万4866人が志願し試験に臨んだ。長女未悠も、行橋近くの西日本工業大学で受験していて、かなり疲れたようで帰宅してきた。僕らの時は、共通一次試験が導入され3年目だったと思う。共通一次でどのくらい点数をとったのか、30年前の話だからすっかり忘れてしまっている。どこで受けたのかも忘れてしまった。とてもお恥ずかしい話だけど、大学受験は、1勝5敗だった。国公立は、北九州大学商学部を受験した。私立は、明治大学商学部の2つの学科を、中央大学商学部、法政大学経営学部すべてダメで、日本大学商学部会計学科に合格。まぁ、大学は1校しか行けないわけだから、1勝すればそれで良し。新聞で問題を眺めていたけど、殆ど解けない。本当に難しい問題を出すんやなぁと感じる。子供たちも、こんな問題を解いていくんだから、大したもんだと本当に感心してしまった。

3人の受験生を抱える我が家も、これからが本番。みんな頑張れ!

2012.1.15



学資保険のお陰で・・・

年の瀬も押し迫り、少しは家や家族の事もしなくては・・・という事で、28日は大学を控える子供の親として家族で長崎市へ。今年は4人の子供たちが、大学受験・高校受験・中学受験。お金もかかるし、子供たちの送迎も大変で、受験生を持つ家庭っていうのは、本当に大変なんだと思った。特に来年から大学生ということになれば、入学金・授業料、仕送りにその他もろもろの生活用品を揃えなくてはならず、ザァ〜と計算しただけで・・・これが現実なんだから、4人ともなれば考えただけで、ゾッとしてくる。

長女(17才)が産まれた時に、両親が出産祝いにと、お祝い金を郵便局の学資保険に入れてくれた。有難いと思いながら、ずっと先のことだし、何とかなるやろう。そう思いながら、毎月コツコツ積み立てるのがめんどくさいなぁ〜と正直そう思っていた。長男(15才)の時も同じように学資保険を手渡してくれた。次男(12才)も三男(8才)も・・・だんだん重しになってきたけど、会社もそれなりの役職に就くようになり、同時に年俸も上がり、そんなに気にする必要がなかった。でも、選挙に出馬して落選、それから4年かけて再チャレンジ。その間、家や家族への出費はすべて妻が払い続けてきた。この学資保険も妻がコツコツ積み立ててくれていた。そのお陰で、僕はと言うと、自分の身のまわりの事と選挙資金だけを考えていれば良かった。正直、日常の生活費や子供たちの学費・将来の教育費も、あまり深刻に考えず選挙に出てしまった。情けないかな!家族への責任・子供たちへの責任はまったく果たしてこなかったのかもしれない。

何れにしても、学資保険のお陰で何とかやりくりができそうで、本当にコツコツ積み立てしていて良かった。というよりも最初に開設してくれた親に感謝しなければと思う。先を見通すとはこの事なんだと思った。4人の子供たちへの責任は何としても果たさなければ・・・

2011.12.30



ホワイトクリスマス

12月24日午前中、7月下旬に県議会野球部の練習で痛めた右膝の半月板損傷で、もう5ヵ月になるのに、まだ完治していないし、やっぱり自然治癒力じゃダメのかなぁと思い、再度病院に行ってきた。レントゲンを撮ったけど、異常はないとの事で、結局暫く様子を見ましょうと言う結論だった。MRI検査をしてもらえないでしょうかと尋ねたけど、仮に検査をしても、最初に比べるとかなり回復しているので、手術とかじゃなく自然に治るのを待ちましょうということだった。ふくらはぎや太ももの内側の筋が痛いのは、足をかばっているからということで、まさかこんなに長い期間、痛い目に合うとは・・・気持ちはとても若いのに、無理ができない年齢と身体になってきたのか?太ってしまったからなのか?多分、両方なんだと思う。

今日は久しぶりにゆっくりできた。夜は家族でクリスマスディナーということで、神崎妻が冷蔵庫に残っていた食材を上手く処分して、いや料理して、豪勢な(?!)夕食をみんなで食べる。受験を控えているのに、笑いの絶えない明るい家庭だなぁと、家族に感謝!昨年は、陽行が屋久島から一時帰って来てのクリスマスだったから、本当に1年が経つのは早いなぁ。さぁ〜て、今宵はサンタのおじさんはやってくるのか?きっと、一番下の誉行のところだけはやってくるに違いない。今年がサンタの見納め最後となりませんように!

 2009年クリスマス

 2008年クリスマス

 2007年クリスマス

 2003年クリスマス

 2001年クリスマス

 1996年クリスマス

2011.12.24



楽しい時には笑顔が育ち、苦しい時には心が育つ。

楽しい時には笑顔が育ち、苦しい時には心が育つ。 人生には、実にいろいろな事が起こる。進学や就職、結婚・育児など、人生の転機となる大きな出来事を何の挫折も、波乱もなく、平穏無事に通過する人はごく稀で、自分の能力と努力だけではどうにもならない事は数多くある。神崎家に生まれたことも父とお母さんから育てられた環境も、これからまた出会える人も、逆に恵まれなかったなど、自分の実力以外の要素に大きく影響されるのが人生である。だから、人間の幸不幸を支配しているのは“運”や“縁”だと思いがちだが、それは違う。

父は、与えられた仕事で、与えられた場所で、よりよい結果を心に思い描いて、常に向上しようと全力を尽くしている。楽観的で希望に満ちている。何か困った問題が起こっても、自分の能力を試す絶好の機会だと積極的に行動している。でも、何事に対しても「どうせうまくいくはずもない」と悪い結果ばかり想像していると、消極的になって、せっかくのチャンスをみすみす逃すことになる。ちょっと失敗すると「もういい」とすぐに放り出す。幸福と不幸を分けるのは、“運”や“縁”ではなく気持ち、情熱だと思う。「うまくいく!」”運”はそう思った人に巡ってくるんじゃないかと思う。

4人の子供たち、これから、いろんな試練が待ち受けているんだと思う。受験も人生にとって大きな試練だと思う。試練は乗り越えられる人にしかやってこない。頑張れ!受験生!

2011.10.24



神崎誉行(たかゆき)君、インタビューに答える。

9月17日読売新聞朝刊、昨日添田小学校3年生が、初めての社会科見学で、マルボシ酢・松尾製菓・トライアルそして田川市石炭・歴史博物館を訪問。末っ子三男の誉行(たかゆき)も、家で社会科見学を楽しみに一週間ぐらい前から話していた。今朝、新聞を見ると筑豊欄に、誉行が掲載されていて、妻と二人で大騒ぎをした。
「たくさんの作品があってすごい。どれも丁寧に描かれていて、昔の人たちの暮らしもよくわかります。」と興奮気味に話していた。
いやぁ〜立派なコメントで、”興奮気味に話していた。”というところが、目に浮かぶようによくわかる。今日の我が家は、赤飯を炊いてお祝いだ!と興奮気味に妻と二人ではしゃいでいる。(ホント、親バカ!)

2011.09.17



夏の日の想い出(ホークスビジョンに映ったラッキー7)

企業誘致やら大手企業とのNPO設立等の打ち合わせやら、とにかくバタバタしているけれども楽しくて仕方がない。議員という立場だからできるわけじゃなくて、自分から積極的に動くかどうか、やる気さえあればあらゆる分野に首を突っ込める自由さがあるからなんだと思う。会派(緑友会福岡県議団)も束縛されているわけでもなく、組織に縛られたりすると今みたいなダイナミックな動きは絶対にできないと思う。本当は、東京や大阪、東北地方それに沖縄にも、福岡県振興のためのビジネス案件で日帰りでも飛び回りたいんだけど、時間とお金がない。本当にやりがいのある仕事を与えて下さった田川郡の有権者の皆さんに感謝しなければと思う。そして必ずこの4年間で成果を出していきたいと思う。

家族も一人ひとりそれぞれが成長したなぁと思う。家族の支え、家族の笑顔があるからこそ、外に打って出れる。明日には陽行(あきゆき小6)が少年アドベンチャーで沖縄から帰福する。たくさん想い出を抱えて帰ってくることだと思う。そうそう、8月11日にyahooドームに行った時のラッキー7でホークスビジョンに映った映像がソフトバンクから送られてきた。いやぁ〜恥ずかしいくらい、子どもたち以上に、はしゃいでしまっていた。送られてきた映像を見ながら家族で大笑い!僕の大学時代からのモットーは、”よく飲み よく遊び よく学び” 

2011.8.27



初盆参りと北野

初盆も8月13日が来る前からお参りさせてもらっいた。こんなにも、一年間でお亡くなりになった方がいることに、お盆になるといつも思う。お一人おひとりが様々な人生を歩んでこられたんだなぁとしみじみと思う。多くの人たちがこれまで大変なご苦労をされて今日がある。何としても恩返しをしなければと思った。お盆(里帰り)という事で、母の実家の伯父さんや伯母さんたちが僕の当選祝いをしてくれるという事で、14日に日帰りで久留米市北野町まで行ってきた。従弟の3姉妹もいるから4人の子供たちも一緒に連れて行く。久しぶりに北野の言葉を聞きながら、「あ〜小さい頃から、可愛がってくれて、いつも気にかけてくれているんだ」と・・・本当に感謝しなければと思う。伯父さんや伯母さんたちと話していると、何となくお祖父ちゃんやお祖母ちゃんに似てきたなぁと思った。昔の思い出に浸る時間は少しだけで、今日もずっと初盆参りだった。そして、夕方には妻と二人でお墓参りもして、ご先祖様をお送りしてきた。

夜、時間ができたので、少しfacebookを試していた。Twitterもfacebookもいろいろ試しながら、すべて連携できるようにしたいと思っている。県議会本会議も委員会視察も終わったので、県政報告を作成しなければと思っている。そうこうしていると9月定例会が始まる。企業誘致も陳情等もやらなければならないことが山のようにある。

2011.08.15



マリンスポーツ&野球観戦&学年食事会

8月11日、夏休みに入ってはじめて休みが取れて、家族全員で福岡市へ。マリンジェットで遊ばせようと西戸崎まで行ってきた。結婚する前に、小型船舶海技免状を取ったけど殆ど活かされなかった。(遊ぶ時間がなかった。) お金も時間も余裕があれば、クルージングなんかしたら気持ちが良いのに、きっとそんな事は夢のまた夢か。夕方にはYahooドームでソフトバンクVSロッテとの野球観戦。本当に久しぶりの観戦に燃えてしまった。ミカサ商事の戸田さん、それと僕の元会社のAIS(麻生情報システム)の奥山さん(社長)他社員も一緒に観戦しながら大いに飲んだ。

子供たちもとても喜んで、夏休みの良い想い出になったんじゃないのかなぁ。未悠(高3)の友達も一緒に観戦できて、日頃の大学受験の息抜きになったかもしれない。ヒルトンシーホークホテルに宿泊。家族が一緒に旅行に行けるのも、もうそんなに機会がなくなってくると思うから、貴重な時間を過ごせて本当に良かった。

8月12日から初盆参りに出かける。夜は陽行(添田小6)の学年の食事会があった。小学校1年生の時の先生も来られていて、子供たちが大きく成長しているのにびっくりしていた。子供たちも元気一杯にはしゃいで、親たちは飲んで笑って楽しい時間がアッと言う間に過ぎていった。

2011.08.13



我が家の愛犬”そうた”が脱走

今朝の雷で、我が家の愛犬”そうた”が、脱走してしまった。朝4時に雷で起きて、何となく胸騒ぎがしたので、犬の様子を見に行ったら既に姿がなく、柵を壊して脱走していた。雨の中、歩いて探しまわったけど、見つからなかった。子供たちも学校から帰宅して探し、育子も夜遅くまで車で探してくれていたが、見つからなかった。多分、家の近くにはいないと思う。添田町外逃げたんじゃないのかなぁと思う。保健所や役場には連絡はしているけど・・・きっとエサも食べておらず、どこかでうずくまってじっと迎えにくるのを待っているんじゃないのかと思う。

特徴は、真っ白でちょうど冬の毛が抜け変えています。尻尾に特徴があり、左にくるんと傾いています。吠えませんし、性格はとても大人しいです。首輪は赤色で、名前は”そうた”自宅の電話番号を書いています。もし、捕まえてくれましたらご連絡頂ければ、本当にうれしいです。よろしくお願いします。

2011.06.20



お天気に左右される5月の運動会

昨年から運動会が5月に行われるようになった。この時期は、どうしてもお天気が気になるところ。先週、5月22日(日)は添田中学校があり、途中で中断し後半種目は順延された。明日5月29日(日)は、添田小学校運動会だったけど、雨のため水曜日に順延されるとのこと。子供にとっても、保護者・家族にとっても楽しみにしているから、残念で仕方がない。颯行(中3)も陽行(小6)も学校生活最後の運動会だから、見に行ってあげたかった。中学校は妻育子が一人で見に行ってビデオに撮ってくれていたから、家族みんなで観賞した。今日は、中体連があり、バスケットの試合を見学。行事が入っていない時は、できるだけ子供たちの学校の様子を見たいと思う。今日5月28日は、颯行(はやゆき)の15才の誕生日。

2011.05.28



陽行(あきゆき)、屋久島1年間の「かめんこ留学」から帰省。

昨日3月27日23時30分、陽行(小5)が1年間の屋久島生活から無事に帰ってきた。育子たちが、迎えに行くため金曜日の夜に添田を出発し、いつもの通り車中泊で鹿児島港へ。8時30分の屋久島2フェリーで5時間かけて屋久島に到着。レンタカーを借りて、陽行がいる永田まで、約1時間の道のり。もう、何十回となく屋久島には行っているから、行動パターンは手にとるようにわかる。でも、本当に1年間頑張ったと思う。最初の1週間ぐらいは、毎日泣きながら電話をかけてきて、かなり心配したけど、立派にやり遂げて本当に大きく成長したと思う。

最後の別れをビデオを見ていると、ちょっと涙が出てくる。本当に里親さんをはじめとして、永田の皆さん、永田小学校の先生・子供たち、そして地域の皆さんに温かく見守られ、助けられ、何ものにも代え難い貴重な経験になったと思う。きっと、大人になった時、社会人になった時に、この1年間の経験は何倍にも何十倍にもなって、より豊かな人生を送ることができると思う。屋久島の皆さんから頂いたご恩を忘れずに、いつの日かきっと恩返しができる人に育ってほしいなぁと父は思う。

2011.3.28



再起をかけて!子供たちへ、そして妻育子へ。

平成19年4月8日、落選からの4年間。生活への不安、将来への不安、選挙への不安を抱えながら、父は自分自身でモチベーションを高めてきた。今度の戦いは、もう後がない背水の陣での戦いであり、田川の将来をかけた選挙戦だという思いでもある。正直に言うと、よくわからないままで挑んだ前回と違って、今度は4年間の歳月をかけ十分認識した上での選挙戦である。その分、相当な覚悟が必要だったし、かなりの努力をしてきた。どん底の中から這い上がり、選挙に勝って田川の新しい基幹産業の構築に全力で取り組みたい、新しい産業を創出したい、そういう夢と気持ちをずっと持ち続けてきた。

何で父はそこまでして選挙に出るのか?大人になった時にきっとそう考えると思う。人生は一度、だから自分じゃないとできない事に挑戦したい。自分の独自性・独創性・オリジナリティを発揮し、それを社会の役立てたい。自分が実現したい夢を一歩づつ進んでいくためには、一見、その夢とは関係ない努力が必要となってくる。人の協力が必要な時は説得し、お金が必要な時はお金を稼ぐ必要がある。人は、自分自身が持っている「夢」を実現するために努力するもんやと父は思う。

「逆境こそチャンス」と思いながら、やっぱり家族が支えがあればこそ、この4年間頑張ってきたと思う。生活費や教育費はすべてお母さんにおんぶに抱っこで、旅行も遊びもあまり連れて行ってあげられず、本当に父親としての役割を果たせずに申し訳なく思っている。でも、会社に勤務して出張で何日も家を空け、何の仕事をしているかよくわからない父よりも、毎日、いろんな人から電話がなり、家族や親戚・近所の方や多くの地域の人たちを巻き込んでいるから、少しは父の後ろ姿を目の当たりにできたんじゃないかと思う。

「大事なことはね、倒れない事じゃない。倒れても立ちあがること。立ちあがる勇気を持つ事なんよ。どんな困難な時でもそれを乗り越える精神力をつけること。ここが大切なんよ。」 大人になり社会人になった時、覚えていてほしい。人は高い目標と大きな夢を掲げなければいけない。人は“夢”の大きさに応じて成長する。

育子には本当に波乱万丈の人生を送らせてしまった。選挙は、地域の多くの人たちを巻き込み、友人・知人そして親戚縁者・家族とすべて迷惑をかけてしまう。特に育子には、こんな試練が待ち受けていたのかと、心の中で嘆いているんじゃないのかなぁ〜と思う。よく子供たちの勉強も生活にも目が行き届き、家庭を守り、仕事もきっちりとこなし・・・ありがとう!何より頑張れたのは家族が病気や大きな怪我もなく、元気で過ごせたからだと感謝している。

さぁ、明日は出陣式。田川の将来をかけての戦いに父は挑みます。

2011.3.31



陽行(あきゆき)、3学期に向けて屋久島へ!

明日(1月11日)から学校も3学期の始業式。冬休みの間、帰省していた5年生の次男陽行(あきゆき)を屋久島へ送り出してきた。4月に行った時の頃を思い出すとよく頑張って乗り越えてきたと思う。残り3ヵ月足らず、思いっきり屋久島を満喫してほしい。ちょうど3年前に長男颯行(はやゆき)も同じように3学期は福岡空港から飛行機で屋久島へ送り出した。何かアッとという間に時間が経っている。あまり成長していない親と、もの凄い勢いで成長する子供たち。頼もしくもあり、嬉しくもあり。

 3年前(2008.1.6)の颯行の巣立ち。

2011.01.10



結婚生活13年か〜!

田川の将来構想に向けた取り組みをしないといけない。基本的には既存産業と新しい技術との融合による新産業創出を柱にしていかないと・・・産学官連携、人材の育成、企業誘致や案件創出のビジョンを掲げ、この地域がもっている強みを活かし、弱みををいかに克服するかにある。そんな事はもうわかっていると言われそうだが、田川の活性化には、リーダーシップとマネジメントが重要だと思う。マネジメントが変わると地域も明るくなり活性化も進む。この筑豊は石炭で栄えセメントに転換した。いわゆる黒から白へ華麗なる変身を遂げた。今度はセメントは硬いからハードからソフトへそういった産業へと変革していく地域づくりに取り組まねばと思う。2月27日は結婚記念日。2人だったのがいつの間にか6人家族となった。このような状況にもなり、生活も一変する。全国を飛び回っている時に比べると肉体的には随分楽になったが、家族や親戚を巻き込んでいる分、今までにない悩みやトラブルも出てきた。まぁ一つ一つ解決しながら、また新しい生活スタイルを何となく確立していくのかなぁ。

2006.2.27



子や孫へ伝えたい神��家の物語

― 家系図と古文書からたどる我が家のルーツ ―

近年、自分自身のルーツについて考える機会が増えました。
父や親戚から聞いてきた話、代々大切に受け継がれてきた家系図や古文書、そして先祖のお墓や仏壇に残された記録を改めて整理してみると、神��家の歴史は、地域の歴史そのものと深く結び付いていることに気付かされます。
もちろん、ここに記す内容の中には、家系図や古文書で確認できる事実だけでなく、先祖から語り継がれてきた伝承や私自身の考察も含まれています。しかし、それらもまた先人たちが大切に守り伝えてきた「家族の記憶」であり、子や孫へ受け継ぎたい大切な財産だと思っています。

戦国の豊前に繋がるルーツ

神��家の歴史をたどるうえで欠かせないのが、櫛永家との関係です。
家系図によれば、櫛永家は豊前国山田地区に居を構えた家柄であり、現在の豊前市にあった山田城(櫛狩屋城)との関わりが伝えられています。
また、神��家に残る古文書には、豊前国を長く治めた城井宇都宮氏の由緒が記されており、先祖たちが宇都宮氏と深い関係を有していたことがうかがえます。
豊前国の歴史を語る上で、城井宇都宮氏は欠かすことのできない存在です。戦国時代の激動の中で滅びゆく運命を辿りましたが、その歴史と精神は様々な形で地域に受け継がれてきました。
神��家や櫛永家の歴史もまた、その豊前の歴史の流れの中に位置付けられるのではないかと感じています。

家紋に残された先祖の記憶

神��家の墓所や関係する家々には、「左三つ巴」と「右三つ巴」の両方の家紋が見られます。
その理由について明確な記録は残されていませんが、古くから「戦乱の時代を生き抜くために家紋を変えたのではないか」という話が伝えられてきました。
真偽を断定することはできません。しかし、一族の中に異なる向きの家紋が存在することは事実であり、その背景には私たちの知らない先祖たちの苦労や決断があったのかもしれません。
家紋は単なる模様ではなく、先祖の歩みを今に伝える大切な証でもあります。

学問と医術で地域を支えた神��家

神��家の家系図の最上部には、「神��磯右衛門」の名前が記されています。
伝承によれば、磯右衛門は江戸時代に藩医を務めた人物とされ、宇都宮氏ゆかりの寒田地区を拠点としていたと伝えられています。
もしその伝承が事実であれば、神��家の先祖は武士としての誇りを持ちながら、医術と学問によって地域社会を支えたことになります。
代々の家系図や古文書が今日まで残されていることも、先祖たちが学問や記録を重んじてきた証ではないかと思います。

明治時代、櫛永家の流れを汲む櫛永孫一氏と、神��家の流れを継ぐ神��マンとの間に生まれた日義氏は、神��姓を継いでいます。
その背景には、由緒ある神��家の家名や財産、そして先祖から受け継いだ歴史を守ろうとする家族の判断があったと伝えられています。
名字は神��となりましたが、櫛永家の血脈や歴史が失われたわけではありません。
むしろ、二つの家が支え合いながら現在へ命のバトンを繋いできたことこそが、神��家の歴史の大きな特徴ではないかと思います。

地域を支えた穴田家との縁

私の祖母・敏代の実家である穴田家もまた、地域を代表する家柄でした。
上毛町にあった穴田家には複数の蔵が並び、地域有数の資産家であったと伝えられています。
さらに家系図をたどると、中津藩家老家との婚姻関係も確認できます。
当時の身分制度を考えれば、このような縁組は穴田家が地域社会の中で高い信頼と家格を有していたことを示しているように思われます。

ご先祖様から受け継いだもの

家系図をたどると、私たちの先祖は決して特別な英雄ばかりではありません。
戦乱の時代を生き抜いた武士、地域を支えた医師、家を守るために知恵を絞った人々、そして家族や地域のために尽くした多くの無名の先人たちの姿が見えてきます。
そこに共通しているのは、「誇り」「知恵」「絆」「信頼」の四つではないでしょうか。
先祖たちが残してくれた家系図や古文書は、単なる古い記録ではありません。
それは、時代を超えて私たちに語りかけるメッセージであり、「どのように生きるべきか」を教えてくれる人生の教科書でもあります。
これからも家族の歴史を大切にしながら、子や孫の世代へ語り継いでいきたいと思います。

※本稿は家系図、古文書、墓碑、過去帳および親族からの聞き取りをもとに整理したものであり、一部には伝承や考察を含みます。

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家系図 ←PDF。



陽行(アッキー)が帰省し、家がパァ〜と明るくなる。

陽行(あきゆき・小5)が屋久島から帰省した。パァ〜と一気に家が明るくなる。福岡空港まで、誉行(たかゆき・小2)と2人で迎えに行き、家に入る間もなくそのまま直ぐに、「鴨料理 割烹藤」へ。山本のおじいちゃん、おばあちゃんも一緒に家族全員で食べてきた。久しぶりのアッキーの笑い声、言葉は何となく屋久島なまりのような東京言葉のような・・・違和感があるがそこが屋久島帰りで面白い。やっぱり家族全員揃っての食事がいい。帰宅して、クリスマスケーキにローソクに火をつけ、赤鼻のトナカイやジングル・ベル、ホワイトクリスマス、あわてんぼうのサンタクロース等々・・・クリスマスソングを大声で歌いながら盛り上がっていた。1人歌わない奴(颯行・中2)がいるので、なかなかみんな食べられない。それでも、みんな笑顔と笑い声で、さすがアッキーのキャラが家を和ませてくれる。

やっぱり神崎家は、これやなぁ!ワイワイガヤガヤ、ワクワクドキドキ、賑やかながら、それぞれみんなが自己主張をしているところがいいなぁと感じる。冬休みの1月10日までの期間やけど、家族の絆をしっかり感じさせてやりたいと思う。

2010.12.24



今年も11月10日がやってきて・・・

今年もまた11月10日が来てしまった。今日は父(神崎次彦)の命日で、毎年必ず事故現場にお参りに行っている。今日は朝からお客さんが自宅に来られたり、昼からはアポイントが入り、夕方は後援会の打ち合わせで各町村に出かけていたため、結局お参りに行くことができなかった。「俺のところはいいから、お前は選挙に頑張れ」と言われそうな気がするけど、本当は一年に一度、今日の日にビールを注ぎに親父に会いに行きたかった。毎年、この時期になると親父の夢をみるけど、近頃はとんと夢に現れなくなった。

4年前と同じようにだんだん慌ただしくなってきた。一人で活動しているうちは、割と自由に動き回れるけど、各町村の後援会が動き出すと僕の動きもシフトされていく。その分、周りの方々の動きが活発になってくるので、これから選挙モードに入ってくるやなぁと感じる。11月10日、ちょうど4月10日の投開票日まで5ヵ月となってしまった。さぁ!これからが本番になってくる。きっと父も見てくれているんだと思う。「聡!全身全霊を込めて、全知全能お前が持っちょうすべての力出し切れ!」と気合を入れられそうな気がしてくる。

 昨年はお参りができたけど・・・

2010.11.10



癒してくれる・・・

48才の年でありながら、自分の家を建てることにたちあったのが4度目(平成13年に火災に見舞われ)。もう家を建てることもないと思うけど、一生のうちで一番大きな買い物であり、大きな夢でもある。4度目ともなれば、間取りや外観、コンセントやスイッチの位置の細かいところのまで自分で設計できるから面白い。妻もかなりイメージできるようになり、もし今度建てることになれば、思い通りとの家ができそうだと昨日話していた。もしかすると、子供たちが大きくなった時に、家を建てるかもしれないけど、やっぱり自分たちのお金で自分たちの家じゃないと思い通りにならんもんねぇ。

それと先日、挨拶まわりしていた時、生まれたばかりの赤ちゃんのお宅にお邪魔した。手足がちっちゃくて、やわらかくて、とてもかわいかった。本当に赤ちゃんというのは癒してくれるなぁ。何となく懐かしく、何となくホノボノとした気分になり、僕らは4度もこの経験をしているから、本当に恵まれているなぁと昨日妻と二人でビールを飲みながら話していた。

家といい、赤ちゃんといい、家族を癒してくれるって言うのは、何にも代え難いものだと思う。赤ちゃんも家も、もう5度目はないけど、可能性があるとすれば、妻と二人だけになった時に、小さな平屋の家を自分で設計し、自分で建ててみたいと思っている。「北の国から」で五郎が建てたように・・・

2020.10.7



陽行、2学期に向け屋久島へ!

 陽行(あきゆき・小5)が、2学期のスタートに向けて屋久島に旅立った。約5ヵ月間の暫しの別れを元気づけるため、福岡空港まで家族で見送りに行ってきた。もう大丈夫!4月の時のように、もう泣くこともないと思うし、屋久島での生活スタイルもわかっているから、そんなに心配はしていない。親元を離れての生活、本当に大変だと思う。精神力・忍耐力・課題解決力・考える力等々、自分で問題に気づき、自分で解決しなければならない事ばかりだから、今はわからないと思うけど、きっと将来に生きてくる。何もしてあげられないけど、遠くからいつもアッキーの事を想いながら、「頑張れ!」と声援を送っているからね。

 見送った後、妻育子と颯行・誉行をキャナルシティに連れて行き、遊んでいる間に、県庁や選挙関係のところに挨拶廻りをしていた。いろいろな情報も聞けて、僕の知らないところで、いろいろな動きもあっているんだと思った。常にアンテナを張りながら、情報収集し、情勢分析をすることが大切。今、国も地方も政治が大きく動いている。

2010.08.30



夏休み最後の日曜日

8月29日(日)、子供たちにとって夏休み最後の日曜日ということで、屋久島から帰省している陽行(小5)と誉行(小2)を連れて、添田町舛田の食事処豆庵で豆NEW流しを楽しんだ。夜は、自宅の駐車場で家族みんなでバーベキュー大会。明日30日には、陽行が屋久島永田小学校に行ってしまうから、子供たち4人が揃うのは冬休みになってしまう。何となく寂しくもあり・・・でも、こんな貴重な体験はなかなか無いから、元気でわんぱくに屋久島を満喫してほしいと思う。夏休みは、遠くに旅行する事もなく、物足りなかったかもしれないけど、家が一番いいと言っていたから、親の有難さ、姉兄弟の会話の面白さが少しはわかったんじゃないのかなぁ。2学期も頑張れ!アッキー君。

2010.08.29



夏休み、陽行(あきゆき)元気に帰省!

屋久島から陽行(あきゆき・小5)が元気に帰ってきた。普通なら鹿児島港まで迎えに行くところだけれども、時間もなく今回は飛行機(屋久島→鹿児島空港→福岡空港)で帰らせた。久しぶりに家族全員が揃い、久しぶりの”アッキー”にみんな笑顔になり、やっぱり家族っていいなぁ〜と嬉しくなる。辻眞作先生(上野小学校教頭)の別邸で”アッキー”のお疲れ様会(バーベキュー)をしてもらい、太田亮一先生(添田小学校校長)家族や松村重治先生(赤小学校校長)、八隅太郎先生(大藪小学校教頭)、小峠英人先生(添田中学校教頭)といつものメンバーも合流し、時間の経つのも忘れ、楽しい時間を過ごせた。

本当によく頑張ったと思う。初めて親元を離れての”かめんこ留学”。最初の一週間は、涙・涙で泣きながら電話をかけてきて、どうなる事かと心配したけど、多感な年頃の10才、親離れ・子離れのこの試練を何とか乗り越えてくれた。僕は、子供たちに何でも与えて、何不自由なく育てるのが良いこととは思わない。今まで当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃなくなった時、自分なりに工夫して知恵を出すことが、子供たちにとって大事じゃないのかと思っている。不自由さを知って初めて自由の有難さがわかり、お金や時間の大切さもわかる。

”陽行君が大人になった時に、「あの屋久島は、本当にいい経験やったなぁ」と、きっとそう思える時期が来ると父は思うよ”

2010.7.25



あきゆき11才

近頃、夜にいろいろスケジュールが入っていて、帰宅が遅くなったりしていた。7月12日は次男陽行(小5)の誕生日、家族全員で屋久島に電話したそうで、元気な様子だったとのこと。4月に屋久島に「かめんこ留学」で行った時、1週間泣きながら電話をかけてきたことを思い出すと、何とか乗り越えて良かったなぁ〜と妻と2人安堵している。上の子供2人と比べると、よく気がついて優しい反面、ちょっと気弱なところがあるから、心配していたけど、本当に良かった。来週24日には夏休みで帰ってくるから、また元通りの騒がしい我が家に戻ると思う。

このyoutubeは、昨年陽行(あきゆき)10才の誕生日の時にアップしたもの。昨年のブログを見ると、「誕生日プレゼントは何も用意していないので、youtubeに陽行10才の思い出をアップした。4人の子どもたち、それぞれみんな性格が違うが、4人の中じゃ一番心がやさしく、運動神経が一番発達しているんじゃないかと父は思う。10才は、親離れ、子離れの時期だと思っている。来年は屋久島に行くって言うのかなぁ。お姉ちゃんもお兄ちゃんも体験しているから、是非、チャレンジしてもらいたい。」 と書いてあった。自分から屋久島に行きたいと言って、それが実現できて、親としては本当にうれしい。

子供って言うのは、毎日見ていたわからないけど、1年ごと本当に大きくなっていくなぁ。

2014.7.14



陽行(屋久島)からの手紙

お元気ですかだとさ。ぼくは、元気ハツラツオロナミンCだとさ。6/10プールビラキがあったとさ。そのプールは水温が低かったとさ、だけど、楽しかったとさ。みんなは、バタフライができないんだとさ、だからバタフライが泳げるのはぼくだけなんだとさ。その日の夜にカメの産らんをみたとさ、カメの産らんは始めてみたとさ、ほかの所にもカメがいたとさ、カメが産らんするところは、感動したとさ。それとホタルもみたとさ。いいきもちになったとさ。お母さんに後生の頼みがあるんだとさ。ぼくの友達の住所をしらべてください。

屋久島に行っている陽行(あきゆき小5)から久しぶりに手紙が届いた。近頃は、電話も掛ってこなくて、すっかり屋久島での生活にも慣れたんやろうなぁ〜と妻と話をしていたところだった。相変わらず、下手くそな字だけど、屋久島での様子や友だちの間で流行っているやろうなぁと思われる「・・・だとさ」言葉から、元気な姿が浮かんでくる。月末には、僕の母と妻の両親が陽行のため屋久島に行ってくれる。初めての屋久島であり、どんな所で生活してどんな学校で学んでいるのか見てくれる。陽行も楽しみのようで・・・あと1ヵ月で夏休み。よく頑張ったと誉めてあげよう。

2010.06.15


「お前には、親父の気持ちがわからんやろう!」

「お前には親父の気持ちがわからんやろう!」 この言葉は父次彦が亡くなる2ヵ月前に僕に話した言葉だった。敏代お祖母ちゃんの実家(上毛町宇野)に日義お祖父ちゃんがつくったケヤキのタンスがあり、それを引き取ってトラックで運ぶから、お前も一緒に手伝えと言われた。昔のタンスだから古いけど磨けば立派になると話していた。僕は、「家のどこにそれを置くんかい?置く場所ないやん。」と答えると、「もういい!お前には頼まん!」と怒られ、「お前には、親父の気持ちがはわからんやろう!」「いいか!(タンスを)捨てることならんぞ!」と釘を刺された。

結局、親父は一人でケヤキのタンスを運び出し、添田町にある梶原家具店で磨いてもらい修繕してもらった。そして、平成11年11月10日お祖母ちゃんの実家の近くの豊前市で、JR架線に釣り竿で感電して(親父へ)・・・亡くなってから1ヵ月ぐらい経って梶原家具店から見事に蘇ったタンスが届けられた。僕は涙が止まらなかった。なんであの時、一緒にタンスを運ぶのを手伝わんやったのか、親父は僕に歯がゆい思いをしたやろうなぁ〜と悔やんでも悔やみきれなかった。家が類焼で丸焼けになったけど、タンスは30年前の裏の家に置いていたから大丈夫だった。

タンスを見るたびに、「お前(聡)には、(俺の)親父(日義おじいちゃんへ)の気持ちがわからんやろう!」とあの声が聞こえてくる。

2010.06.11



妻、育子47才誕生日〜想い出のアルバム

5月31日、今日は、妻、育子の誕生日。子供たちは塾や学校で、いつものような夕食だったので、誕生日祝いが出来なかった。今度、休日に家族で食事に連れて行こう。プレゼントもなかったので、メモリアルアルバムをパソコンでつくった。喜んで笑ってもらえるかな?ちなみに神崎さんの奥さんはこんな人です。↓
妻〜神崎育子 その1
妻〜神崎育子 その2
妻〜神崎育子 その3

僕と育子の不思議な縁!?

2010.6.1



添田小学校春の運動会

5月30日(日曜日)、添田小学校運動会が開催された。今年は、添田町内の3中学校が統合され、中学校でも2学期から給食になるということで、添田小学校の給食センターを夏休みに改修工事するということ。それでいつもだと9月下旬の運動会が、今日になったということだった。素晴らしい天気に恵まれ、子供たちも素晴らしい演技と競技を見せてくれた。きっと1学期で連休明けで時間のないなかでの練習だったと思うけど、例年にない気合が入った運動会だったように思った。長女が高2だから連続11年の添田小学校運動会の観戦だけど、プログラムの組み方や段取り、他学年合同での迫力ある演技といい、笑いあり涙あり感動ありで、本当に素晴らしかった。特に、川中島の騎馬戦は感動だった。3番勝負最後の大将戦の騎馬戦は、一瞬で涙が溢れてしまった。横を見ると妻育子も泣いていて、周りを見回すとみんな感動で泣いていた。本当に素晴らしい演出だった。屋久島に留学している5年生になる陽行(あきゆき)の来年が、今から楽しみでもある。2年生になった誉行(たかゆき)も一生懸命に頑張っていた。学校の先生の頑張りがよく伝わってきた運動会で、とても満足した。お疲れさまでした。

2010.5.30



中学生、遊ぶ暇(時間)がないくらいがいい。

5月28日は颯行14才の誕生日。夜、家族でお祝いをする。1年はあっという間に過ぎてしまい、年月の過ぎるのは早いなぁ〜。背もグンと伸びてきて、一時ツンケンした態度になっていたけど、近頃は大人になってきたというか、かなり穏やかな顔つきと態度になったなぁ〜と思う。毎日、部活動と塾やスイミングスクールに遊ぶ暇(時間)がないくらいがいい。来年になると受験の年、誰しも通らなければならないハードルが待っている。今しかできない部活(バスケット)や運動にも力を入れ、勉強との両立に頑張れよ。

今日は福智町まで自転車遊説をしてきた。途中、個別訪問したり企業廻りをしたり・・・自転車に旗を立てているもんだから、ちょっと迷惑かなぁ〜と遠慮していたけど、案ずるより産むがやすし。結構、うけてくれて喜んでもらえる。道行く人や田植えをしている人、買い物客、ゲートボール場等々、人を見かけたら名刺を配っている。どれだけの効果があるかどうかわからないけど、知名度を上げるためには何でもありかな。

2010.5.28



宿題は、真っ黒に日焼けして帰ってくる事!

5月の大型連休も終わり、久しぶりのブログ更新になった。テレビや新聞報道もまったく見れなくて、携帯(ソフトバンク)も繋がらない地域だったので、世の中何が起こっていたのか?空白の5日間、まったく浦島太郎状態になっている。屋久島の陽行(あきゆき)も4月最初に比べると、かなり元気なっていて、これなら大丈夫!何とか乗り越えてくれそうだった。いつもは一泊二日で屋久島に行くんだけど、今回は二泊三日と余裕があったので、シーカヤックしたりシュノーケリングでサンゴの熱帯魚を見たりと、陽行との時間もたっぷりとれた。里親さんともゆっくり飲め、途中からは親戚の方も来られて、屋久島活性化についての論議に夜遅くまで花を咲かせた。颯行(はやゆき)が3年前にお世話になった里親さんの家にも、夜遅くお邪魔して本当に盛り上がった飲み会になってしまった。全然知らなかった屋久島の地域の人たちとの飲ミュニケーション、子供たちだけじゃなく僕ら親にとっても、何にも代え難い素晴らしい出会いだと心から感謝している。僕らとの別れ際で、何となく寂しさを見られたくなかったのか、わざと素っ気ない態度をとっていて・・・陽行がちょっとひと回り大きくなったような気がした。
父からの宿題を忘れないように・・・「宿題はたった一つ、真っ黒に日焼けして帰る事!」
夏休みなったら添田に元気よく帰っておいで!

2010.5.5



”あっきー”に会いに行く

4月も今日で終わり。陽行(あきゆき・小5)が屋久島に”かめんこ留学”して1ヵ月になる。最初の一週間は、泣きながら電話をかけてきていたけど、里親さんや学校にもなれたのか?近頃はまったく電話もかかってこなくなった。何とか乗り越えたのかなぁ〜・・・とにかく、踏ん張りどころの1ヵ月は乗り越えてくれた。電話で約束した通り、明日(5月1日)陽行に会いに行くために、今から添田を出発する。久しぶりの”あっきー”やから、本当に楽しみ。でも、また帰り際が寂しくなり、それを考えると涙が出てくると育子は既に涙ぐんでいる。

 4月3日・4日の時の様子

今回は、里親さんのお宅で食事を一緒にさせてもらうようにしている。その日は、里親さんの家のすぐ近く永田の牧旅館に泊まり、翌日はホテル縄文に宿泊。前にもブログで書いたけど、ホテル隣の創作料理「隠れ家」という居酒屋がとても美味しい。誉行(たかゆき)は、ここの「やけどしちゃうぜ、お茶漬け(しゃけ)」がとても好きだという。それはともかく、二日間の短い時間だけど、陽行との時間を大事にしたいと思う。

屋久島は、街づくり・人づくりを学べる原点のような気がしている。僕の選挙公約の1つに新産業創出による雇用創出を掲げている。ITを活用した観光産業、環境産業そして健康産業の新たな3K産業ビジネスに取り組む構想を打ち出している。これを実現するためには何より人材育成、教育が重要だと認識している。田川の3K(過疎化・高齢化・公共事業依存)からの脱却への一歩が新3K(観光・環境・健康)にプラスK(教育)なんだと僕は思う。

子供たちが大人になり、姉兄弟で屋久島を語るようになった時、屋久島をヒントにした新3K産業の話題で語ってほしいなぁ〜と思う。いや、きっと語らんやろうなぁ〜。それでも、屋久島は子供たちの第2の故郷になっていくんだと思う。

2010/04/30 16:33


親の願い

屋久島の陽行(あきゆき・小5)から夜泣きながら電話がかかってきた。まだ一週間も経っていないのに、どうもホームシックにかかってしまったみたい。これまで家族に囲まれて賑やかに生活していたり、友達と楽しく過ごしていたから、突然ひとりぼっちになってしまったような錯覚になっているやろうなぁと思う。未悠(みゆう)も颯行(はやゆき)も、同じような想いをしていたと思うけど、上の二人はどちらかというと、天然ボケのところと、ピンと来ないと言うか無頓着なところがあるから、泣きながら電話をかけてくることはなかった。陽行は、感受性があり、10才の子供にとってはこれが普通なのかもしれないなぁ〜と思う。でも、ここが踏ん張りどころ!かわいそうやけど、自分で乗り越えるしかない。

子供には本当に幸せになってもらいたいと親ならそう願うんだと思う。人生にはいろんな事が起こり、何の挫折も波乱もなく、無事に人生を送る人はいないと思う。だから、挫折や試練にぶち当たった時に、それを乗り越える精神力をつけてほしいと僕は思う。10才で親元を離れての生活は本当に辛いと思う。でも、これを乗り越えたら、きっと素晴らしい何かを見つける事ができるんだと思う。

”父はね、山登りと同じなんやと思うんよ。山を登ることは人生の一歩。誰も助けてくれんやろ、自分の足で歩くしかないんよ。達成できた時の喜びは、登った人じゃないとわからんのと同じなんよ。”
”父の願いはたった一つ。父を乗り越えてもほしい。もしかすると、今、乗り越えようのかもしれんねぇ。父が10才の時、親元を離れての生活とかしたことないもんね。頑張れ!陽行。5月の連休、時間ができたら屋久島に会いに行かんかい?ち、お母さんと話をしようから・・・それから、お母さんとお姉ちゃんから預かった手紙を今日ポストに出したから、明後日(4月10日)ぐらいには着くと思うよ”

2010.4.8



陽行(あきゆき、10才小学校5年生)屋久島へ旅立ち!

4月2日(金)夕方よりライオンズクラブ4月花見例会があり、会議後お花見をしながら懇親を楽しむ。帰宅後、21時30分に次男陽行(あきゆき・小5)の屋久島永田小学校に「かめんこ留学」に家族全員で出発する。夜中2時前に鹿児島港に着き、車中で朝まで仮眠。8時30分出航のフェリー屋久島2に乗船し、12時30分宮之浦港着。いつもこのパターンで屋久島には行っている。

もう屋久島に来るのも20回は超えているのかなぁ?屋久島永田の里親さんと学校に出向いて挨拶をする。長男颯行(はやゆき)は、3年前の「かめんこ留学」先の里親さんのところに宿泊させてもらい、僕らは屋久杉ランドで散策する。宿泊は前回泊まった宮之浦港近くのホテル縄文に。前回このホテルのすぐ隣に創作料理「隠れ家」という居酒屋を見つけたので、今回もここで食事をする。オーナーは覚えてくれていて、新鮮なアジの刺身をサービスしてくれた。

4月4日いよいよ陽行とのお別れ。昨日から「お腹が痛い、歯が痛い、背中が痛い。」と何となく元気がない。里親さんにあずけて帰る前に、永田川上流の「よっこ」と呼ばれる横河渓谷に立ちい寄ってきた。渓谷までの細い道を、肩を丸めて寂しそうにトボトボ歩いている陽行を見ていると、こちらまで悲しくなってくる。11時とうとうお別れ・・・1人家に残り、僕らの車にいつまでも手を振っていた。・・・神崎妻号泣。

陽行君、小学5年生の10才。未悠(みゆう)姉ちゃんも颯行(はやゆき)兄ちゃんも経験しているとはいえ、親元を離れて、家族と別れて暮らす辛さは、本人しかわからないと思う。辛いし、不安やし、大変やし、心配やし、お金もかかるし・・・でも、あえてこの道を選んだ陽行は立派やと父は思う。すべては経験からしか始まらない。いくら言葉で言っても、考えたりしても、すべては行動した者しかわからない。大丈夫!この試練を乗り切れ!父もお母さんも、応援しちょうぞ!頑張れ!

11時30分屋久島宮之浦港を出港し、17時30分鹿児島港入港。お風呂は船内で済ます。熊本県八代市の宮原SAで食事をとり22時30分添田到着。強硬スケジュールで疲れたけど、1年間の陽行に比べたら何て事はない。1年後、陽行も父も結果が出ている。

2010/04/05 08:05


添田公園、桜も見ごろ

午前中、ポカポカ陽気に誘われての気持ちのいい自転車遊説に出かけていた。昼食をしようと帰宅すると、せっかくだから添田公園でお花見に行こうということになり、下の子供2人を連れて出かけた。陽行(あきゆき)も来週には屋久島に行ってしまう。昨日、田川市伊加利の鴨料理 大衆割烹「藤」で家族みんなで送別会をしたけど、だんだん寂しくなってきた。1年間の親元を離れての山村留学だけど、きっと上のお姉ちゃん、お兄ちゃんと同じようにたくましく成長してきてほしいなぁ〜と思う。

”子供たち 花ならつぼみ ゆっくり咲け咲け 長く咲け”

2010/03/27 15:12


夢からはじまる

”夢からはじまる” 選挙に出馬しようと決めた時、この言葉を思いつき、ブログのタイトルにもした。麻生情報システムの時に、福岡県企画振興部調査統計課から平成16年の「統計福岡」の随想に原稿を書いて下さいと依頼され、その時「夢からはじまる」とタイトルをつけて書いたものだった。夢を持つことは、それを実現するために努力することであり、壁に当たった時にそれを乗り越える精神力をつける源である。人が育つのは、この”夢”を持っているからあり、”夢”の大きさによって、人もまた大きく育っていくんじゃないかなぁ〜て思っていた。この時、自分が選挙に出ようなんて、これっぽちも考えてもいなかった時だった。

僕は自分の夢を実現するために頑張ろうと思っていた。前回の選挙でも企業に勤めている時も、目標を達成したり成功することが、世のため人のためにもなるんだと思っていた。その通りなんだけど、でも選挙戦に敗れて自分が甘かった事に気づかせてもらった。実は自分の夢を達成するためには、誰かから、多くの方からの助けをもらわないと成功なんてできない。だから、助けてくれる人たちに認めてもらわないといけない。認めてもらうためには、皆さんに喜んでもらえることが何より大切。それは何か?多くの人たちの夢をかなえ、人の成功を助けることなんだという事に気づかせてもらった。自分の夢をかなえることが同時に人の夢をかなえることになればいいなぁ〜と思った。だから、人のやりたいこと、人がどうなったら幸せを感じるようになるのかを考えるようになった。何か考えたら当たり前のことなんだけど、なかなか気がつかなかった。

2010/03/21 18:15


神崎敏代おばあちゃん七回忌の法事

午前中、オークホールで行なわれていた添田町女性の集いに神崎妻と一緒に出かけていた。そして、午後からは、おばあちゃん(神崎敏代)の七回忌法事だった。三回忌の4年前の時も、一生懸命に地域を廻っていたのを思い出してくる。4年前、地元添田町を挨拶で廻っていても、地域の人で僕を知っている人はほとんどいなかった。知っているのは助産婦だったおばあちゃんや、添田町役場に勤めていた亡父(神崎次彦)の話題ばかりだったので、「死んだ親父やおばあちゃんから守られているんやなぁ〜」って帰宅して仏壇に手を合わせていた。今でも地域を廻っていると、あんたの親父にはお世話になった、神崎さんのおばあさんから子供をとりあげてもらったと感謝されることがある。僕は何もしていないのに・・・本当に感謝しなければと思う。

ちなみに祖父(神崎日義・明治39年4月9日生‐S52.3.18)、祖母(敏代・明治43年2月20日生‐H16.4.1)で、長男の神崎義生伯父さんを筆頭に5人の子供がいて、そして孫である僕らは13人で、ひ孫は全部で31人になっている。配偶者をすべて数えると67人になってしまう。何かすごい人数になってしまう。一応、家系図は父が、昔、妹(亀谷悦子)と一緒に調べた家系図をデータとしてバックアップしている。神崎日義→櫛永孫一→櫛永專平→櫛永房蔵、神崎マン→神崎初太郎→神崎平八→神崎磯右エ門、また配偶者の方もルーツもお寺の過去帳で天保の頃まで調べていた。

浄土真宗である僕の家は添田町法光寺の門徒である。僕も妻も聖光保育園であり、小さい頃は、よく大きいおばあちゃん(曾祖母)やおじいちゃんにお寺に連れて行ってもらったのを思い出す。また、おばあちゃんは、仏教婦人会の副会長もしていた。浄土三部経が終わってから、住職がとても心にしみる話をしてくれた。

身体に障害を持った小学生の女の子が家に帰って来て、水泳が泳げなくていじめられたそうです。
今度、学年で水泳大会があり、「意地悪な友だちが泳げないことがわかっていて、私を選手に選んだ。」と泣きながら母親に訴えました。
そのお母さんは、頑張りなさいと突き放したそうです。
普通だったら、「この子は泳げないので他の人に変わってもらえないでしょうか」と学校に行くところを、このお母さんはそれをしなかったのです。
そして、仏壇に涙を流しながら手を合わせていたのでした。
ふすまの隙間からそっとその様子をみていた女の子は、それから泳げるように一生懸命がんばったのです。
大会当日、女の子は一生懸命に泳ぐのですが、今にも溺れそうなのです。その姿を見て、意地悪な子供たちは笑っていたそうです。
半分ぐらい泳いだところで、服を着たまま飛び込んだ先生がいました。
女の子に「君は一人じゃないぞ、みんなが君を応援してるだぞ」と、そう言って、プールの中を歩きながら一緒にゴールを目指しました。
そして、女の子は最後まで泳ぎ切りました。ゴールした時には学年全員が拍手で女の子を迎えたそうです。
意地悪に笑っていた子供たちも一緒に拍手を送っているのです。
その様子をお母さんは、見つからないようにそ〜っとプールサイドから見ていたそうです。
服を着たまま飛び込んだ先生は、校長先生でした。
そして、お母さんは、「私が助けたら、これから先ずっと助けなくてはいけません。何れ私の方が先に死んでしまいます。どんな試練も乗り越えてもらいたい、それを信じているからです。」そう校長先生に話したそうです。
親というのは、木の陰に立って見ています。仏さまはこの母親と同じように私たちを見てくれているんです。

目頭が熱くなった。

2010/03/08 00:08


方言丸出しっちゃ(会話編)

しまだ(川崎町)の鍋は美味しかった。お持ち帰りで家族で食べる冬の鍋は格別。今日は結婚記念日で、ちょっと方言丸出しで書いてみようっと!

2月27日(土)結婚して17年経ったねぇ〜。なしやろうか、一年一年早く感じるばい。結婚式当日も今日と同じ土曜日やったきね。ねぇ、12時からの挙式で13時からの披露宴やったっけ?記念になるからち、婚姻届は挙式当時の朝8時に役場に届け出を済ませたんやったなぁ。君は知らんやっちょうろうけど、なんか衣装やら荷物やら式場まで運ばないけんやったき、福寿会館と添田の実家を往復しよったんよ。急いじょったき、えらい車をとばしよったんを今思い出した。くれぐれも事故を起こすなよっち親父から注意されて、ふと101回目のプロポーズを思い出しながら運転しよった。(浅野温子演じる矢吹薫(30)の婚約者真壁が、結婚式の直前に事故死した)流行語大賞にもなった武田鉄也(星野達郎42)の「僕は死にましぇん」。

披露宴、覚えちょうかい。318人のお世話になった方々にご出席を頂いて、またご媒酌も麻生太郎先生ご夫妻が快く引き受けて下さったきね。本当にこのご恩を忘れたらつまらんばい。披露宴が終わったあとは、あをぎりで2次会してもらったんやけど、僕はベロンチャンに酔っ払い状態やった。まぁ、アパートが歩いてすぐで近かったき、安心しちょったんかもしれんのぉ〜。けんが、楽しかったのぉ!ホントに!君も昨日のことみたいに覚えちょんじゃない?

結婚する相手は、”価値観が同じ人がいい”ち理想を言うやつがおるけど、そげなやつはおるわけなかろうが、ち思う。なぁ〜、みんな違った環境で育つんやき、同じ価値観の人とかどこを探してもおらんばい。そう思わんかい。価値観っち言うんは二人で築いていくもんたい。そう思うやろ。なぁ、僕らも最初の頃は、よぉ〜喧嘩しよったけど・・・いつからかしらんけど落とし所がわかるようになってきたんと違うやろうか。こういう言葉がある。20代の夫婦は「愛情」である。30代の夫婦は「希望」、40代は「忍耐」、50代は「諦め」、60代は「感謝」、70代は「いたわり」、そして80代の夫婦は「墓参り」っち。この頃は、価値観もそうやけど、何となくしぐさとか表情とか顔つきが僕と似てきた様な気がせん?体型は全然違うんやけど・・・

2010/02/27 21:25


初体験!スケート編

バンクーバーオリンピックも始まり、日本勢に期待も集まる。子供たちも関心があるようで、陽行(あきゆき〜小4)が一度スケートをしたいと言い出した。そう言えば、僕は10回ぐらいしか経験がなく妻も3度ぐらいしかスケートの滑ったことがない。確か、上の子供(未悠)が3才くらいの時に一度行っただけだったので、「よし、行こうか」と急に思いたち、陽行と誉行(たかゆき〜小1)を連れて、飯塚アイスパレスに行ってきた。スキーは2才半から3才にかけて初滑りを体験させているけど、やっぱり小さい頃から何でも体験させておかないといけないなぁ〜と思った。でも、僕らの小さい頃は全然裕福じゃなかったし、家にそんな余裕もなかった。スキーもスケートも大学生になって初体験したぐらいだったから、今の子供たちは本当に恵まれているなぁ〜て思う。ただ、親に経験がないと、体験もさせることも、教えてあげることも、なかなかできないなぁ〜と改めて今日思った。(スケートはやっぱりダメだった。)

2010/02/14 19:21


節分(豆まき)2010

今日は2月3日節分の日。僕はすっかり忘れていたが、神崎妻はえらいなぁ〜。しっかり覚えていて、豆とお面を買ってきていた。毎年恒例の豆まきをし、下の子供二人は興奮状態になっていた。散らからないように落花生で鬼退治。こんな時期もあとわずか、子供たちの屈託のない笑いは本当に家を明るくしてくれる。

 昨年(2009年)の豆まき動画

 一昨年(2080年)の豆まき動画

2010/02/04 05:22


陽行(あきゆき)・屋久島留学に内定通知

1月も終わり、今日は2月1日。それにしても時間の経つのは早い。1/12が終わってしまった。昨日は福智町へ、妻それと両親と一緒に葬儀に参列。その後、家族で買い物やら所用を済ませ、夕方から久しぶりに食べ放題のお店に行く。次男の陽行(あきゆき・10才)が、屋久島への山村留学の合格通知が来て、そのお祝いを兼ねての食事会だった。上の子供が2人とも行っているので、本人としては、お姉ちゃん・お兄ちゃんと同じように行きたいという気持ちは強かったみたいだったけど、想いが叶って良かった。今年4月からの1年間だけど、寂しく辛い時もあると思うが、きっと大きく成長していくれるものだと思う。先日(1月29日)の参観日に1/2の成人式という授業だった。少しだけしか見れなかったけど、「ダメなものはダメだと言える事、どんな事があってもあきらめない事」と発表していた。いつの間にか、自分なりの考え方や意志をしっかり表現できるようになっていて、親として本当にうれしく、だんだん親離れしていくんだなぁ〜って思った。来年3月に帰ってくる時には、父は再び大きな試練を迎えることになる。大事なことは、その過程であり努力なんだと思う。陽行君も一年間頑張るように、父も負けないように頑張るぞ!

2010.2.1



1月22日、未悠(みゆう)誕生日

長女未悠(みゆう)16 才の誕生日。平成6年1月22日生まれ。昨年のブログ(生まれくる命、死にゆく命)にも書いたけど、午前5時に妻育子から陣痛が始まったと起こされ(結婚当初田川市新町のアパートだった)、田川市の小坂産婦人科へ。立ち会い出産だった。そうそう、起こされた時、えらく痛がっていて、ちょっと僕は夢の中だったのか?動転してのか?とにかく、「歯を磨こう」と言って、痛がる妻に歯ブラシを渡し、なぜか僕も一緒に磨いていた???11時35分、雪が舞うなか、2,580グラムで無事に生まれてきた。
一年経つのも早いけど、16年の歳月もあっという間だったような・・・あれもこれもいろんな事もあり・・・笑いあり涙ありの子育てである。

2010.1.22



本当に生まれてくれてよかった!

12月31日大晦日。我が家の末っ子三男、誉行(たかゆき)7才の誕生日。7年前も、昨日と同じように太田ファミリーと12月30日に夜遅くまで、自宅で飲んで笑って過ごしていたけど、翌朝、急に陣痛がきて添田町中山産婦人科で朝8時に出産。やんちゃ坊主で負けん気が強く、直ぐに泣くくせに、口だけは大人顔負けの言い草をする。姉兄弟でも一番自己主張をする、我が家の宝である。本当に生まれてくれてよかった。

平成22年活動報告はこちらに掲載しています。

最新 活動ブログはこちらです。

2009.12.31



一度、行ってみたかった

雲仙みかどホテルに、急に思い立って家族で出かけた。自宅から3時間半ぐらいの雲仙への遠出。4年前(選挙に出る前)までは、よく家族旅行や日帰り旅行に出かけたけど・・・近頃はなかなか・・・基本的には、外出するのが好きで本当にいろいろなところへと出かけたものだった。今日はたまたま家族全員が何も行事がなかったので、前から気になっていた雲仙に行こうということになった。あれだけ新聞の広告欄に毎日のように掲載されているのを見ていると、一度は行ってみたくなる。日帰りプラン1,000円、「ジンギスカン」「しゃぶしゃぶ」を2人前づつ頼んだが、かなりボリュームもあり十分満足できた。温泉もとても気持ちがよく、昼間だったから僕ら家族だけでリフレッシュできた時間になった。行きは長崎道から諫早IC経由だったが、帰りは島原からフェリーに乗り九州道で帰ってきた。フェリーに乗ると、カモメがえさを求めてやってきて、”かっぱえびせん”をやると上手に食べる。子どもたちも大いに喜び、30分ぐらいの船旅を楽しめた。

2009/12/27 20:44



Merry Christmas in 2009 Vol2

 2009年クリスマス

昨夜、サンタは寝静まった夜中に窓からやって来て、陽行・誉行にNINYEND-DSのポケットモンスターハートゴールドとイナズマイレブン2脅威の侵略者ブルザードをプレゼントしてくれた。今年が最後のサンタクロースになるのかなぁって思っていたが、来年もきてくれそうな雰囲気だった。仕事人間や選挙活動ばかりになってしまうと何となく正気を失くしそうになるから、家庭の温もりって言うか子どもたちに囲まれた生活が何より大切なものだと実感できる。

 2008年クリスマス

 2007年クリスマス

2006年クリスマスイブのブログ

 2003年クリスマス

 2001年クリスマス

 1996年クリスマス

2009/12/25 22:47


屋久島日記

屋久島、永田小学校で平成22年度「かめんこ留学」の募集があり、陽行(あきゆき・小4)を応募させ、一昨日(12月12日)面接試験を受けた。結果は、来年2月初旬にしかわからないとの事。今年は町の予算の関係で募集人数が減り、逆に応募者は例年に比べて全国から多数応募がきていて、狭き門との事だった。まぁ、親としては長女未悠(みゆう)、長男颯行(はやゆき)とも1年間の”かめんこ留学”をさせて頂いたので、陽行(あきゆき)も同じように機会を与えてもらえれば、こんな嬉しいことはないと思っている。

12月11日(金)22時、屋久島へ向けて添田を出発する。冷水トンネルを通り、小郡インターから九州道に入る。鹿児島まで高速で約3時間、鹿児島ICで降りてから、約30分で鹿児島港に着く。到着時間は午前3時前ぐらいで、近くの駐車場で仮眠する。屋久島行きは、大体このパターンが多い。未悠(みゆう)は、里親さんが種子島に引っ越されていて、トッピーに乗って種子島へ単独行動。僕らは、8時40分発のフェリー屋久島2で出港する。宮之浦港から永田まで車で約30分。レンタカーで、まずは颯行(はやゆき)の里親さんのお宅に伺う。颯行は、里親さんの家に泊まらせてもらい、僕ら(妻・陽行(あきゆき)・誉行(たかゆき)4人)は、宮之浦港近くのホテル縄文に宿泊する。夕食は、このホテルのすぐ隣に創作料理「隠れ家」という居酒屋で食べたけど、良いお店を見つけたと妻と2人大喜び。

面接は、12日(土)19時30分から50分ぐらいだった。子どもへの質問だけじゃなく、両親への質問もあり、どう評価されたやら・・・ここの山村留学は「人の子も 我が子も 同じ永田の子」って言う理念があり、ここが素晴らしい。この精神は永田地区のすべての人たちに受け継がれていて、教育熱心な土地柄がよくわかる。実は、屋久島、特に”かめんこ留学”から、街づくり・人づくりに活かせるヒントがたくさんある。新3K(健康・環境・観光)にプラスK(教育)を加え、地域の産業としてシステム作りをすることで、過疎化・高齢化・公共工事依存からの脱却への一歩が見えてくる。一度、きちんとレポートにまとめ、永田の人たちにも見てもらいたいと思う。そう考えると、田川にはまだまだチャンスが限りなくあると思った。

 平成19年度かめんこ留学(颯行)〜旅立ち

 平成19年度かめんこ留学(颯行)〜旅立ち

 平成19年度かめんこ留学〜迎え

2009/12/15 08:54


学校と実社会の違い

子どもたちも高校生・中学生・小学生になり、それぞれ勉強にクラブ活動に習い事に毎日精を出している。僕らの時代(僕らじゃなく、僕自身と書くべきかな)と違って、かなり勉強をしているなぁって感じる。これから受験生になるわけで、本当に正念場を迎えてくる。試験(受験)には必ず正解があり、点数を取るには易しい問題から解いていくのが鉄則である。ところが、実社会には正解というものは存在しない。易しい問題から解決するということもなく、ランダムにやってくる。難しい問題を先送りすると、必ず衰退に向かうものである。正解があるかどうかわからないし、参考書もない。そんな中でどうするかを考えるのが実社会なんだと思う。

時代が大きく変わろうとしている今、子どもたちは、どのようにして決断力を学んでいくのかなぁ〜。かって、日本人に要求されてきたのは忍耐・妥協そして神頼みであって、決断じゃなかったように思う。時代がそれを求めなくなった。今、国際社会から決断を求められている鳩山首相は、難しい問題を先送りしても国益を損なうだけ。国政は言うに及ばず、地方行政も企業も地域も個人も、感情に流されない冷静な目と自分が何をやりたいのかという”こだわり”を持ち続け、先見性をもって臨機応変に決断しなければ難局は乗り切れないと思った。

2009/12/10 13:45


父(次彦)が亡くなり丸10年

1999年11月10日午前8時57分、JR日豊線で父は感電死した。JRが電流の異常を感知した時間だから間違いなく、ハゼを釣りにカーボンシャフトが2万ボルトの電気を通して一瞬の出来事だったと聞いた。今年で丸10年になる。11月10日前後には、毎年欠かさず事故の現場にお参りに行っている。今年も時間に間に合うように行ってきた。電線とカーボンシャフトは直接当たっていたわけでなく、鉄橋が下が鉄板だったため高圧電流が流れたとの事だった。きっと、川の魚を目で追いながら鉄橋を渡ろうとしていたんだと思う。帰りには、父が戦時中に疎開していた祖母(敏代)の実家に立ち寄った。おばあさんの実家は、新吉富村宇野(現上毛町)で、よく父(次彦)が宇野の(父の)祖父(穴田松三郎)の話をしてくれた。だから、この辺りの地理は本当に詳しく、山国川まで釣りによく行っていたのを記憶している。

自分の一番好きな釣りをしながら、苦しむ事もなく、それこそあっと言う間もなく、逝ってしまった。きっと心残りは孫の成長だったような気もするけど、まさか自分が死ぬとは思ってもなかったから・・・よく人はPPK(ピンピンコロリ)で死ねればいいと言われるけど、残された家族はこれほど残酷なものはない。(亡き父の命日に)(親父へ)(何となく”ぞろ目”が気になり・・・)

2009/11/10 12:24


親父への報告

今日も一日充実した時間を過ごした。妻の親戚の兄弟(姉妹)寄りでも、皆さんから励まされ、何としても頑張らねばという気持ちも一層湧いてくる。父(次彦)の世代でもあり、いろんな人間関係の話の中で昔の時代が蘇ってくる。もうすぐ11月10日は亡父の命日であり、あれからちょうど10年になる。本当に月日の経つのは早いと感じる。きっと父が生きていたら、会社(麻生情報システム)も辞めていなかったと思うし、選挙なんて話すらできなかったと思う。(とても父には話を説得できるはずもなく、許すはずはないと今でも思う。) でも、これも運命!自分で決心したからには自分で道は切り拓いていくしかないんだと肝に銘じている。だから、親父に会った時には、「何になったか」よりも、「何ができたのか」「何をやれたのか」をきちんと報告したいと思っている。

与えられた人生は1度しかない。感謝の心を持ち、広い視野と相手を思いやる気持ちを常に持たねば。子供たちの世代に残してやれる産業・事業・起業を育成し、現役世代がきちんと働ける場を必ず創っていきたいと思う。そして、子どもたちには僕の生きざまをしっかり伝えていきたい。評論家になったり批評する側ではなく、常に自分から行動して、周りに良い影響と結果を出す事を心がけよう。何事にも明るくポジティブに・・・必ずや、父には良い報告をしたいものだと思う。

2009/11/08 05:23



あと数年で・・・巣立ち

「瞳に残る、心に残る感動」を100文字の文章で伝える「教えてください、あなたの大切なもの『look Next大賞』」(読売新聞社主催、厚生労働省・日本眼科学会・日本眼科医会後援、ロート製薬協賛)の広告が、今日(10月10日)読売新聞に掲載されていた。どの受賞作品も心が打たれる作品であり、一人ひとりが人生そのものだなぁと感じ入ってしまう。「世界一短い感謝状」を前にブログにも紹介していたが、短い文章ほど難しく、でも一瞬で心に響く。

今日、長女の育徳館高等学校の進路保護者会があり、妻育子と一緒に出席してきた。僕らの高校時代とはまったく違っていて、、学校の熱心な取り組みと進路に対しての力の入れようが、ヒシヒシと伝わってきた。「子どもにまかせる」ではいけない。高校生の保護者として、的確なアドバイスは、まだ必要なのかもしれない。それにしても、子どもの成長は早いもので、大学生ともなれば本当に手が離れて行く。あと数年で巣立っていくんだなぁ。

僕も『look Next大賞』に応募した気分で書いてみよう。僕や妻、そして僕らの両親も、心の中であの頃の思い出が焼き付いている。

”初めての子どもで、本当にうれしかった。最初の巣立ちは幼稚園。まだ3才で、「一緒がいい、連れて帰って」と泣き叫ぶ。後ろ髪を引かれるような思いだった。次は、1年間の屋久島山村留学。人は涙を流したほど強くなれる。本当に強くなったよ。”

2009.10.10



平成21年度添田小学校運動会

絶好の運動会日和だった。添田小学校の運動会も数えて10回目を迎える。末っ子の誉行(たかゆき)も小学校1年生となり初参加。あと5年間は、小学校の運動を楽しめる。ここ4・5年、添田小学校の運動会は雨だったが、さすが”晴れ男”の異名をとる太田亮一校長が赴任したせいか?!本当に暑いぐらいの秋晴れだった。途中、未悠(みゆう)のアンビシャス運動最後の事後研修に篠栗まで迎えに行き、見れないプログラムもあったが、ビデオに録画してもらっていたので帰宅して少し見ていた。それにしても子どもの成長は早いなぁ〜。すべてにおいて、ぐんぐんグングン伸びて行く。昨日までできなかったのが、今日はできるようになる。本当に子どもっていうのは、いいよなぁ〜。

2009.10.4



青少年アンビシャスの翼〜ビッグレイクコースへ出発

福岡県の青少年アンビシャス運動の一環で、未悠(みゆう)がアンビシャスの翼でアメリカオレゴン州ポートランドへ出発した。早朝6時に自宅を出ようとしたところ、真木のおじいちゃん、おばあちゃんが見送りに来てくれた。何しろ、未悠にとって、はじめての海外だから、とにかく元気に帰ってきてくれればとの願いだと思う。8時に福岡空港集合で、9時30分福岡発、11時10分羽田行。それからリムジンで成田へ。成田空港は15時20分だから、もう飛行機は一路アメリカへ向かったと思う。所要時間は9時間20分、時差は−16時間である。いろいろアクティビティ(アーチェリー・フィッシング・カヌー・カヤック・乗馬・水上スキー・水泳・ロッククライミング・アーツ&クラフト等々)を体験するそうで、18日間、世界中の友だちをつくって、志を持てるものが発見できれば、親としてこれ程うれしい事はない。とにかく、真っ黒になって元気で過ごしてほしいと思う。

「青少年アンビシャスの翼の目的」
世界の子どもたちが参加してくる海外のサマーキャンプに、(福岡)県内の青少年を派遣し、海外の青少年と交流・切磋琢磨することを通じて、グローバルな視野を身につけた、21世紀を担うたくましい青少年の育成を図る。

2009/08/01 16:20



陽行(あきゆき)へ〜10才誕生日プレゼント

赤村の松本医院(現・塚原クリニック)の松本第一郎先生がお亡くなりになり、今日お通夜に参列してきた。以前お会いした時はとても元気だったので、訃報を聞いた時には驚いた。松本先生の妹さんが津野に嫁いでおられ、親戚になる妻の実家(山本)や香月建設社長からも紹介してもらって何度も選挙のお願いに伺っていた。本当に残念で、心からご冥福をお祈り致します。

明日もお葬式が2つ入っていて、14時からは添田岳陽会総会に出席するようにしている。夜は陽行(あきゆき)10才の誕生日会を家でするようにしている。誕生日プレゼントは何も用意していないので、youtubeに陽行10才の思い出をアップした。4人の子どもたち、それぞれみんな性格が違うが、4人の中じゃ一番心がやさしく、運動神経が一番発達しているんじゃないかと父は思う。10才は、親離れ、子離れの時期だと思っている。来年は屋久島に行くって言うのかなぁ。お姉ちゃんもお兄ちゃんも体験しているから、是非、チャレンジしてもらいたい。

2009.7.11



颯行(はやゆき)13才誕生日。

今日は颯行13才の誕生日。 平成8年5月28日午前1時25分だったかな?昨日の事のように覚えているが、まだ田川市新町のアパートに住んでいて、佐野産婦人科で出産した。長女は立ち会い出産(小坂産婦人科)だったが、颯行の時は廊下で待っていると、「おギャー」という泣き声。耳を澄ますと、看護師さんが「女の子」っていう声が聞こえ、「ありゃ〜また女の子か」って思った。廊下に出てきて、「元気な男の子ですよ」と言われた時は、えっ!と一瞬目が点になったが、後で妻に聞くと、助産師さんが「最初のお子さんはどちらですか?」って聞かれて「女の子です。」と答えると、「女の子だったんですか」と繰り返したそうで、それがどうも聞こえたらしい。正直に言うと、おちんちんがついている赤ちゃんを見て、僕は小さくガッツポーズをしていた。



小学校卒業記念文集

「入学と友だち」
小学校生活で一番うれしかった時といえば、何といっても入学のときでした。
この時は、胸がわくわくでしたが、まだ幼稚園の友だちが少しだけしか居なかったので、その友だちとだけしか遊びませんでした。
日にちがたつにつれて、他の新しい友だちの性格・長所・短所などわかってきて、少しずつ仲の良い友だちをつくっていきました。
一年生の二学期ごろは、もうみんな友だちでいつもいっしょに遊んだりしました。
でも、ときどき、けんかをしたり、あばれたりして、先生にしかられたことがあります。
今では、同学年のみんなのほとんどは知っています。
入学してから今まで、こんなに友だちをたくさんつくることができて、とてもうれしいです。
友だちがいると、話あいてにもなり、仲よく遊んだりもできます。
このような、多くの友だちと仲よく中学へ行き、楽しい中学校生活を送りたいと思っています。

1.私の尊敬する人       父と母
2.私のなりたい職業      刑事・ゴルフの選手・弁護士
3.私はこんな人になりたい  人から尊敬されるような人
4.好きな言葉          「水魚の交わり」

帰宅すると、母が同級生(坪根博一君〜添田中学校下で健康マッサージを営業)のお母さんから懐かしいのをもらったと、小学校卒業記念文集を手渡してくれた。火事で昔の思い出になるのが焼けてなくなったので自宅には何も残っていない。へぇ〜、こんな事を書いていたんだ。何となく覚えているが、私のなりたい職業で、刑事・ゴルフの選手・弁護士は単純な思いつきだったように思う。刑事は、「太陽にほえろ!」とか「Gメン’75」「キーハンター」を見ていたからのような気がする。ゴルフは、当時製材所からタダでもらった木の切れ端を角度をつけて自分でアイアンを作り、ピンポン玉でゴルフ遊びが凄く流行っていた。多分、その影響だと思う。弁護士は?よく覚えていない。きっとテレビなんかの影響でかっこいいと思ったのに違いない。でも、やっぱり夢があっていいなぁ〜。

2009/05/22 18:53



何とも不思議な・・・8年前のお礼。

今日5月20日は8年前に隣の家から出火で自宅が全焼した日。昨日、焼き鳥「だぼちゃん」で押川社長と食事をしていると(飲んでいると)、長男の同級生のお父さんと一緒になった。話を聞くと消防団にいて、火災の時、仏壇の位牌や遺影写真を運び出してくれたという。あっ!そう言えば5月20日だったと思い出した。それにしても、何とも偶然というか、不思議な縁っていうか、今頃になって知ることになるとは。お礼を言えて良かった。当日、韓国→台湾に出張中で台湾のホテルに着くと家に直ぐ連絡を入れて下さいと言われた。家に電話しても通じず、妻の実家に電話すると家が火事で大変な事になっているとの事。次の日、朝一番の飛行機で急きょ帰宅した。父が亡くなり母が一人になったので、母屋の隣の車庫の上に新築して半年後の事だった。すべて焼けてしまったが、不思議に仏壇の部屋だけは辛うじて被害が少なかった。間一髪で妻が家族を救出し、位牌や遺影写真を持ちだしてくれた消防団の人たちがいて、ご先祖様・仏様が仏壇を守ってくれた。

災難は忘れた頃にやってくる。何事にも慎重に気をつけて戒めにしなければと思っている。

2009/05/20 21:50


何となく”ぞろ目”が気になり・・・

昨日の続きで、父次彦が平成11年11月10日に亡くなり、後から気付いた事があった。親父は、昭和8年1月1日生まれ。西暦にすると1933年である。そして、亡くなった次の日11月11日に火葬した。平成11年は西暦1999年だった。しかも、享年66歳だったから、迷信?ジンクス?偶然?あれから何となく”ぞろ目”が気になり出し、何となく気をつけるようになってきた。どういう理由か、ふと時計に目を向けると11時11分だったりする。まぁ、悪いことばかりじゃなく、昭和51年(1977年)父が44歳の時に裏の自宅を新築し、平成元年にも母屋を新築しているので、父のとっては”ぞろ目”は節目だったのかもしれない。そう言えば、僕も44歳で初めての選挙戦の敗退の洗礼を受けている。

 父(次彦)葬式・告別式

2009/05/18 18:15


田川地域”神幸祭”〜今年は神輿を担ぐ年

連休の5月5日「子どもの日」は、友人家族と大分県玖珠町日本童話祭に行ってきた。迫力あるジャンボこいのぼりに魚のつかみ取り等に子どもたちは大はしゃぎ。祭り気分を味わえることができた。

明日からはまた普段の活動に戻るが、田川も既に神幸祭に突入している。先週は大任町を回っていると子どもたちが神輿を引いていた。

大任町で5月3日

それぞれの地域で伝統・文化を継承するために神幸祭の祭典、そして、お下り巡行行事・ご遷宮行事が行われる。須佐神社・上添田財団区の神幸祭は、5月9日・10日に執行される。今年は8年に1度の神輿元である。という事で今年は神輿の担ぎ役となっている。16年前(1993年)に結婚したばかりの時は、まだ若かったのでそれ程でもなかったが、8年前の2001年を思い出すとゾッとしてくる。親父の代わりに神輿を担ぎだしたのは高校生の時からだった。だから、神輿を担ぐのも今回で最後になるかもしれない。

1993年5月9日父(次彦)と

2009/05/06 21:32


中学校授業参観日

26日(日)、今度は添田中学校授業参観日&PTA総会。13時20分からの数学の授業だったが、授業態度は集中していた。その後のPTA総会の少ないこと。添小のPTA総会も随分少ない集まりになったなぁと思ったけど、もう少し参加して学校の取り組みや雰囲気を感じるのも悪くないと思った。それにしても添田中学校は懐かしい。未悠が育徳館中・高だから、添中は初めての子供の入学であり、校舎も僕らの時と全然変わっていない。ちょうど中学生の時、父(次彦)が教育委員会学校教育係長だったこともあり、よく学校で見かけていた。当時の校長先生は藤澤博文先生であり、教頭先生は自宅の前の梅田正之先生だった。そして妻の父(山本徳孝)は、2度添田中学校校長を歴任している。

校訓
学習は生徒の本分
一人一人が立派に
我等の学校

前列左から4番目

昭和52年4月26日修学旅行(鹿児島磯庭園)

2009/04/26 17:44


小学校授業参観日

4月25日(土)、添田小学校参観日だった。4年生に進級した陽行(あきゆき)と新一年生の誉行(たかゆき)の初参観。2人とも算数の授業を教わっていた。卒園してまだ1ヵ月しか経っていないのに、かなり成長しているように思えた。4人の子供たちの日頃の授業を見る事ができないから、必ず授業参観には参加するようにしている。終了後、学年・学級懇談会でのPTA委員の委員さんも決まり、その後はPTA総会が行われた。役員さんたちは、ボランティアでお世話をし、本当に大変な仕事だと思う。最初の子どもの時からそうだけど、できるだけPTA行事・学校行事には協力して参加しようと思っている。これは別に選挙に出るからとかじゃなく、子どもたちが好きだし楽しいから・・・何より自分の子供たちの成長と家庭とは違った言動が見れるのが何にもましてうれしい。

そう言えば、3年前の最初のネガティブキャンペーンが”PTA会長になりたい”という噂だったなぁ。今考えると、笑い話にもならないデマだったけど、選挙に立つって言うのは全然知らない関係のなかった人をも敵(反対派)になるんだと感じた。選挙にはいろいろな噂や怪情報はつきものだけど、それに踊らされる事ほど情けないものはないと肝に銘じた。まぁ、誹謗中傷に動揺したり動じたりすることなく、毅然と立ち向かう精神力はかなりついたように思う。

2009/04/25 20:49


右脳教育は最初の子どもだけだった。

はじめての子どもが生まれる前に、飯塚にあった”赤ちゃん本舗”によく買い物に出かけた。そこで、「子どもはみんな天才」「右脳教育で子どもたちの心と豊かな才能を育てる」と言う七田式教育っていうのが目にとまった。さっそく本を買い、七田式家庭保育園なる教材セット(赤い玉のドッツやCD・カセット等)を購入し、胎教から取り組み、生まれてからも一生懸命接していた。たしか、5才ぐらいの時に驚異的な成長!な〜んて定期的な成長過程の報告が返ってきたのを記憶している。2番目の子どもも同様に取り組んだけど、親父が亡くなり、アパートから実家に引っ越して途中で挫折してしまった。その後、自宅が類焼したことで、すべての教材は跡形もなく燃えてしまい、3番目・4番目の子どもは結局七田式家庭保育園はやっていない。やった方が良いのは当たり前だけども、さぁそれが大人になってどう出てくるのかなぁ?とにかくはじめての育児は無我夢中で、下の子ども程、適当になってしまう。その右脳教育の第一人者の七田眞氏が訃報欄に掲載されていた。

立ち会い出産も経験する(最初の子どもだけ)

2009/04/24 21:08


添田町立添田小学校・添田中学校入学式

4月9日添田小学校入学式、4月10日添田中学校入学式。颯行(はやゆき)、誉行(たかゆき)がそれぞれ新1年生としてスタートを切った。今日、誉行は初めての登校。戸渡酒造前で交通立番だったので様子を見ていたが、何とも滑稽で面白かった。何れの式も立派で厳粛の中にも和やかさもあり良かった。昭和44年添田小学校入学、昭和50年中学校入学にしているから40年前、34年前になる。久しぶりに添田中学校の校歌も聴き懐かしかったなぁ。それにしても素晴らしい歌詞だと思う。また曲は小学校は歴史の重みがあり、中学校は軽快で躍動感がある。

添田小学校校歌
1 世代の光を 添田なる      2 教えの流れ 彦山の
  学びの庭の 礎は           川にもまして 清らかに
  誠の道に 築かれて          たゆむことなく よきことを
  ゆく末永く 栄うべし          求めて進め かとときも

添田中学校校歌
1 見よ東の 空高く         2 絢爛比なき 文化こそ
  秀麗英彦の 峯そびゆ        新生日本の 旗標
  山霊こりて 人となり         真理の高嶺 極むまで
  わき来る理想炬火と燃えて     我はたわまじ渾身の         
  健児競や千五百            力つくして 学ばなん

2009/04/10 22:10


珍しい稚児行列と気の合う仲間たち

4月3日・4日、「親鸞聖人750回大遠忌お待ち受け法要」に合わせて、法光寺住職の「第18世住職継職奉告法要」が厳修された。昨日(4日)は午前9時集合で10時より稚児行列も行わた。たしか僕も40年前に稚児行列に参列していて、誉行(たかゆき6才)も滅多に経験ができない貴重な思い出を創れたんじゃないかと思う。

夕方からは福智町で昔ながら(学校の先生)の気の合う仲間たちとのバーベキュー。異動もあり昇進もあり、人生いろいろ。久しぶりに大笑いしっぱなしの時間を過ごした。

法光寺の門前に書かれていたお説教、なるほどと思った。「子どもは 親の言うとおりには育たない 親のやるとおりに育つ」

2009/04/05 11:01


最後の試合〜福岡県少年少女ドッジボール大会

3月28日(土)、颯行(はやゆき)小学校生活最後のドッジボールイベント、福岡県少年少女ドッジボール大会が福岡市薬院にある九電記念体育館で行われた。結果は、1位で予選リーグを突破、決勝トーナメントではベスト4まで進出し、準決勝で敗れ3位決定戦敗退、4位となり最終試合を締めくくった。本当にチームの皆さんお疲れ様。それにしても屋久島から帰ってきてからの1年間ドッジボールをして良かった。体力的にも精神的にも随分成長し、たくさんの思い出ができたと思う。明日は、ドッジボールチームの6年生だけで別府の地獄めぐりに行くようにしている。

次男陽行(あきゆき)は、「4月からドッジボールをはじめようかなぁ〜」って話しているし、三男誉行(たかゆき)も小学校1年生になるが、「僕もドッジに行き、お兄ちゃんとジュニアに入る」と元気よく答える。上の子供が見本になり、下の子供はお姉ちゃんお兄ちゃんのようになりたいと思う。無邪気でいいなぁ〜。かっこいいと思うのは試合の時で、きつい練習と監督の怖さを知らない。大きな口をあけて笑っているが、知らぬが仏やなぁ。親としては、是非挑戦してもらいたいと願う。

今日、��BIZQ片岡社長が東京から�螢咼坤�鈴木社長が来福されているから一緒にゴルフにと誘われていたが、前から子供の行事が決まっていたので申し訳なかった。鈴木社長も選挙時にわざわざ添田の事務所に駆けつけてくれている。次回は是非とも・・・

2009/03/28 19:50


子どもたちの行事が続く

今日も子どもたちの行事が続く。長女(未悠)と次男(陽行)のピアノ発表会が、添田町オークホールであった。第1部に未悠が、ベートーヴェンの「さらばピアノよ」を演奏。第2部には未悠と陽行が、対面置きの2台のピアノにチャレンジした。こんな風に人の前で発表できるっていうのは、子どもにとっては本当に成長の糧になる。それにしても、他の子どもたちのピアノ演奏は凄い。うまいって言うのを通り過ぎて感動してしまう。未悠も陽行も自分なりに努力し、一生懸命頑張っていたと思う。

夕方18時からは、添田JOYで長男(颯行)のドッジボール送別会が行われた。近年にない弱小チームと言われながら、福岡県代表として九州大会出場。ベスト16まで勝ち進んだのは、監督・コーチそれに保護者の指導のお陰。でも何より子どもたちの努力の成果だと感じる。きっと、将来この経験が活かされる時が来ると思う。凄い結果を残してくれた。

神崎聡は、未だ何の成果を挙げる事ができず、今はひたすら人と会う事に専念するのみ。

2009.3.22



それぞれの幼稚園の思い出

子どもたちの卒業・卒園式も終わり、4月には高校・中学・小学校の入学式となる。これだけ行事が重なると時間に追われて慌ただしい。それにしても、幼稚園の卒園は寂しい。幼児らしい運動会やお遊戯会、歓迎遠足、父親参観、お誕生日会・・・一人ひとりの屈託ない笑い声が何より心を和ませてくれた。12年間、長いようで一人ひとりには短い幼稚園生活。本当にお世話になりました。昨夜は、おじいちゃん、おばあちゃんたちに囲まれて、九ちゃん食堂で卒業・卒園お祝いをしてもらった。

 未悠(みゆう)

 颯行(はやゆき)

 陽行(あきゆき)

 誉行(たかゆき)

2009/03/21 14:37


卒園式〜宮城幼稚園

中学校、小学校そして幼稚園と卒業が続く。今日は宮城幼稚園卒園式だった。末っ子・誉行(たかゆき)が幼稚園を巣立っていく。僕ら親にとっては、実に幼稚園12年間の生活にピリオドが打たれた。子供たちの中学・小学生と違って、就学前っていうのは何とも、微笑ましく無邪気で、屈託のない笑顔が一番だった。特に末っ子だから、愛らしいっていうか・・・「あ〜ぁ、もう幼稚園に来ることがないんだ」って思うと、しみじみ寂しさが込みあげてくる。

どうして幼稚園だったのか?っていうと、まだ田川市新町のアパートで暮らしていた時、共働きという事もあり、添田の実家の両親に子供の預けないと回らない。2人の所得合計だから、えらく保育料がかかるので・・・結局幼稚園に行かせることにした。それで必然的に実家の近くの幼稚園ということになった。3学年づつ離れて4人の子供たち。あれから12年経ってしまった。修学前の子どもたちが、何とも子どもらしく、本当に面白い育児時期だったような気がする。もう2度と味わう事ができない時代が去っていく。

2009/03/20 20:58


卒業式〜添田町立添田小学校

今日は長男颯行(はやゆき)の添田小学校卒業式。3月14日の長女未悠(みゆう)の中学校卒業に続いての卒業式であった。卒業生も在校生もきちんとしていて、実に立派な卒業式だったと思う。学生服やセーラー服・制服を着ている姿を見ると、既に中学生になったようなたくましさを感じる。先日、子供と一緒に学生服を買いに行った時、三十数年前と随分学生服も変わっていた。自分が着ていた学生服は、トップカルダンで詰襟の高さも5cmあり、裏生地は鷹や虎の赤い刺しゅうだった。今では、標準型学生服になっているらしく、「近頃の子供は、学生服じゃお洒落しませんよ」ってお店の人に言われてしまった。だから、今の学生服はかっこ悪い気がするが・・・妻(女)には、なかなかわからないようだ・・・

もう中学生かぁ〜!思春期(反抗期)を迎え、男だから長女の時以上に難しい年頃になってくるなぁ〜。これからいろんな経験もするし、高校受験・大学受験の壁も乗り越えないといけない。とにもかくにも一つの節目が過ぎていく。卒業おめでとう。相変わらず、神崎妻は涙を流していたが、3年前の長女の小学校卒業式とは少し感じ方が違った卒業だった。

2009/03/19 15:33


海外旅行(出張)

 モルディブの子どもたち

今日3月7日は、田中正添田町議の子供さんの結婚式。福岡市内の式場まで送迎バスで行ってくる。そう言えば、3月7日は、新婚旅行からの帰国の日だった。27日ブログの

水上コテージで

ダイビングにも挑戦

妻に比べると、海外出張も含めてよく行ったなぁ。最初の海外は、1988年25才の時のJC青年の船だった。横浜からコーラルプリンセス号に乗船し香港からグアムまで2週間の旅であった。

世界平和と青年の役割

 7日目に香港へ

評論家大宅映子さん

 グアムの恋人岬

そして、次の機会が妹悦子がミス大和なでしこ(?)か何かになって、副賞として、ロサンゼルス・サンフランシスコ・ラスベガス&グランドキャニオン旅行だった。そのおこぼれにあずかったのが1990年だったっけ。

 グランドキャニオン

そして1996年11月に全NEC C&Cシステムユーザー会で海外研修に参加した。米国の最先端IT技術の動向視察を目的に12日間の日程だった。世界最大のコンピュータ展示会「COMDEX FALL '96」の視察及び4都市(ニューヨーク、ボストン、ラスベガス、サンフランシスコ)にある情報関連企業を訪問した。

 ニューヨーク図書館視察

 自由の女神をバックに

エンパイヤーステイトビルにも

 ハーバード大学

 マサチューセッツ工科大学

 intel社訪問

ラスベガスヒルトンホテル

サンフランシスコ

そして1998年、学校の先生の仲間たちとのイギリス・スイス・イタリアのヨーロッパ旅行。従兄弟がちょうどロンドン日本人学校に勤務していて、みんなで立ち寄った。

 ロンドン観光

 先生たちと

 マッタンホルンや

 ユングフラウヨッホにも

ローマのコロッセウム

2000年からは仕事でサンマイクロシステムズや医療情報システム、STB(セット・トップ・ボックス)や新規事業等々で幾度となくサンフランシスコやソウル・台湾・上海・大連・バンコクに出張していた。また大前研一先生の向研会の海外視察にも参加させてもらい、本当にいい経験ができた。

 サンフランシスコのSUN本社で

 福岡向研究会で中国視察

北京精華大学-大前研一先生

医療ビジネスでタイヘ

そして、2006年10月にフランスへ出張し、2008年6月にバンコクで行なわれた
国際ライオンズクラブ大会を表敬訪問してきた。

いつの日か妻育子を連れて行ってあげる時がくるといいけど・・・

2009/03/07 08:34


宮崎遠征(家族編)

それにしても宮崎は遠い。鹿児島へは何度も行っているけど宮崎までは・・・なかなか。ホテルは前日まで読売巨人軍が泊まっていた青島グランドホテルだった。温泉は、ぬるぬると滑るようで、肌がツルツルになってくる気持のよい温泉だった。添田フレンズのお陰で、本当に久しぶりの家族旅行でもあった。

鬼の洗濯岩も14年ぶりかなぁ?長女未悠(みゆう)が1才半ぐらいの時に行った記憶がある。でも、朝出かけた時、満潮だったせいか見る事ができなかった。残念・・・観光なんていう時間はなかったけど、南国宮崎の景色を車窓から見ながら、ちょっとした観光気分を味わえることができた遠征だった。

こんな時代もあったんだ!

また、いつか来れるかな?

2009/03/02 22:16


よく頑張った!添田フレンズ〜九州大会ベスト16

3月1日(日)宮崎市長杯第18回春の全国小学生ドッジボール選手権九州大会が行われた。添田フレンズは、前日(2月28日)の早朝7時30分大型バスで出発した。僕ら家族全員、追いかけるように28日午前中に一路宮崎へ車を走らす。結果は、予選リーグ第1戦大分県代表の如水T・D・Oに勝ち、続いて第2戦熊本県代表の帯西トルネードにも勝った。これで予選リーグを突破し決勝トーナメントの切符が確定した。予選リーグ第3戦は沖縄県代表の国頭BRAVEだった。ここは優勝候補の一つと聞いていたが、守りが強いチームだなぁと思った。結局、国頭には負けで予選リーグ2勝1敗の2位で決勝トーナメントに進出。決勝トーナメントは、これまた優勝候補の大分県代表のオオハタブレイカーズだった。かなり良い試合内容だったと思うが、セットカウント2-0で敗退し、颯行(4番)の小学校生活ドッジボールも幕を閉じる。良く頑張った!本当によくここまで勝ち進んだと思う。監督もコーチも保護者も大きな大きな拍手を送っていた。夢を見せてくれ本当にありがとう。全国大会の出場は逃したけど、この経験はきっとこれからの人生で大きな礎を築いていけるんだと思うよ。

ちなみに全国大会への切符を手にした4チームは、北園学園(沖縄)・オオハタブレイカーズ(大分)・生目っ子倶楽部(宮崎)・国頭BRAVE(沖縄)だったから、その2チームと対戦している。十分に狙える地力はあったと思う。本当にお疲れ様でした。

開会式



Back To The Future (バック・トゥ・ザ・フューチャー)

1993年(平成5年)2月27日に結婚。あれから16年も経ってしまった。気がつけば4人の子どもたちに恵まれ、それこそ振り返れば涙あり笑いありの結婚生活やねぇ。僕は30才、君は29才だった。付き合い始めて1年後の事だった。結婚するまでは、何だか連続した偶然のような出会いだったように思う。それでいて、何となく必然的だったような気もする。結婚に至るまで本当に多くの人たちを巻き込んで、きっとドラマにもなるような、滑稽でハラハラドキドキで・・・僕らなりに面白い物語(ストーリー)になると思うよ。本当に一つひとつの場面が昨日の事のように蘇ってくるよなぁ。それにしても、何とも不思議な縁で結婚することになった。そしてこれからの15年、20年先はどんな未来が待っちょんやろうか?僕らの子どもたちが何れ僕らと同じように家を離れる時が来るんかねぇ。 ♪ 家を離れて行った時、小さなしわがまたひとつ ♪

結婚前に学校の先生たちと、一度だけカラオケに行った時の歌を思い出した。チュッリップの「青春の影」やった。 ♪ 自分の大きな夢を追うことが 今までの僕の仕事だったけど 君を幸せにすることが これからの僕の生きるしるし ♪ 君はこの歌(歌詞)が好きって喜んでいたけど、僕はあの時以上に大きな夢を追っている。すまん。

今夜(27日)、君は学校行事で帰宅が遅い。面と向かって言うのは恥ずかしいので、この場を借りてコッソリ書いとこう。「ありがとうね、君のおかげで楽しい人生を送りよう。そうとても愉快で面白いばい!」・・・

2009/02/27 21:22


過去の点はすべて繋がっている。

”自分と未来は変えられる−過去と他人は変えられない”
その昔、シーホークホテル&リゾート、ホークスタウンモールなどを再建した高塚猛氏の講演で、その著書にこう書かれていた。とてもパワフルでエネルギッシュだったのを記憶しているが、その後女性社員に対して強制わいせつ事件で刑事訴追され、言葉の割にはモラルっていうか話にならない人やったんやなぁ〜と思った。確かにこの”自分と未来は変えられる”って言葉にはポジティブであり勇気づけられる。でも、”過去と他人は変えられない”この言葉にはネガティブな意味が込められているように思う。

過去があるから現在があり、未来が開ける。だから僕は、過去は反省することはあっても、否定しちゃいかん(否定する必要はない)と思う。過去の一つひとつの経験は点でしかない、その点はバラバラだと思いがちになるが、そうじゃない。すべての点(経験)は、繋がっているんだと僕は思う。

幼い時に激しく叱られたこと、小学生の時に何かで一等賞になったこと、中学生の反抗期、高校時代に熱中した活動、大学での乱れた生活、社会人での新しいことへのチャレンジ等々・・・いろんな体験は、一見関係ないように見えるが、必ずつながっている。

孫−子供−自分−親父−祖父−曾祖父・・・すべてつながっている。過去の家族の経験が、間違いなく今の環境を作り出し、それが未来へとつながっていくんだと思う。どんな人もどんな時代も、その時は小さな出来事かもしれない。とてつもなく大きな困難かもしれない。でも、振り返ると山の稜線のように、遠くから眺めると穏やかな線に見える。人生ってきっとそうなんだと思う。

今日、飯塚商工会議所で麻生泰会頭をはじめとして農・商工連携についての意見交換があった。一つひとつの打ち合わせや出会いは小さいかもしれないけど、いつかきっと活かせる場が来ると思うし、親父(神崎次彦)が特産物開発室長時代に英彦山に生息する7つの薬草をブレンドし煎じて研究していた健康茶(P&7)も、僕にとって農・商工連携のヒントになっている。過去の点はすべて繋がっている。

2009/02/09 21:28


節分川柳 「鬼退治 豆まく勇気 ない野党」

2月3日今日は節分。我が家では、毎年恒例のように豆まきをやっている。昨年は、颯行(はやゆき)がまだ屋久島に山村留学中だったなぁ。子どもの成長と共に、この行事もいつかは終わるんやろうなぁ。小さい子どもがいるうちは面白いけど、大きくなると、もうしないよなぁ・・・ちなみに昨年の豆まきの様子をビデオに撮っていた。記念になり面白い。

2008年節分

2009年節分

節分っていうのは、もともと立春・立夏・立秋・立冬の前日を指して、4つの季節の移り変わる時の意味であるが、今では立春の前日だけを節分というようになっている。昔から節分の夜に鬼が出没するという言い慣わしで、豆を撒いて邪気を払うという。豆(魔目)の同音というところから豆=鬼という考えがあるという。

政府与党に対して、野党は定額給付金がバラマキだと言っているが、定額給付金を豆まきに例えるならば、鬼は景気低迷・雇用問題であり、世界恐慌という事か。大事なことは、まず鬼退治をして、そこで暮らしている人たちが生き残ること、経済を活性化させることを最優先に考える事が大切だと思う。

♪ 「鬼は外」 外から鬼が やって来た ♪
♪ 鬼退治 豆まく勇気 ない野党 ♪
♪ 豆まきも あと数年で 巣立ちかな ♪
♪ 豆を投げ ふざけすぎたら 茶碗投げ ♪
♪ 豆(種)まきで いつかはきっと 恩返し ♪
♪ 田川郡 渡る世間に 鬼はない ♪ (選挙区なので、ちょっと眉つばかな!?)

2009.2.3



生まれくる命、死にゆく命。

昨日から親戚のお通夜に、そして今日も町議の義父のお通夜に参列させてもらった。なぜか通夜・葬式に行くと亡き父を思い出す。今日も元添田役場課長だった方から父の話を聞く事ができた。生きていれば76才、役場を退職して15年経つ。一緒に働いていた役場の人たちも、かなり退職されている。父にとっては古き良き時代だったんじゃないかと思う。(父 神崎次彦の話で・・・)

そして、今日1月22日は長女未悠(みゆう)15才の誕生日。そう僕らが結婚したのが、平成5年(1993年)2月27日。父はその年の3月31日に添田町役場を退職した。そして翌年(平成6年)、1月22日に未悠が生まれる。午前5時に妻育子から陣痛が始まったと起こされ(結婚当初田川市新町のアパートだった)、田川市の小坂産婦人科へ。立ち会い出産だった。神崎・山本の両親も病院に駆けつけ、11時35分、雪が舞うなか、2,580グラムで無事に生まれてきた。みんな本当にうれしそうで、雪が降って生まれてきたから、雪子にしようとか、目が大きい、これは美人になるぞ、おじいちゃん似だとか・・・それはそれは満面の笑みで赤ちゃんを覗き込みながら話していたのが、昨日の事のようによみがえってくる。

2009/01/22 20:48


4人の子供たちよ!

「ああ人生に涙あり」〜水戸黄門より
1.♪ 人生楽ありゃ 苦もあるさ
    涙のあとには 虹も出る
    歩いてゆくんだ しっかりと
    自分の道を ふみしめて    ♪
2.♪ 人生勇気が 必要だ
    くじけりゃ誰かが 先に行く
    あとから来たのに 追い越され
    泣くのがいやなら さあ歩け  ♪
3.♪ 人生涙と 笑顔あり
    そんなに悪くは ないもんだ
    なんにもしないで 生きるより
    何かを求めて 生きようよ   ♪

僕の4人の子どもたち!人生は、失敗があり、挫折があり、苦しみや絶望感がある。特に人生の転機となる出来事で、何の挫折も波乱もなく、平穏無事に通過する人は稀で、自分の能力や努力だけではどうしようもない事が数多くあると思う。良いことばかりも続かないし、悪いことばかりも続かない。「人間万事 塞翁が馬」である。辛くても前を向いて歩いて行くしかない。大切な事は、勇気を失わない事だと思う。輝かしい前途を約束されて生まれてくる子なんていない。大人になる過程で、いろんな挫折を味わい、悩みを抱える。それを乗り越えて生きていかなければならない。決して委縮することなく勇んで人生を切り開け。父とお母さんの祝福を胸にひめて、大人への階段を駆け上がれ。

2009.1.22



See you ! Katrina.

1月4日午前7時45分、福岡空港国際ターミナル集合。ライオンズクラブ国際協会337-A地区YCE(Youth Camps&Exchange)来日生の帰国の途に着く。前日の3日に福岡空港近くのホテルにWong Sze Yuin,Katrina (ウォン ジィ ユィン、カトリーナ)そして僕ら家族全員で泊まっていた。家を出る時に母(羊子のおばあちゃん)そして、妻の両親と涙のお別れ。そして最後の夜は、博多名物である屋台で食事、焼き鳥やおでんを堪能してもらった。実を言うと、家族で屋台での食事は初めてであり、仕事での飲み会で、たまに中洲に行っているわりには、屋台には、殆ど行ったことがなかった。

先程、帰宅してきたが何とも気が抜けたようなホッとしたような・・・気分になっている。10日間という本当に短い期間だったが、毎日がイベント続きで、お陰様で僕ら家族も充実した毎日を過ごすことができた。これもライオンズクラブのお陰であり、そして何よりも僕ら家族だけでお世話したのではなく、川崎福岡ライオンズクラブ全員で交換留学生への受け入れを行ない、社会貢献・国際貢献ができたんだと思っている。このような機会を頂き、本当に感謝している。

Thank you for Katrina. We families were going to be really happy and to do a wonderful experience for my children.
See you ! Katrina.

2009/01/04 16:13


のんびりしたお正月

お正月2日、かなり早いけどカトリーナのためにお雛様の飾り付けをした。その後、田川高校サッカー部のOB戦に差し入れと会費を納めに見学に行く。何かいいなぁ、30年も時間が経っているのにこうして母校に来れるっていうのは・・・本当は一緒にミニゲームができたらなぁと思うけど、どうしても予定があるので挨拶だけになってしまう。午後から妹家族が新年の挨拶にやってきた。昨日は英彦山神宮の帰りに妻の実家(山本徳孝)でお正月料理をご馳走になったが、今日は自宅でおせち料理や鍋料理を食べ、義弟とも久しぶりに酒を飲み交わす。今年はごく普通の家族だけのお正月を過ごす事ができた。

2009/01/02 21:00


謹賀新年(平成21年1月1日)

謹んで新春のお慶びを申し上げます

皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます

                   平成二十一年 元旦

妻育子と英彦山神宮参拝

「年頭に思うこと」

新しく年が明けましたが、これまで経験したことがない不透明でかつ厳しい時代を迎えているんじゃないかと思います。予兆(前兆)はあったにせよ、一瞬にして世界経済を混迷に陥れた2008年9月15日のリーマンショックは、歴史の転換期だと後世に言われるんじゃないかと思います。「100年に1度」とさえ言われるこの危機的状況を打破するのは、やはり人しかいません。

これまでと違った価値観・社会のあり方を見直し、将来に希望が持てる世の中への道筋をつけることが、今から求められてくるんだと思います。それは、明治以来の中央集権体制から分権体制・地域自立体制へと移行する新しい国のかたちであり、歴史や伝統・文化を継承し、地域を見直し、産業創出によって、地方を再生し、地域国家というまったく新しい概念を取り入れることじゃないかと思うんであります。これまでのような、中央からの分配を競うのではなく需要の創出を競うことこそが、今の状況を打破する一つの方法だと感じるからです。

九州は東京や北海道の将来ビジョンとは大きく違ってきます。ですから当然、雇用確保のための新産業創出も地域ごと異なってきます。私の故郷、田川地域のように石炭後の産業が育たなかった歴史を繰り返してはいけないと思っています。本当は、田川地域には非常にポテンシャルが高い分野があります。直接アジアと交流ができ医療・福祉・介護、健康(Health care)、或いは農林業を主体とする自然と共生する環境ビジネスも大いにチャンスがある分野であります。要は、中央からほどこされる限られたパイを奪い合ってもダメであり、そこに住んでいる地域住民やリーダシップを持った地域の政治家自身が自立していこうとする気概が本当に必要な時代になってきたんだと思うんです。

今の時代は、きっと戦国時代と明治維新が一緒になったような時代じゃないかと思います。混沌としている時代だからこそ、人材だと思います。地域は人という資源に対して投資するしかないんだと思います。変革の時代にあって、一人ひとりが何を為すべきか、独立自尊、人材を育成することで未来という希望を切り開いていけると確信しています。

自宅でお正月

元旦 英彦山神宮参拝

2009/01/01 21:50


今年(平成20年)も本当にお世話になりました。

2008年12月31日大晦日。今年も本当にお世話になりました。

今年もまた「感謝と反省」の年でした。多くの人に助けられ、また何の恩返しもできずに一年が過ぎてしまいました。何れの日かきっと、と強く思っています。平成23年(2011年)に向けて、来春から「神崎聡」始動致します。これからもよろしくご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。そして、このように年を越せる事ができるのも皆様のお陰であります。心から御礼申し上げます。どうぞ良い年を迎えられますように・・・

平成20年12月31日
神崎 聡

追伸:平成21年活動報告はこちらに掲載しています。

新着 活動ブログはこちらです。

RSS、ブックマークの方は、変更をお願いします。来年もどうぞよろしくお願いします。

備考:今日12月31日は、誉行(たかゆき)の6才の誕生日。家族が一緒にお祝いできる日で良かったなぁと思う。今年はマレーシアからのライオンズクラブ来日生カトリーナも来ているので、本当に良い誕生日ができた。ケーキも自家製で、とても美味しい。元気が良すぎて騒がしいけど、誉行がいるだけで家族がパァ〜と明るくなれる。お誕生日おめでとう。

2008/12/31 20:59


九重へ

Breakfastは、次男の陽行(あきゆき)がフレンチトーストを作ってくれていた。颯行(はやゆき)は、9時よりドッチボールの練習納め、カトリーナを見学に連れて行ってきた。さて、今日から2泊3日で九重へ行く。メインイベントは九重森林スキー場で、初スキーにチャレンジしてもらう。夕食は、囲炉裏を囲んでの山菜料理もいい。豆腐工房でのつまみ食いもいい。お風呂に浸かる習慣がないため、シャワーだけみたいなので、温泉でゆっくりのんびりするのもいい。僕ら家族も久しぶりの小旅行なので、みんな楽しみにしていた。さて、準備して出かけよう。

2008.12.28



カトリーナとサンタが我が家へやってきた

昨日はクリスマスイブ。神崎家にはどうもサンタはやってこなかった。でも、今日からライオンズクラブYCE来日生のカトリーナ(マレーシア)が我が家へやってきた。初日で緊張をしていると思うが、とても元気で明るい女の子で、子どもたちもとても喜んでいる。夜は、Well-come! party で歓迎した。今日から1月4日までの短い期間だけど、家族だと思って良い思い出を創ってもらいたいなぁと思う。子どもたちも冬休みなので、昼間は一緒に遊んでくれると思う。明日(12月26日)の夜は、ライオンズクラブの歓迎レセプションが18時30分より行われる。(ライオンズクラブ〜冬期YCE来日生ホストファミリー)

イブにはやってこなかったサンタも、思い出したかのように今宵やってくる。子どもたちが寝静まって鈴の音をならし・・・誉行(たかゆき)だけこそっと起こしてプレゼントを渡すんやろうなぁ。寝ぼけ眼の誉行は、びっくりした顔でお兄ちゃんを起こそうとするかもしれないけど、サンタはそのまま帰って行く。朝起きると枕もとにあるプレゼントを見つけ、きっとうれしそう喜ぶかな?そして誉行は、「僕だけがサンタに会った」と自慢するに違いない。

4人の子どもを育てていくというのは、本当に大変なことだなぁ。4人とも素直で元気が良いのが取り柄だけど、基本的には一人ひとり子どもの長所、それに弱点、欠点を意識しながら子どもたちには話をしているつもりだけれども、親の目の届かないところで何とも情けない言動をしたりし、未だ形成途上にある存在であるから未熟で判断能力も乏しかったり・・・道徳や社会ルールでさえ、わからないことが多い。自己責任の中で伸び伸び育てたいと思う反面、なかなか親の思い通りにはなってくれない。あ〜あ、我もまた通って来た道か。

2008/12/25 23:40


宮城幼稚園お誕生日会&クリスマス会

12月20日(土)宮城幼稚園の12月お誕生日会。4番目の誉行(たかゆき)は平成14年12月31日生まれで、幼稚園最後のお誕生日会となった。末っ子は、すべて最後の〇〇となるけど、何とも感無量のところがある。早いもので、あれから6年経ってしまった。本当は12月23日が予定日だったが・・・12月30日、太田亮一先生家族が自宅に遊びに来ていて、夜遅くまで一緒に飲んでいた。妻育子も「出産は来年かもね」と大笑いしていたが、翌朝陣痛が来て午前8時10分、添田町の中山産婦人科で生まれた。2850gの元気のいい男の子だった。ちなみに、僕の祖母神崎敏代おばあちゃんは、助産婦であり、中山産婦人科に長らく務めていた。

2008/12/21 22:21


お遊戯会〜Choo Choo TRAIN

土日ごとに行事が続く。相変わらず颯行(やはゆき)はドッチボール大会で、今朝も6時30分集合で宇佐カップへと向かった。夜7時30分帰宅、ベスト8だったそうで、最優秀選手賞をもらい嬉しそうにメダルを見せてくれた。また今日(12月7日)は、宮城幼稚園のお遊戯会が添田町民会館で催された。毎年の行事とはいえ、7時から1時間近く寒い中、場所取りでならび、その間妻は一生懸命お弁当を作っていた。12年連続の幼稚園お遊戯会であり、これが本当に最後となった。そう考えると寂しいなぁ。誉行も年長となり、しっかりしてきていて、それでいてまだまだ可愛い。踊りは、「Choo Choo TRAIN」。合唱は、「ドナドナ」と「虹」。合奏は、「キリマンジャロ」に「荒城の月」。

2008/12/07 21:25



父 神崎次彦の話題で・・・

不思議な事にこの時期になると親父の夢を見る。母に話すと「私は一回も見たことがない。なしやろうか?」と返してくる。去年も親父へというブログを書いたが、何れにしても夢の中でも会えると、とてもうれしい。昨日(11月28日)、焼き鳥だぼちゃんで食事をしていると添田町役場の人たち、町議会議員の人たちが入ってきて、親父の話題になった。「気難しいかったきの」「仕事は厳しかったし、げってん(へそ曲がり)やったもんな」 でも「俺は好きやった」 な〜んて話をしてくれた。本当にそうだと思う。親父の性格は一番よく知っているから、辛口でもお世辞でも何を言われても、話題にしてくれるだけで本当にうれしい。

昭和8年1月1日生まれ(酉年)、田川農林高等学校卒業後、建設会社・炭鉱で働き、昭和36年2月3日に母(羊子)と結婚、昭和36年7月1日に添田町役場職員で入庁。昭和37年9月20日長男(聡)、昭和40年10月19日長女(悦子)誕生。平成5年3月31日役場を定年退職。平成11年11月10日永眠。

平成13年火災に見舞われたため、あまり残っていない写真を眺めていると涙が出てくる。

2008.11.29



年末の挨拶廻りとお遊戯会の衣装作り

年末挨拶の季節になった。今日は�衙牟綵�CSK(旧サービスウェア九州)の津崎専務の依頼で福岡県庁への挨拶廻りをしてきた。今年CSKグループ再編で社名が変わり、4月からは役員も変わったばかりなので、一緒に同行を頼まれていた。福岡県庁も組織も変わり、当時の職員の人たちも定年や異動で全員変わっている。当時の企業誘致に関わった人は本当に少なくなってしまった。本当は、企業誘致までの軌跡の真実を報告しなければと思っているけど、登場人物が出てきたり、言動等いろいろあるんで、差支えない範囲での話になると思うけど・・・

さて、今年も神崎妻は、夜なべをして誉行(たかゆき)のお遊戯会の衣装作りをしている。(去年の衣装作りは、こんな感じだった。〜♪母さんが夜なべをして♪)

宮城幼稚園ドリーミングフェスタ、今年は12月7日である。EXILEのchoo choo TRAINを踊るという事で、それに合わせた衣装を作っていた。よく、布から服が作れるものだと感心してしまう。ただ、今回はえらく時間がかかっているみたいで、とてもじゃないけど僕にやれと言われても無理やね。それでもこれが最後の衣装作りだと思うと、何とも寂しい限りだという。3学年づつ離れての4人の子どもたち。12年連続の最後のお遊戯会になってしまう。

2008/11/26 19:59


マラソン大会と藤江氏魚楽園(雪舟さんの紅葉祭り)

毎年恒例の添田町子ども会マラソン大会が行われた。陽行(あきゆき小3)が出場、3年生(1キロ)で2位だった。走り終えた後、妻と二人で直ぐに川崎町にある藤江氏魚楽園に向かった。第9回雪舟さんの紅葉祭りが開催されていて、宮城幼稚園児が器楽合奏で出演していた。誉行(たかゆき年長)はマリンバを演奏していて、真崎保育園の太鼓演奏同様、何とも微笑ましく、和やかな雰囲気に包まれた。その後、バナナの叩き売りや大分県の浦和太鼓、荒平バンド生演奏、天降太鼓、聖導神楽と続く。500年も前に築庭された歴史がある。「魚楽しければ人また楽し、人楽しければ魚また楽し」雪舟さんの名言である。

2008/11/16 19:32


変わってしまった僕の女性観

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この前の岳陽同窓会の時、女友達みんなから「神崎君、硬派やったもんねぇ」って言われた。いつも男友達と一緒だったし、部活(サッカー)に燃えていたもんだから、女の子から話しかけられても、ぶっきらぼうに受け答えしたり、もしかすると友達から冷やかされるのが嫌だったのかもしれない。決して関心がなかったわけじゃなく、実際高校3年生の終わりに一人付き合った友だちもできた。(電話や手紙だけだったけど・・・)

大学時代も福岡県人会活動とゼミ活動が中心でそれは本当に楽しい生活だった。女っ気がほとんどなかったため、羽目が外せ、良いも悪いもたくさんの思い出ができた。ところが社会人になり、麻生セメント�蠑霾鵐轡好謄猊瑤貿杪亜蔽淤�電算センター→�衙秬絃霾鵐轡好謄燹法�当時ここはキーパンチャーが多くいて女性の園だった。入社時、どう対応したらいいのか、本当に面食らっていた。

27,8才ぐらいになると結婚を意識するようになり、自分の中に女性像をイメージしていた。そして友だちに話していて(まだ彼女もいないものだから)、�“�人で��気立てが良くて�1儻譴�できて�っ聾気了劼猫セ匐々イ� っていうのが厚かましい希望だった。そして、「顔は変えられないけど、性格は僕が変えちゃる」な〜んて酒を飲みながら豪語していた。でも、結婚して生活していくと、「顔は変わる、でも性格は変わらない」という事がよくわかった。そして性格が変わったのは自分自身だった。結婚前と結婚後の女性観、大きく変わったなぁと自覚している。たまに喧嘩もするけど、最良のパートナーで良かったと思っている。

2008/11/07 09:22


ドッチボール大会(2008south cup in chikugo)続き

昨日のドッチボール大会の続き、you tubeのアップに時間がかかっていたので・・・それにしてもドッチボールって結構興奮するなぁ。内野から相手チームにボールを当てても、相手1人が外野に出て、その差は1なんやけど、外野から相手に当てると、味方外野選手は内野に戻れて、相手内野選手は外野に出されるから、差は2になる。連続で決まるとあっという間に形勢が逆転してしまう。

あまりよろしくない例えだけど、選挙で相手陣営の票を1票ひっくり返すと2票分の効果があがるのと同じだ。直ぐに選挙に結びつける悪い癖がついてしまった。子どもたちは真剣勝負!不謹慎なコメント、ごめんなさい。

上の映像はトーナメント1回戦(9-6勝ち)、中の映像はトーナメント3回戦(11-8勝ち)、下の映像はトーナメント4回戦(9-10負け)。

2008/11/03 07:09


頑張れ!添田フレンズ(ドッチボール大会)

今日(11月2日)は、颯行(やはゆき小6)以外は久しぶりに何も行事がない一日だった。それで颯行が遠征に出かけたドッチボール大会(2008 south cup in chikugo)にみんなで応援に行こうという事で筑後市船小屋駅近くにある筑後広域公園体育館に出かけた。午前中はリーグ戦(2敗1引き分け)でいずれも惜しい負けであったが、午後からのトーナメント戦は破竹の3連勝、準々決勝で敗退したものの、ベスト16となった。どのチームも日頃のきつい練習に耐えて、本番では5分間という時間の中で、作戦を立て、一本に集中している。一瞬にして試合状況が変わったりするが、試合をしている子どもたちは本当に一試合ごとに成長しているような気がしてくる。大したもんだ。見ている親のほうがハラハラドキドキしていた。ビデオをアップしてみた。最初の映像は予選リーグ戦(7-8で負け)、2番目の映像はトーナメント2回戦(10-7で勝ち)。



誉行(たかゆき)七五三のお祝い

今日(10月25日)、三男誉行(たかゆき)の七五三のお詣りを家族でお祝いした。朝、須佐神社に参り、10時より添田町岡本写真館で記念撮影。それから田川市の風治八幡宮で祝詞をあげて頂いた。その後、みんなで本家山賊鍋で昼食でお祝いした。これで子どもたち4人すべての七五三が終了した。山賊で食べた後は、バッティングセンターだぁ。山本の両親とも久しぶりに話ができた。かなり選挙区情勢も変わってきていて、いろんな動きがある情報共有と対応について話し合った。

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2008/10/25 17:05


添田岩石城まつりと母古希の祝い

18日・19日は添田ふる里まつり、岩石城まつりだった。3男誉行(たかゆき)も幼稚園年長組ということで、添田町役場からふる里まつり会場であるサン・スポーツランドまでの武者行列に参加した。毎年恒例の秋の行事だけれども、昔に比べるとちょっと少なくなったような気もする。でも、子どもにとってはいい思い出になったと思う。添田町だけでも秋のイベントは毎週のようにある。運動会、スポーツ大会・紅葉行楽・芸術祭・福祉祭・文化祭・食祭り、まつり・・・他町村にも行かなくちゃいけないし、企画・運営する人たちも参加する人たちもイベント疲れになりそうな日程で大変。

10月18日は、母(神崎羊子)の誕生日。70才古希になる。昭和13年生まれの寅年。家族で誕生日祝いをした。近くの添田町畑川にある同級生のお店(近藤商店)からお寿司や刺身なんかをとって、座敷でささやかな古希のお祝いであった。

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2008/10/19 19:15


それぞれの運動会

10月の3連休もあっという間に終わった。それと秋の行事運動会もすべて終了した。9月13日の未悠(みゆう)の育徳館中学校、9月28日妻育子の落合小学校、10月5日は颯行(はやゆき)・陽行(あきゆき)添田小学校、そして10月12日末っ子誉行(たかゆき)幼稚園最後の運動会。こうやって一年一年成長していくんやなぁ。子育てもまだまだ先が長い。

秋の行事もこれから休日ごとに目白押し。スポーツ・食欲・読書・同窓会の秋を満喫したい。それぞれの運動会も終わり、そろそろ父の(選挙)運動会の番が近づいてきた。

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2008/10/14 04:54


運動会シーズン

昨日は妻と二人でささやかな祝杯をあげた。僕らのご媒酌人であり、心の支えでもある。麻生太郎先生ご夫妻には本当にご心配をおかけしていて、千賀子夫人からはよく心温まるお手紙を頂戴している。とても嬉しかったので子どもたちを寝かせて、近くの居酒屋「だぼちゃん」に出かけ乾杯していた。

子どもたちと言えば、学校は運動会シーズンに突入。既に長女の育徳館中学校は9月13日に体育祭は終わっているが、9月28日は妻育子の落合小学校運動会、10月5日が添田小学校、そして10月12日宮城幼稚園運動会の行事と続く。世間では、政治や経済が大変な状況になっているのに我が家では運動会モードになっている。騒がしいといえば騒がしく、でも張り切っているのは妻の方で、組体操なんかを手伝わされる。ちょっと恥ずかしいが写真を撮ったのでアップしよう。

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2008/09/23 19:56


神崎聡 46才。

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今日9月20日は誕生日、46才となった。去年は何をしていたのかなぁと思い去年のブログ(Birthday秘話)を見てみると東京出張だった。一昨年は(9月20日誕生日に思うこと)こんな事を書いている。月日が経つのが早いこと。自分自身はそんなに変わってないつもりだけど、子どもの成長を見ていると間違いなく年をとりながら月日は流れているんだと感じる。昭和37年(1962年)ってどんな時代だったのかなぁ?ちょっと調べたらキューバ危機があり、流行語では「あたり前田のクラッカー」とか「〜してチョーダイッ!」それに、「無責任男」「わかっちゃいるけどやめられない」 だったらしい。政界は、第2次改造池田内閣で外務大臣には大平平正芳、大蔵大臣は田中角栄。国産飛行機のYS11がテスト飛行をしたのもこの年だったという。 司馬遼太郎「竜馬がゆく」、赤塚不二夫「おそまつ君」「ひみつのアッコちゃん」・・・昭和37年9月20日には、鈴鹿サーキット完成。東海道新幹線の新丹那トンネルが貫通する記事がある。自分の誕生日の新聞はないのかと探すと、お誕生日新聞っていうサービスがあった。福岡タワーに設置していっていうことなので、いつか時間があれば・・・

外食しようかと思っていたが、子どもたちが家でバーベキューがしたいというので庭で準備した。父(ちち)46才の誕生日、家族がみんなで祝ってくれた。

2008/09/20 22:14


お父さんの家出

ソフトバンクモバイルのCM白戸(ホワイト)家のお父さんじゃないが、家に犬がいる。名前は「そうた」。平成16年5月連休期間中に財団法人福岡県動物愛護センター(旧動物管理センター)の譲渡会で我が家にきた。「そうた」という名は「北の国から」の草太兄ちゃんから名付けた。(友人の辻眞作先生の犬が「ゴロウ」だったので)

家族で登山したり、キャンプしたり、小旅行の時も一緒に車に乗せて連れて行く。色が真っ白で赤い首輪をしているためか、知らない人から「お父さん」と呼ばれ、しっぽをふって愛想良く振る舞う。日頃はとても優しくおとなしく、吠えることはないし、決して噛みついたりしない。

その「そうた」が唯一怖いものが、雷である。血相を変えて、舌で「ハァハァ」息をし、ヨダレを垂らして、狂ったように怯える。そのため、家の板塀は破られ、門は崩され、高さも最初1mの高さでも大丈夫だったのに、今では180cmの高さになっている。

先日も脱走した。首輪に連絡先を書いてあったので、親切な方が保護して下さり家に連絡して頂いた。帰宅して迎えに行ったが、もう何回目になるのか。今日もまた大雨とカミナリがなっていた。しっかりと綱をつないでライオンズクラブ例会に出かけた。今帰宅するとおとなしく寝ていた。今日はライオンズクラブ100%例会だったが、惜しくも2人欠席だった。それでも初めてお会いするメンバーもいて、僕としては収穫大の例会であった。

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2008/08/23 00:41


夏の終わりの思い出〜ソフトバンク観戦

8月18日(月)、この夏最後の家族イベント「ソフトバンクvs日本ハム」yahooドームで野球観戦。子どもたちにとって初めてのプロ野球観戦だった。妻も独身時代は結構ホークス応援団で行っていたが、結婚してまったく行けていなかった。みんなハシャギ過ぎるくらい声をからして大喜びだった。こんなに喜ぶんだったら連れて行ってあげれば良かったなぁ。結果は7-0で完封負け。まったく打てなかった。残念!でも、本当に楽しめて、夏のいい思い出になったと思う。

仕事もいろんな案件も出てきた。民需でのIT関係(システム構築)の仕事の話、医療関係、観光情報等、ボランティア活動のお誘いに、就職での悩み相談、政治パーティや病気お見舞い等々・・・連休明けでどっと情報が入ってきた。一つ一つ丁寧に応えていこう。

それにしても選挙という人間関係の最も難しい中で、いつまでもお付き合いをして下さる方々、一緒に仕事をしようと温かく迎えてくれる仲間、落選したにも関わらず引き続き応援して下さる支援者の皆さん、涙がでるくらいうれしい。この事を生涯忘れちゃいけない。

逆にこれまで友達付き合いしていたのに利害関係で離れていった人、落選したために疎遠になった人もいる。 ぐっと胸の内にしまって、またいつか笑って話ができる時がくるかなぁ。人の気持ち暖かさ・有難さに感謝しながら、いつの日かきっと恩返しをしたいと思っている。

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2008/08/19 22:06


初見物、小旅行。

久しぶりのブログ更新になる。初盆参り等行事はあったが、13日から17日まで家族での夏休み。颯行も15日に屋久島よりトッピーに、鹿児島からリレーつばめに乗り帰ってきた。家族みんなで博多駅まで迎えに行く。また、ちょっと小旅行で豊後高田市まで足を延ばした。豊後高田昭和の町や東光寺五百羅漢も見てきた。天候が悪かったが、子どもたちにとって初めての阿蘇山の火口にも連れて行ってきた。昔は小学校修学旅行定番(別府・阿蘇)だったのに、近頃は平和学習という事で長崎が多いらしい。

それにしてもオリンピックは感動の連続だった。「2大会連続」「大逆転」「まさかの敗退」・・・毎日ハラハラドキドキで夜はテレビに釘付けになっていた。さぁ明日からまた仕事に復帰。妻も子供たちも夏休みといっても行事が続く。ちょっとした夏休みを満喫している。明日の夜はソフトバンクvs日本ハム。子どもたちにとって初めてのプロ野球観戦である。

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2008/08/17 21:18


スペースワールドへ

今日(8月9日)は、添田東子供会行事だった。ここ数年は夏休みキャンプor英彦山青年の家合宿だったが、今年はバスハイクでスペースワールドとなった。去年の夏に家族で行ったので1年ぶりだった。上の子ども2人は単独行動で、家族で一緒に行動することはなくなったんだなぁ。下の子どもたちと一緒に乗り物やアトラクションをまわった。待ち時間もほとんどなく、子供たちはそれなりに楽しんだようだった。

テーマパークはどこも厳しいとは聞いていたが、夏休みの土曜日というのにお客さんは少なかった。昨年と比べても何か厳しいなぁと思った。タイタンVも昨年度末の事故からなのか、運休だったし、運休や点検中のアトラクションがかなりあった。従業員も少なかったのは気のせいなのかなぁ?ただ、新しくプールが出来ていたり、スケート場もフリーパスで入れたり、新しく取り入れたものもあった。頑張ってほしいスペースワールド。

北京オリンピック柔道の谷亮子は3連覇ならず、惜しくも銅メダルだった。まだまだ見どころははじまったばかり。

平泳ぎの北島康介は、2大会連続メダルを獲得することができるか

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2008/08/09 21:18



福岡県小学生ドッジボール交流大会

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福岡県小学生ドッジボール交流大会がyahooドームで開催され、応援に出かけた。誉行(たかゆき5才)は初めてのyahooドームで、いつもの事ながら、かなりハイテンション。予選は5パートに別れリーグ戦で、3試合3セットの得失点差での勝敗だった。添田町はパート優勝で決勝トーナメントへ。準々決勝、準決勝と何れも2-0で順調に勝ち進んだが、決勝で惜しくも大牟田市に2-0で負けてしまった。ドッチボールってこんなに燃えるものなのか。準優勝ではあったが、やはり負けると悔しい思いだった。合計15セットで選手はみんなは苦しかったと思う。それでも、みんな本当によく頑張った。長女にせよ、長男にせよ、こうやってだんだんと親元から自立していくのかなぁ。親の知らない自分の世界をつくっている。弟二人もまた違った環境で自分の道を見つけてもらいたいものだと願う。

今度8月18日Yahoo DOME 福岡ソフトバンクvs日本ハム戦を家族6人でスーパーボックス席で観戦させて頂く。子どもたちにとっては初めてのプロ野球観戦である。妻育子も子どものように今から喜んでいる。

誉行初めてのドーム

ジャンプボール颯行

さぁ!決勝戦

2008/08/03 21:50


今年初泳ぎ

7月21日(海の日)、少し崩れそうな天気だったので、午前中、子供たちを田川市民プールに連れて行った。息子3人はスイミングに通っているし、神崎妻は小学校のプールで指導している。したがって今年初泳ぎとなったのは自分だけである。後藤寺商店街にある�蟠疇�商店の近藤君が市民プールの副場長で受付のところで会った。後藤寺商店街振興組合が田川市市民プールの指定管理者として選考されたとのことだった。市民プールの施設は結構好評で、近くて、安くて、楽しめて、子どもたちにとって恰好の遊び場である。子どもたちを見ながら妻と「もう手がかからなくなったねぇ、ちょっと寂しいけど・・・」「私たちの時は、川ばかりやったねぇ」と他愛もない会話をしながら、誉行(たかゆき)の行動だけは目を離さずに見ていた。

帰ってから家の駐車場でバーベキューをした。海の日だから海鮮バーベキューにしようと思いスーパーに買い物に行ったが、サザエやアワビが全然ない。やっぱり漁船が燃料高騰で出ていないからなのか?子どもたちはロースやカルビーで、僕らはイカとエビとホタテに野菜を食べ、汗をタラタラと流しながらビールを飲んでいた。これから先、なかなか家族一緒に行動が難しそうだから、今のうちに遊んでやろう。きっとこんな時代はもう来ないんやろうなぁと思いつつ・・・

2008/07/21 18:50


添田フレンズ〜ドッチボール大会

7月13日(日)、午前中未悠(中3)の英検3級面接(筆記は既に合格)に試験会場の東筑紫学園高等学校(小倉)まで送ってやる。颯行(小6)は福岡県内のドッチボール大会が添田ドームで行われていて、家族はそちらに応援。午後から合流した。小学校4年生で「添田フレンズ」に入っていたが、5年生は屋久島留学だったから、1年間のブランクがあったが・・・

初めてドッチボール公式試合を見たが、子供たちの体力と気合は凄まじい。添田フレンズは九州大会で優勝したり、全国大会にも出場するくらい強いと聞いていたが、いやぁ見ているだけで力が入った。益田茂監督の指導力なんだなぁと感心した。インターバルの休憩時に迫力ある指導をしていた。子供たちにも緊張の糸がピーンとはり、気合いが入っていた。親御さんも練習といい毎週土日の遠征試合といい、世話や応援等々本当に大変で、まったく行けていないものだから皆さんに申し訳ない気持ちだった。

2008/07/14 19:45


小国富士(湧蓋山わいたさん)山登り

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5月4日神幸祭注連下し祭典も無事に終わり、添田東公民館で直会(なおらい)が行われた。いつもの事だけどお酒が入ると必ずと言って程、選挙の話になる。本当に有難い事だと思う。「今度は大丈夫やきの」と根拠のない大丈夫だなぁ!?と思いながら、何度もがんばりますと応えながらいつも激励される。原田義明代議士の同級生である岩崎さん(元添田役場課長)と一緒にパチッ。

5月5日朝方からの雨と山頂は霧がかかっていたので、子どもたちもいるので登山は断念した。近くの温泉で太田家と一緒に卵やトウモロコシ・さつま芋・ジャガイモなんかを地獄蒸しで食べたり、子どもたちと一緒にテニスをして過ごす。夕方には福智町立小学校に異動になった辻先生が合流してきた。

5月6日今日は天気も良く九重連山が見える湧蓋山(標高1500m)に山登りを決行する。小国富士と呼ばれるように遠くから見ると山の稜線がとても美しい。そのわりに結構急な勾配が続き、運動不足な身にはこたえた。それでもやっと背負子も卒業し、親としても一段落といったところか。思い起こせば11年前鹿児島の開聞岳(薩摩富士)を皮切りに、湯布院の由布岳(豊後富士)、霧島の高千穂峰・・・等々太田家・辻家・神崎家3家族で厳しい山登りを体験してきた。いや、4人の子供を抱え常に背負子で登山しないといけなかった僕にとっては、地獄の山登りだった。それがやっと背負子がいらなくなった。

山を登る事は努力の一歩、人生を開くことも努力の一歩。今度は政治という、大きく高く、かつ厳しい山を登りかけている。

2008/05/06 21:52


家族デー

土曜日(4月26日)、「高杉晋作と奇兵隊」を家族で見に行こうと思っていたが、急きょ神崎妻がドラリオン(dralion)福岡公演に行こうという提案があり、午後長女が部活から帰宅して福岡筥崎宮前まで車を飛ばした。当日券で入場したが、それは凄い迫力とエネルギッシュな演技に魅了させてくれ、末っ子(5才)誉行まで目を丸々して見ていた。感動的なショーだった。何でもそうだけど、子供のうちから感動するものを見たり体験するって大事なことだと思う。

翌日曜日、九重で友だち家族(太田家・辻家)との山登り(5月5日)のための下見に行ってきた。この家族との登山も11年間続いている。九州各地の山々を登った思い出もたくさんできた。時間もあったので温泉にもゆっくり入り、子どもたちともドッチボールで中当て遊びをした。本気でやったもんだから腕が強張って筋肉痛である。

今日は幼稚園の最後の遠足だった。実に12年連続11回目の遠足で到津の森公園だった。共働きであり、ほとんど僕が休暇を取っての参加だったが今日は夫婦そろって休みを取り、最後の遠足を楽しんだ。帰宅して午後19時30分より添田東子供育成会の新旧役員引き継ぎと神幸祭の打ち合わせが行われた。昨日の夜は上添田財団区総会も行われ、神幸祭一色に街全体がなってくる。

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2008/04/28 22:04


予報が外れ、花見満喫。

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週末は天気が崩れるという予報が外れ、絶好の花見日和だった。去年は花見に来ている所に行っては、挨拶をし、手を振り、握手をしていた。今年は家族で少しの時間だったが添田公園 での花見を楽しんだ。お昼には山本譲二さんが来られていたが、僕らは行けなかったが母だけ行った。桜の下で何とも穏やかな時間を過ごす。こういった時間も本当に大切だと思う。そう言えば、屋久島から帰ってきて家族揃って初めての外食だ。焼鳥やらお好み焼き・焼きそばを食べながら、明日からの精気を家族全員養う。いやいや、ただ単に爽快な気分で飲めればいいやって思うだけであった。

2008/04/06 19:53



屋久島かめんこ留学2(おもいでの永田)

昨日から電波の通じない地域にいた。大分県九重町、でもここもブロードバンドゼロ地域に選定されているからそのうち光ケーブルが敷かれるんじゃないかな。屋久島のビデオ編集も帰宅してやっとできた。本当に子どもたちにとって良い経験になったと思う。親元を離れて一年間、楽しいかったことや悲しかったこと・・・出会いと別れ・・・ちょっと頼もしくなった我が子を見ると、親として誇らしく思う。4月からは添田小学校6年生、二度と来ない小学校生活を満喫してほしいと願う。

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2008/03/30 22:20


屋久島かめんこ留学(おもいでの永田)

3月26,27日屋久島まで子ども(颯行)を迎えに行ってきた。27日鹿児島は悪天候で少々船の到着時間が遅れ、その分帰宅も深夜になったっが無事に帰れて良かった。

26日夜には屋久島永田地区の送別会にも参加させて頂き1年間お世話になったお礼を申し上げる。里親さんをはじめ学校・地域をあげて本当に育てて頂いた。皆さんの話を聞いたり地域のコミュニティに触れながら屋久島にあずけて良かったなぁと心から思う。子どもも屋久島での体験を通して誇りと自信を持っったんじゃないかと思う。そしてたくましく成長した我が子を親としても誇らしく思う。屋久島永田の皆さん本当にありがとうございました。かめの子のように今度戻ってくるときは大きく成長した颯行を見てもらいたいと思います。

昨夜(28日)は、昔からの仲間(学校の先生)と一緒に颯行のお疲れ様&昇進・昇格おめでとう会。もう20年近く付き合っているが、みんな管理職になっている。田川の子どもたちの教育・学力向上にかける熱意は、今も昔も変わっていない。

2008/03/29 09:51



颯行(はやゆき)を迎えに屋久島へ

年度末ということか人事異動の時期か、どこに行ってもバタバタしている。帰宅して19時より隣組総会があった。来年度は隣組長になるし、添田町神幸祭の山元にもあたるので大変だ。会計報告や引き継ぎ等の話が先程終わった。

さぁ、今(21時)から屋久島に出発する。長男颯行(はやゆき)の1年間の山村留学が終わり、家族全員で迎えに行く。みんな久しぶりに会えるので楽しみである。たぶん夜中の2時〜3時くらいに鹿児島について仮眠をとる。フェリー(屋久島2)は8時15分出港で、それから4時間かかって12時30分に宮之浦港に入港予定。それから永田まで1時間弱ぐらいかな。明日の14時には晴れてご対面となる。

屋久町立永田小学校の挨拶に行き、近所にも挨拶廻り(選挙みたいだなぁ)、夜は里親さんの家で一緒に夕食会があるそうで・・・本当に1年間お世話になりました。近くの民宿に泊まるようにしているが、長女未悠は4年前の山村留学の里親さんの家に宿泊させて頂く。

次の日、13時宮之浦出港し、17時20分鹿児島港入港する。お風呂は船で済まし、添田に帰宅するのが27日22時30分になる。結構ハードスケジュールだけど何度もこのパターンなのでもう慣れている。

長女の時もそうだったが、フェリー屋久島2で宮之浦港を出港する時、とても感動する。一応ビデオを持って撮影しようと思う。

本当は、27日にある「新ふくおかIT戦略シンポジウム」に出席したかったが、どうしても26,27日に迎えに行かないといけなかった。

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2008/03/28 00:28


ピアノ発表会

昨日は英彦山の鷹巣高原ホテルで従兄弟よりがあった。毎年一度という事でちょっと少なかったが楽しく飲めた。ここのホテルは料理が美味しいのは言うまでもないが、とにかく料理の量が半端じゃない。夕食は次から次へと出てきて、朝食も朝から鯛が出てくる、さしみもあり、湯豆腐に温泉卵・・・・本当に食べ切らないな量である。妻の方のいとこは、父方で全部で16人(配偶者入れると倍になるなぁ)、母方で14人と本当に多い。僕の方のいとこは、父方で13人、母方で8人いる。親の兄弟が多いといとこの数も半端じゃないなぁ。

今日は子どもたちのピアノ発表会だった。去年の初めての発表会は選挙真っ最中だったから行けなかったが、今年はゆっくり聞けた。未悠(14才)陽行(8才)、他の子どもたちに比べると話にならないくらいレベルは低いが、それでも練習の成果かなり上達したんじゃないかな。これも中島美保先生のお陰だなぁと思う。中島美保先生は小学校時の2つ後輩になるが、習字を一緒に習っていた。かなり厳しい塾だったが、ピアノのレッスンもかなり厳しく指導してもらっている。弟の陽行(あきゆき)はお姉ちゃんが行っているから僕も行きたいと安易な気持ちでレッスンを受けることになったが、毎回泣きながら帰宅している。でも、親としては今の時代、ピアノを通して持続力・精神力(根性)・努力が養えるので本当に感謝している。

2008/03/20 22:49


新しい門出と別れ

今日は末っ子(4番目)の幼稚園卒園・修了式。我が家にとっては実に11回目となる。4月からは年長になり、いよいよあと1年で幼稚園も卒業となる。担任の先生も寿退職という事で小さい子どもたちにとっても初めての別れを体験する。6年前、新卒で幼稚園に来られ3人の子どもたちがお世話になった。最初の1年は正直大丈夫かなぁって思っていたが、翌年脱皮するように教育者として開花され、人ってこんなにも成長するものかと妻ともども驚いた。親も同様で、子育ては実は親育ちのところがある。是非、新たなところで嫁がれても教育者としての道を歩んでもらいたいなぁと思う。

小さくても出会いもあれば別れもある。わかっているのかどうかわからないが、こんな経験をしながら成長していくんだなぁと思う。わんぱくで結構、たくましく育ってほしいと親バカであるが、孤育てにならないように夫婦で力合わせて子育てを楽しもうと思う。

2008/03/20


春の陽気に誘われて

土日もお葬式や何やら急な用事が出来たり・・・それでも春の予感、ぽかぽか陽気に誘われて子どもたちと一緒につくしを採りに行った。1時間ぐらいの間に殆ど移動することもなく、子供たちも喜んでたくさんのつくしをとっていた。

近くの歓遊舎ひこさんが、昨日(15日)JR日田彦山線歓遊舎ひこさん駅として開設された。557番目の駅らしいが、道の駅とJR駅と相乗効果でどんどん添田町に訪れてもらいたいなぁと心から思う。

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2008/03/19 08:06


思い出のビデオ(最終編)

今日は結婚記念日だった。婚姻届は当日の朝、添田町役場に自分で届けた。一般的な用紙だったなぁ〜。承認欄はそれぞれの父親の署名だった。15年か、何婚式って言うのかな。とネットで調べたら、へぇ〜1年1年記念日があるんだ。

結婚式:お礼の挨拶(本人)〜318人の披露宴でした。





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2008/02/28



あ〜いい人生だったと言えるには



いろんな人と会って仕事の課題やら悩みやら、人材育成・事業計画の目処が立たない等々、何やら元気がない人が多いような気もする。特に40代・50代の人ほど自分に規制をかけているようだ。俺の人生こんなもんだと自分で勝手に線を引いていたりしている。それに若い世代もなかなか依存体質から抜け出せていないようにも思う。なぜ元気がないのか?自分たちで道を切り開いていくためには、何が必要なのか?

自分はどういう生き方をしたいのかを考えれば、仕事や生活も違ってくるんじゃないかなぁ。個々人がもっと自由に動き回るようになれば、この地域ももっとよくなるんじゃないかと思う。景気とか失業とか年金の心配をせずに、個々人がやりたい事をやれればなぁと思う。僕は自分が棺おけに入った時に、「あ〜いい人生だった」って言えるようにしたい。そんな人生を送りたいなぁと思ったりする。時間に余裕があったらやってみようとか、引退したら取り組もうとしても、なかなかできなかったともよく聞く。先延ばしするのではなく、いまやることが大切だと僕は思う。

結婚式(祝宴)vol4〜君と会えて、生活して、とても愉快である。





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2008/02/26 20:22


子どもまつり

添田町子どもまつりが添田ドームで行われた。毎年の行事になっているが、だんだん少なくなってきたような気がする。それでも子どもたちは元気いっぱいに競技を楽しんでいた。そう言えば添田ドームで数年前までテニスをしていたが、まったく行かなくなったなぁ〜。

午前中は末っ子(誉行)の宮城幼稚園でのバザーもあった。(こちらは妻に行ってもらう)たしか、去年も子ども祭りと重なっていたが、こちらはこちらでチビッ子たちが大騒ぎではしゃいでいた。

そして、午後からは添田東子供会の歓送迎会。中学校卒業と小学校新一年生入学のお祝い。これで子供会の一年の行事がすべて終了した。お疲れ様でした。

昨日に続き、よみがった結婚式:麻生太郎先生vol2

 

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2008/02/24 18:41


多様化した価値観(田舎暮らしのスローライフ)

今日も企業廻りだった。自分で解決できない案件は、できる人にお願いする。BIZQ片岡社長に同行してもらい、クリーニング業界大手でITを取り入れ先進的な取り組みをしている企業を訪問した。異業種交流は刺激になっていい。頑張る企業、努力している起業家の人たちを応援したい気持になるのは僕だけじゃない。今日は19時から添田の番傘で添田岳陽会の引き継ぎ(今年度当番だったので)が行われる。

さて、2月27日で結婚15年になる。早いなぁと思うと同時に波瀾万丈の15年間だったように思う。気がつけば4人の子供にも恵まれ、失敗もたくさんあったが自分のやりたい事にもチャレンジできた。間違いなく神崎妻のお陰やなぁと思う。馬車馬のように頑張ってきたビジネスライフ。選挙では、実に様々な人生を送っている人たちを知った。実に様々価値観を持っている事を知った。今朝起きると外は雪景、ぼた雪を見ながら幸せって何かなぁって考えた。こんな話がある。

とあるメキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも活きが良い。それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚ですね。どれくらいの時間、漁をしていたんですか」と尋ねた。

漁師  「そんなに長い時間じゃないよ」
旅行者 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなぁ〜」
漁師  「自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だ」
旅行者 「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
漁師 「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房と昼寝して。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
旅行者 「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
漁師 「それからどうなるの」
旅行者 「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

漁師 「それで?」
旅行者 「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタ(昼寝)して過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」

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2008.2.13



子育ては親の生き方そのもの

幼い頃、田んぼの水路で友達と裸足で膝までつかりながらタニシやメダカをとって遊んでいた事、金の原に行ってクヌギの木を蹴っ飛ばして落ちてきたクワガタやカブトムシを持ち帰り大切に飼っていた頃を思い出す。何となく自然の中で自分たちの遊びを自分たちで探しているうちに小さな命の大切さを学んでいたような気もする。子どもたちを見ているとずい分遊び方も育ち方も違っている。今日1月22日は長女未悠の14才の誕生日であり、豊かな心を持ち、健全な社会を担える子育てって考えれば難しいよなぁ。

価値観が多様化しているというよりも混乱していると表現した方がいいと思うが、その混乱の中から人として何が大切かを見抜く力が、今の時代に求められているように思う。子育てというのは、次世代を担う子供をしっかりとした人間に育てると同時に、育てる親自身がより豊かな人間へと成長していくプロセスでもあるんだと感じる。いつの時代も子どもたちの生き方のモデルになるのは、親の生き方そのものである事を肝に銘じて、子どもたちを大切に育てていきたいものだ。








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2008/01/22 23:08



初スキーの成果発表

今日から実質の仕事始め。と言っても福岡県庁をはじめ挨拶廻りに終始した。明日からもしばらくは新年の挨拶廻りやミーティングの予定となっている。先日行ってきたスキーのビデオをアップしてみた。誉行(4才)初スキー特訓だ。陽行(8才)は初スノボー。1日目はレッスンでビデオを撮れなかったので2日目、3日目をビデオに収めた。父親は写っていないが、間違いなく父の役割は大きいよなぁ!

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2008.1.8



巣立ち

年末年始は家族でゆっくり過ごす事ができた。また、これだけの期間6人全員が一緒に休日を過ごせたのも初めての事だったかもしれない。本当に感謝しなければと思う。今日2番目の颯行(11才)が屋久島へ行ってしまった。迎えには鹿児島港までだったが、今日は福岡空港から飛行機で行かせた。直行便がないので福岡−鹿児島−屋久島で鹿児島空港での待ち時間も入れても2時間弱で行けるので助かる。まだ11才、何かと心細いと思うが残り3ヶ月、屋久島での生活を満喫してほしい。子どもたちも一緒にいると喧嘩になるが、離れると寂しそうにしている。何よりも神崎妻は送り出した後涙ぐんでいた。まぁ直になれると思うが・・・

あと何年ぐらい、こんなふうに家族で一緒にいられるのか?5年もすると一番上の子どもは大学生になっているから・・・だんだん子どもたちも巣立っていくんやろうなぁと思う。親として子を思う気持は、見返りを求めない本当の無償の愛なんだと思う。3月の終業式が終わり屋久島に迎えに行った時には、1年間よく頑張ったと褒めてあげようと思う。

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2008/01/06 19:24


4年ぶりにリフレッシュ休暇

4年ぶりにリフレッシュ休暇を楽しんだ。家族6人で北海道ルスツリゾートでスキーをする。末っ子の誉行は初スキーであり、これで何とか親として、子供たちのためのスキー教室の役割も終える事ができた。2才半から3才にかけて初スキーを体験させていたが、選挙活動がありちょっと遅くなったが、その分上達は短時間で既に僕らと一緒に中級者コースを滑れる。スキーだけは、理屈じゃダメで体感でしか覚える事はできない。小さい頃から慣れさせることが何より大事だとつくづく思う。陽行(次男8才)は、スノボー初挑戦。未悠・颯行のレベルはかなり高くなった。

12月31日 誉行5才の誕生日。昨日(30日)20時に帰宅して、太田先生家族も自宅に来てくれた。23時まで話で大いに盛り上がり、子ども同士も楽しく遊んでいた。昨年のブログにも書いたが、平成14年12月30日も太田家族が飲みに来て、大笑いし過ぎて31日誉行が生まれた。もう5年も経っている。

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2007/12/31 06:51


家族が揃う

昨晩22時に鹿児島から添田に帰宅。いつもはフェリー屋久島2で屋久島−鹿児島間を5時間かけて帰ってくるが、昨日は2時間で到着する高速船で帰ってきた。でもずっと椅子に座ってないといけないので、かなりシンドイ船旅である。(酔いそうだぁと言って降りてきた)

それでもみんなと会えたのがうれしいらしく、子どもたちはすぐにおしゃべりモードに入った。びっくりしたのはかなり身長が高くなっていた。親としても素直にうれしい。鹿児島インターの高速道路にのる前に、たぬきの湯で温泉に入り岐路に着いた。途中、八代インターの宮原PAで夕食をとり、後は子供たちは車の中で熟睡していた。

来年度のNHK大河ドラマ「篤姫」は薩摩島津家の物語で街中ポスターで盛り上がっているようだった。来年は鹿児島が熱くなりそうな・・・そんな気がした。

もうすぐ会えるね。

 

少し酔った〜!

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2007/12/24 10:39


子育ては楽しみもあり心配もあり

またまた育児日記になってしまうが、今日12月15日(土)は、12月生まれのお誕生日会&ちょっと早めのクリスマスが幼稚園であった。誉行12月31日で5才になる。早いなぁ〜と思う。予定日はたしか12月24日だった。なかなか気配がないらしく30日夜には友人の(学校の)先生と自宅で一緒に飲んでいた。それこそ「年が明けて来年になるばい」な〜んて大笑いしていた。翌朝7時に病院に急いで連れて行き、8時20分に誕生。

夕方は長女未悠が土曜教室と部活で迎えに行く。すると、自転車で転んだらしく大怪我をしていた。家の前の柳瀬外科に連れていく。本当に心配をかけてくれる。そして、今日18時より添田町商工会主催のイルミネーション点灯式があった。コーラスで盛り上げてくれて、都会とはまた一味違う心のこもったイルミネーションであった。少し小雨が降っていたが、始まる前には雨は止んでいた。実行委員会の人たちも親のような気持ちでイルミネーションの点灯を見守っていたんじゃないかと思った。

♪ 転倒(点灯)で ドキドキさせる 親ごころ ♪
♪ 楽しみであり 心配であり ♪

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2007/12/15 23:09


育児日記!? でもこれも大事!

今日は子供が楽しみにしていた幼稚園のお遊戯会。神崎妻が一生懸命作った衣装を着て、踊っていた。今年で11年連続出場である。来年で最後のお遊戯会になるのは寂しいが、屈託ない笑顔は見ている人みんなを幸せな気持ちにさせてくれる。10年前に比べると子供の数が本当に少なくなった。場所取りなんかも壮絶だったのに、空いているスペースもかなりあり、少子化が加速しているようにも思う。

このブログも政治ブログなのに、何か育児ブログになってきた。まぁいいか。育児も社会問題だし、実体験が何より重要であり、現役世代の意見をどう反映させるかも政治課題なんじゃないかと思う。















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2007/12/02 21:56


♪母さんが夜なべをして♪

急な誘いも結構多い。夕方になると「神崎さん、今どこ?」「今日空いてる?」と電話がなる。仕事(ビジネス)のお誘いはアポが入って、じゃ来週のいついつって感じだけど、今日・明日のお誘いはほとんど地元(選挙)関係である。でも、これはこれで有難い事だと思っている。夜遅く帰宅すると妻がミシンやアイロンをあてながら服をつくっていた。12月2日(日)に幼稚園のお遊戯会があるとの事。それの衣装を土曜日の夜から子供たちが寝静まった後にせっせとつくっていると言う。毎年の事とはいえ、こればかりは僕にはまったくできないと思った。かなり時間がかかるみたいで、本当に感謝、感謝。子供たちも、お母さんが一生懸命作った衣装を着てお遊戯するのを今から楽しみにしている。

完成間近?

2007/11/14 21:32



親父へ

聡です。先週は久しぶりに会いに来てくれました。ありがとう。会話した内容を忘れまいと覚えていたんやけど一週間経つと忘れてしまいました。僕の子供たちもみんなすくすく成長しています。未悠も中学生になって、颯行は今年1年間屋久島に行っています。当時生まれたばかりだった陽行はもう小学校2年生になったんよ。その後もう一人生まれた誉行は、幼稚園の年中組でわんぱくに育っています。言われたように二世帯住宅にしたお陰で、子供たちも「羊子のおばあちゃん、おばあちゃん」と言って、可愛がってもらっているし、僕らも共働きなので安心して面倒を見てもらっている。悦子の家族も、時々添田にも来ていて、みんな元気に過ごしているので安心して下さい。

豊前市にも行ってきたよ。去年は選挙があって行けなくてゴメン。お花とビールを持って行ったけど、わかったかねー。できればもう一度一緒に飲んで、いろんな話をしたいけど、叶わぬ夢やね。この前ね、育子が「何か、しぐさがお父さんに似てきたね〜」って言っていた。ちょっと照れくさく、ちょっとうれしかった。僕も45才になった。この時代何してた?確か教育委員会で学校建築をしてたよね。家も建てたばっかりでお金も全然ない時期だったんじゃない?もう忘れたかー?

頑固で一本気で不器用だったのかもしれないが、何事も懸命に人に頼ることなく、取り組んできた姿を僕は知っている。人にも厳しかったけど自分にはそれ以上の厳しさを課せていたのを知っている。でも気を遣っていたし、本当の優しさを僕は知っている。

あ〜あ、早いね、平成11年11月10日だったから今年で丸8年になるね。あまりにも突然だったんで・・・昨日まで話をしていたのに・・・朝早くから釣りに出かけ・・・あれからね、本当に大変やったんよ。添田に帰り、新築して火事になり、また新築して、AISを退任して選挙に立候補して・・・いろいろあったんよ。でも、何とか乗り越えていっています。頑張るしかないからね。

今からあの日と同じように東京出張に行きます。じゃぁね。たまに、また会いに来て下さい。

2007/11/10 06:17



5/5運動会 終了

今日、幼稚園(年中組)の運動会が行われた。これで家族全員の運動会が終わった。幼稚園の運動会も来年で終わりか。3学年づつ離れている4人の子どもたち。12年間幼稚園に行くことになる。幼稚園が一番楽しいな。本当に屈託ない子どもたちの笑顔を見ていると、こちらまで笑ってくる。あと、一回と思うとちょっと寂しい。思い起こせば11年前、最初の子どもの運動会が34才だったから、若かったんだなぁ。

あっ、まだもう一つの運動会があった。地域(添田東地区)の運動会。秋はとにかく行事が多い。

2007/10/07 12:48


何気ない生活の中で

先日久しぶりに家でたこ焼きorお好み焼き大会しようと思い、お好み焼粉にキャベツ、もやしと、どちらでもいいように豚バラとタコの刺身、それにソースを買ってきた。それで妻に今日はお好み焼大会をしようと持ちかけたら、「材料がないよ」と言うので材料ならほらあるよと取り出すと、でも肝心なものがないと言う。一瞬、げぇ何やろうか?青のりも鰹節も家にあるし、買い忘れたものは何だと考えたが思いつかない。「なんかい?肝心なものっち?」 と僕が聞くと、すると、「やる気がない」

(そっそうか、やる気がないのか) 僕はお好み焼きを食べる気満々だったので、仕方がない。自分で買ってきた材料でせっせと作った。何度も何度も作るが、子どもたちの食べるのがとても早く、あっという間になくなる。結局材料が尽きて、僕は一口しか食べられなかった。

アツアツのお好み焼きを食べながらゆっくりとビールを飲もうと思っていたのに・・・ささやかな幸せも、妻は予めこうなる事を予想していたみたいだった。

何気ない生活の中に、夫婦の駆け引きがある。いや、男は後から気づくのである。

2007.10.5



指輪エピソード(1)

実は、この指輪にはエピソードがある。ちょうど6年前に自宅が隣燃した時、僕は海外(韓国から台湾)に出張していた。当時妻は指輪をはずしていて、キッチンの戸棚に指輪を置いていたらしい。子どもたちと一緒に寝ていたら爆発音が鳴ったが、夢な中だったらしく暴走族の音かと思っていたという事。隣がクリーニング屋だったので業務用プロパンガスに引火し、その2回目の音で目が覚めたと言っていた。窓を開けると隣から物凄い炎が上がっていた。子どもたち3人を連れ出し、母を起こし外に出て5分後に僕の家に燃え移った。新築して半年経った日の事だった。

次の日出張途中だったが、台湾から帰国して見た我が家は、何もかも丸焼けになっていた。気丈に振る舞っていた妻は、僕の顔を見るなり泣き崩れ、「大丈夫、また元通りの家を建てちゃる。よく頑張ったね」と力強く僕は妻の肩をたたく。それから妻は一週間、灰と瓦礫になった焼け跡で、懸命に指輪を探していた。指輪は見つかるはずもなく、僕は、「また一から結婚生活を始めよう、指輪も一緒に買いに行こう」と励まし、妻も「ありがとう」って泣いていたが、女の執念っていうのは凄い。10日目にあの焼け跡から黒くなった指輪を探し出したのである。恐るべし!

だから、この指輪への想いって、すごくあるんだと思うが、新しいのは新しいのでとても気に入ったらしく、今何だかニコニコして機嫌が良い(いつまで続くことやら・・・)。 冗談話がえらく高くついてしまったが、これからは本気に受け取らないような冗談を言わなければ・・・妻の笑顔を見ながら、そっと心でつぶやいた。

2007.9.28



2度目の結婚指輪

昨日は夜遅く東京から帰宅する。東京に行くと、とにかく歩く、歩く。地下鉄、JRそして永田町・霞が関・虎ノ門・赤坂近辺は、仕事が集積しているので・・・この近辺地下鉄に乗るにはちょっと近すぎるし、タクシーはもったいないし・・・小市民やなぁ〜。

さて、近頃は運動(選挙)をしていないせいか?懇親会が続いているせいか?ちょっと太り気味(過ぎ)になり、朝起きると指がむくんで指輪も抜けなく、うっ血する始末。夜中に指輪に締め付けられて起きてしまう事があった。それで妻に、このさい指のサイズにあった結婚指輪を買おうかと冗談で話をしたら、「ほんとう!?」とえらく喜び、その気になってしまった。婚約指輪は給料の3カ月分だったと思うが、まぁプラチナの結婚指輪は当時確か5〜6万円ぐらいだったよなぁと思いつつ、「いらん事言わなよかった」と後悔する。

ちょうど1カ月前休日に小倉に指輪を買いに行った。今日帰宅すると加工された指輪が届いていた。本当にうれしいみたいで、あまりプレゼントなんてした事がないから、尚更喜んでいるようで・・・

妻は結婚当初と同じサイズだったが、僕は2まわり大きめのサイズになっていた。それにしても僕にとっては、身から出た錆?口は災いの元なのか、妻にとっては嬉しい、嘘から出たまことなのか、妻が選んだ指輪は15年前のものより、かなりいいものになっている。

2007.9.27



Birthday 秘話。

19日20日と東京に上京していた。OSAC用件もありその他諸々諸案件に出かけていた。折角だから、あの会社も訪問しようと予定にないところに行ったりするものだから、慌ただしい出張にいつもなる。9月20日、45才の誕生日を迎えた。昨日は夜、東京在住の田川高校の同級生4人と久しぶりに飲んだ。誕生会もしてもらい、本当に楽しい時間を過ごせた。昔話でえらく盛り上がり、30年近くの時間を超え、こうして笑って飲める友達って素晴らしいと思う。ありがとうございました。

9月20日は麻生太郎先生の誕生日でもあり、溜池山王に来ていたのでちょっと衆議院議員会館も立ち寄った。いよいよ大詰めであり情報も聞けて良かった。僕自身もいろいろな人と会った時に、どうしても総裁選の話になるんだけども、メディア報道通りじゃないからちょっと不思議に思う。殆どの人は、麻生太郎先生って言っているのになぁ。もの凄く人気があるのになぁ・・・。でも、だんだん潮目が変わってきたんじゃないかと思う。安倍総理が騙されたといった情報が当初出ていたけど、結局まったくデタラメなデマであり、ちょっとびっくりするような情報操作を誰かがしている事もわかった。とにかく、最後まで頑張って頂きたいと心から思っている。

実は、僕の父や家族から聞いた話で、僕は生まれた日に大きな亀が家の中に入ってきたらしい。それで、これは縁起が良いといって、カメにちなんだ名前をつけてやろうと父は2週間考えたと話していた。神崎 亀吉、亀彦、亀太郎、等々。でもなかなか画数や呼び方がしっくりいかなかったらしく、結局「聡」になったという事。亀(かめ)という字が、ひさしと読める事を知っていたら、神崎 亀(ひさし)にしていた。そう父は、僕が高校生の時に話をしていた。

それを聞いた時、僕はここの中で「よかった〜。」とつぶやいていた。

2007.9.20



夏の日の思い出

9月に入り新学期も始まった。子どもたちも元気にそれぞれの学校の行き出し、また普通の生活に戻る。颯行も屋久島に行ってしまったが、ひとりで飛行機に乗り屋久島に戻った。直行便がないので福岡空港−鹿児島−屋久島での旅、まだ小学校5年生なのに随分頼もしくなったと思う。

去年の夏に比べると家族で過ごす時間はかなりあり、夏の思い出も結構でき、子どもたちも喜んだんじゃないかと思う。まだまだ、ちびすけばかりだから、時間のある時は思う存分遊んでやりたい。

2007/09/04 04:42



亡き父を思い出して

これまでの仕事と違う事は、CG(コンピュータグラッフィク)や映像、ゲームクリエータにミュージック、デジタルコンテンツ、アーティスト等と関わり合いを持てた事。僕自身にセンスがないので、本当に凄いなぁと思う。同時にいかに融合しあうかという課題もある。でもきっと大きなとチャンスなんだろうなぁと思う。

どうして苦手意識をもっているかというと、どうも子供のころのトラウマがあるのかもしれない。小学校6年生時に校内で自画像を描く機会があった。参観日に体育館に張り出され、父が見に来てくれた。父は僕の絵を見るなり、顔を真っ赤にして家に戻った。学校が終わり自宅に戻ると父は僕の耳を引っ張り、鏡の前に連れて行き、ほっぺたをつねられながら、「聡、お前のこの顔が赤に見えるか!緑色か!肌色やろうもん!」と怒鳴られた。僕は、ハッと思った。

実は当時ゴッホのひまわりや自画像を見た。子ども心に凄いなぁ、こんな絵が描けたらいいなぁと思い、ゴッホのタッチの真似をして描いたものだった。父にそんな言い訳をしても、きっとわかってもらえるはずもなく、人まねしてといって、また叱られるんじゃないかと、とっさに判断して言い訳をするのをやめた。それ以降美術がとてもいやになった。父も参観日にはもう来なくなった。

今考えると、父が本気で怒っていたのが面白く、懐かしく思う。でも、父はよく僕のいいところも悪いところ、性格もよく把握していたんだなぁ思う。そして高校受験、大学、就職、節目節目で適格なアドバイスをしてくれた。

あの時の絵はもうないが、僕の脳裏にはっきり描かれている。あの時に怒った父の気持はどうだったのか?今、僕自身がその父と同じ年齢になっている。

さぁこれからJALで東京に出発する。

2007.8.27



叙勲祝賀会

妻の父、山本徳孝が平成19年春の叙勲を受け、今日(8月18日)添田町民会館で山本文男町長他5名の方々が発起人となって頂き、祝賀会が行われた。瑞宝双光章、本当に名誉な事だと家族みんなで喜んでいる。義父の謝辞で教育に携わり多くの人から支えら、私個人というのではなく本当に皆様のお陰で代表として表彰されたと思っています。との言葉が印象的だった。

人格円満、性格温厚であり、本当に多くの人から極めて信頼が厚い。これまでの教育現場や教育行政或いは人事管理主事を通しての手腕は、きちんとした信念のもとで取り組んできたんだと思う。昔の話を聞くと本当にそんな事があったのかと思うほど凄まじいもので、何度も修羅場をくぐってきた迫力もある。

家族として誇りにも思い、これからもいろいろと指導してもらいたいとも思う。2百数十人の方々に祝福され本当に有難く、僕自身も謙虚さを失わずに大きく向上していきたいと思った。

2007/08/18 22:42


次男8才の誕生日に思う

今日(7月12日)は、次男陽行の8才の誕生日。もう小学校2年生にもなるんだから、本当に時間の経つのは早い。生まれる日は田川郡教育研究所で学校の先生たちと「生きる力」の話で盛り上がっていたのを思い出す。そして 夜19時30分に妻から「もうすぐ生まれるかもしれん」と電話が入った。急いでアパートに戻る。慌てて車に乗せたのが20時だった。20時10分病院に到着。でも妻は車から出ることが出来ない。陣痛の感覚が既に数分だったそうで、その合間を縫って分娩室に抱えるように移動する。そして、20時20分生まれた。後で考えると本当に危ないっていうか危機一髪であった。

さて、今日から参議院選挙であり公営掲示板にはポスターが一斉に張り出されていた。やはり政党なり組織がしっかりしているところは漏れがなくポスターが貼ってある。福岡県選挙区は6陣営となっている。自民党現職・松山政司氏、民主党現職・岩本司氏、共産党新人・田中美由紀氏、社民党新人・金岩秀郎氏、維新政党新風・馬場能久氏、共生新党新人・秀高行氏らしい。知らない人もいるので・・・ほとんどのポスターは「ひらがな」で書かれていたが、社民党の金岩さんは、目の錯覚なのか「かなわない」って見えてしまう。前に福岡県参議院議員の合馬敬先生が出た時も、「おおまけ い」と何となく名前がねぇと言われていた。逆にキャッチフレーズにした政治家もいた。海部俊樹元首相は「財布を落としても海部を落とすな」、「上から読んでも越智美智雄、下からよんでもおちみちお」

冗談はさておいて参議院選挙は始まった。大きく変わっている変革の時代で、将来のあるべき姿を誰に託すのかを左右する選挙戦なのは間違いない。

2007.7.12



九重夢の吊り橋

ありがたいですね。こうやってブログを書いてもコメントを入れてくれる人がいる。叱咤激励してくれる。本当に感謝しています。そうですよ。筑豊も田川もまだまだ捨てたもんじゃない。この素敵な環境人情を活性化につなげるか?やはり、若い人たちが定着(就職)する取り組みを行うしかないんですね。

連休も終わり、久しぶりに家族旅行をしてきた。選挙に出る前は頻繁に大分県は九重に足を運んでいたが、今回「(日本一の)九重”夢”大吊橋」に行ってきた。一日、平均1万1千人の観光客だそうだが、朝早かったせいかそんなに混まなくて渡ってきた。

それにしても九重町は次から次へと観光地を開発するなぁと思う。それも半端じゃないのがまた良い。たかが吊橋なのに・・・日本一が凄いと思う。リピート客は大丈夫かと思うが、四季折々の自然がバックにある。秋は紅葉、冬は雪景色とまた楽しめる。二番煎じじゃダメだから、田川の観光事業はどうするの?妻や友人と夜の酒の肴で盛り上がる。

田川ラスベガス構想、プラスα田川癒しの里構想。今までにない構想を抱えて明日の筑豊のあるべき姿を夢見る人脈と取り組みが必要だと思った休日になった。



屋久島へ(里親さんへの挨拶)

4月26日夜遊説隊メンバーお疲れ様会。27日高校同級生慰労会。その夜23時、神崎妻  運転で山村留学している子供の元へ一路屋久島に向かう。28日朝4時鹿児島着、仮眠をとり8時30分出航のフェリーに乗り込む。12時30分宮之浦港着。近くに里親と一緒に来ていたので合流する。

もう屋久島も何回目かな?大体行き尽くしているので、そんなに周る所はないが、まだ4才の子供は3回目なので、屋久杉ランドで散策する。温泉にも入り、夜は里親さんの自宅で夕食をご馳走になる。二日目、白谷雲粋峡で3時間コースに挑戦。そう言えば4才の誉行にとっては初山登りとなる。3足杉辺りでおにぎりを食べる。その後、まんぼう船に連れて行き、乗船している間、レンタカーで休眠をとる。温泉もJR屋久島ホテルで入浴。海が一望でき、しかも温泉のヌルヌル感が良い。大人600円、初めてここのJR屋久島ホテルのお風呂に入ったが、とても良かった。家族揃って宮之浦の焼肉店で夕食をとる。三日目朝、留学先の校長先生にご挨拶。子供たちは校庭で近くの小学生達と遊んでいた。13時、お別れの時。フェリー乗場で里親さんに子供をあずけて乗り込む。とても寂しそうな顔つきだった。

颯行君、小学5年生まだ10才だけど、この試練を乗り切れ!父もお母さんもいつも颯行君どうしているかなぁと思っている。何かあったら直ぐに駆けつけよう。と言っても片道10時間かかるけど・・・一年経ったらきっとたくましく成長していると思う。きっと素晴らしい体験になると思う。がんばれ!

17時30分鹿児島港到着。食事をとり22時30分添田到着。時間と体力には過酷なスケジュールだったが、精神的には癒された時間と空間だった。

2007.5.1



子供たちへ、そして妻へ

平成19年3月29日、明日が告示日となり父にとってはじめての選挙戦である。人生には、実にいろいろな事が起こる。進学や就職、結婚・育児など、人生の転機となる大きな出来事を何の挫折も、波乱もなく、平穏無事に通過する人はごく稀で、自分の能力と努力だけではどうにもならない事は数多くある。神崎家に生まれたことも父とお母さんから育てられた環境も、これからまた出会える人も、逆に恵まれなかったなど、自分の実力以外の要素に大きく影響されるのが人生である。だから、人間の幸不幸を支配しているのは“運”や“縁”だと思いがちだが、それは違う。

父は、与えられた仕事で、与えられた場所で、よりよい結果を心に思い描いて、常に向上しようと全力を尽くしている。楽観的で希望に満ちている。何か困った問題が起こっても、自分の能力を試す絶好の機会だと積極的に行動している。でも、何事に対しても「どうせうまくいくはずもない」と悪い結果ばかり想像していると、消極的になって、せっかくのチャンスをみすみす逃すことになる。ちょっと失敗すると「もういい」とすぐに放り出す。幸福と不幸を分けるのは、“運”や“縁”ではなく気持ち、情熱だと思う。「うまくいく!」”運”はそう思った人に巡ってくるんじゃないかと思う。

未悠ちゃんは今13才中学生、この一年間、育徳館中学校で勉強に友達関係に部活動に本当に大変だったと思う。思春期の多感な年代、嫌な事や苦しい辛い事もたくさんあった。父もお母さんも一緒に考え、未悠ちゃんも一生懸命頑張ってきたのを知っている。これからもきっといろんな壁に当たると思うが、その壁を乗り越えてほしいと父もお母さんもそう願っている。勉強に友達づくりに部活動に青春を謳歌してほしい。

颯行は4月には5年生になるが、屋久島まで送ってやれずにすまない。今頃は里親さんのお宅で一人ポツンと寂しがっているんじゃないかと思う。お姉ちゃんの影響で「僕も屋久島に山村留学に行く」と言った。父は、とてもうれしかった。一年間でどのくらいたくましくなって帰ってくるのか本当に楽しみである。良い経験にきっとなると思う。出発する時、「さみしいやろ」と父が言ったら「別に・・・」と不安そうに答えた颯行君が目に焼きつく。おばあちゃんも、真木のおじいちゃん・おばあちゃんも結局会えなかった。目に涙を浮かべて無事に元気に帰ってくるようにと話していたよ。

陽行は小学1年生よくがんばりました。この一年、父もお母さんも一緒に寝てやれなくて寂しい思いをさせた。代わりに弟の誉行君をよく寝かせてくれました。ありがとう。もうすぐ2年生。お兄ちゃんは屋久島に行っていないから、また誉行君の面倒をお願いします。ピアノもとても上手になっていた。発表会のビデオを見てビックリした。がんばれ!アッキー!

最後は誉行、幼稚園の年少組で、一年前には本当に大丈夫かなぁと思っていたけど、一年経つとペラペラペラペラと言葉が本当に出てくる事。一番のやんちゃ坊主で、我を通すが我が家の宝でもある。一年間どこにも連れて行ってあげられなかったが、落ち着いたら遊びに連れて行ってあげよう。よく笑い、よく泣き、これからが本当に楽しみでもある。

あと20年もするとそれぞれが、自分の生涯を貫く仕事を持つと思うが、いろいろな挫折や絶望感、苦しみがある。人生には順風満帆などない。父がこれまで経験してきた事、今何を考えて、行動したかをみんなにしっかり伝え、それでみんなが自分なりに考えて行動していければ良いと思う。おじいちゃん(次彦)は66才で突然の事故で亡くなったが、それまでおじいちゃんは、父にいろいろな事を話し聞かせてくれた。だから、おじいちゃんは死んでも父の心の中に今でも存在し、その精神は脈々と生き続けている。おじいちゃんもまた親(父のおじいちゃん、おばあちゃん)の生き方の中から学んできている。

逆境こそチャンスであり、どんな困難な時でもそれを乗り越える精神力をつけることが大切。大事な事は倒れないことではなく、倒れても立ち上がることである。そして、仕事についた時、高い目標と大きな夢を掲げなければいけない。人は“夢”の大きさに応じて成長するから。

そして妻へ、一年半前、衆議院選挙が終わった直後の9月20日、選挙に出ると最終的に自分で決断したが、あの時ここまで大変だとは正直二人とも思っていなかった。家族を犠牲にし、親・兄弟から親戚中を巻き込み、地域の人たちにも多大な迷惑と心配とお騒がせすることになった。そして、思ってもいなかった誹謗中傷、心もとない人もいるね〜と思いびっくりしたね。そして選挙によるストレスと大きく変わった生活スタイル。よく耐えて乗り越えて来たと思う。一番の理解者であり応援者の君に心から感謝している。結果がどうなろうと恐れる事はないと思う。きっと僕らの子供たちは、僕らのうしろ姿を見て育っているから、自分なりに大人になった時に考えてくれると思う。本当にありがとうね。そして、これからもよろしくね。

さぁ、明日は出陣式。田川の将来をかけての戦いに父は挑みます。

2007.3.29



屋久島へ〜旅立ち

今日の予定も終了し、帰宅してお風呂に入って晩御飯を食べる。休みが1年以上もなく毎日毎日走り続けるのは、ちょっと想像を絶するよなぁと思う。一年半前には「再来年の4月の選挙ですが・・・」と話していたのを思い出す。「あんた、来年もまだ来てないうちから、再来年のしかも4月の話をしよんかい」と笑われていたが、長くもあり短くもありの一年半だった。いろいろな事があり、なかなかブログで書けない事も多かった。あと告示日まで12日、あと一歩のところまで来ている。がんばろう。

さて、2番目の子供(長男)が4月から屋久島に山村留学する事になっている。お姉ちゃんが4年生の時に行った事が影響しているが、自分から進んで行きたいと応募していた。親元を離れての生活になるが、きっと一年経ったら、たくましく育っていると思う。ガンバレ!一緒について行ってやれないのが、かわいそうだけど家の中が選挙でこんな状態だから子供もそれなりに納得している。父もきっと良い結果を出して、屋久島の里親さんにご挨拶に行こうと思う。寂しいとは思うが、男だから泣くなよと寝顔を見ながらつぶやく。

僕の携帯に長男がいたずらしていて、スケジュール欄にマークがついていた。消し方がわからなかったが、今日やっとマークの消し方がわかった。でも、日付をみると長男の誕生日にアラームが設定されていた。「僕がいないでも忘れんでね」と言いたかったんだと思う。妻にその話をすると、妻の目から大きな涙が頬をつたっていた。

2007.3.18



結婚記念日

昨日2月27日は、結婚14周年だった。21時過ぎに帰宅し、お風呂に入り食事にテーブルにつくと、ウニやイカのお寿司が用意されていて、「おっ今日は豪華やね〜」と妻に言った後にハッと気づく。忙しさに忘れていた。「そうか」と思い、二人でビールを飲み結婚した日に東京から来てくれた友達の事、選挙の事、子供たちの事をいろいろ話をする。夫婦喧嘩もたまにするが、基本的には何でも話をする良き仲間のような存在だと思う。まさか、選挙に出ようとは結婚の時、誰が想像したやろうか。

さぁ、いよいよ1ヵ月となった。今日も朝から夜までスケジュールがびっしりと入っている。小集会もある。思うに選挙は戦いだけど、他候補との戦いよりも自分との戦いのような気もする。大きな大きな試練だけど、勇気を持って乗り越えよう。

2007.2.28



けな気な4才

子供がインフルエンザにかかった。4、5日前に長女が、その次は長男がそして昨日は4番目の子供が39度5分の高熱だった。休日だったため田川市の救急病院に妻が行ってくれた。夜帰宅すると、かわいそうに顔は真っ赤になっていてぐったりとしていた。それでも、「大丈夫か?」と声をかけると、「大丈夫」とコックリとうなずいていた。まだ4才になったばかりなのに、心配させまいとしているのが、けな気で可哀想だった。今のこの時期風邪やインフルエンザにならないようにと周りの方々は心配してくれるけど、やはり自分の子供がぐったりしていると自分にうつってもいいから早く元気になってほしいと願う。

それにしても天気の良いこと。ポカポカと暖かく、睡眠不足のせいもあり眠くなってくるが、もう一息もう一息、悔いのないようにがんばろう!福智町にも事務所を立ち上げます。方城中学校の前になります。どうぞお立ち寄り下さい。さぁ、挨拶廻りに出かけます。行ってきます。

2007.2.13



子供の成長〜13才誕生日

宮崎県知事に「そのまんま東」氏当選。圧倒的な差での当選であった。自民党としては保守分裂が大きな敗因と新聞に掲載されていたが、実際のところは知名度と組織として何のしがらみのないイメージが今の宮崎県を刷新できるんだと宮崎県民は選択したんだろうと思う。林野庁長官、経済産業省課長という官僚出身じゃなく、同じ目線で見える民間出身という事も選択された要因とも思う。何となくこれまでの流れじゃない方向に世の中動き出しているのかもしれない。いずれにしても、自分との戦いである事には間違いなく、ただし大局的な流れも把握しながら頑張ろう。

今日1月22日は長女の誕生日である。13才になる。父親不在の誕生日会になるが、自己主張も強くなってきているが、でも心の優しい素直な子供に成長してくれた。まだまだ発達段階にあり、難しい年頃にさしかかっている。いろいろ悩んだり苦しんだり、笑いがあったり、泣いたりしながら成長するんだろうなぁと思う。みゆう、負けるなよ。がんばれ!と今日帰宅して妻とビールを飲みながら声援を送ろう。

2007.1.22



大晦日、4才の誕生日

平成18年12月31日大晦日。結局、自宅の掃除も何もできず最後まで選挙活動となった。18時過ぎ、帰宅と同時に子供たちをお風呂に入れて、みんなで鍋を囲み家族団らん会話を楽しむ。今日は一番下の子供の誕生日。4才になる。4年前の事を思い出すと、確か予定日は12月24日だったと思うが、この調子だったら年を越すんじゃないかと話していた。前日の12月30日に友人が自宅に来て、面白おかしく飲んでいた。大笑いしお腹に刺激があったのかわからないが、翌朝12月31日に生まれた。

12月31日大晦日、将来子供たちが大きく成長して巣立って行っても、この4番目の子供の
誕生日には必ず家族全員が集まるんじゃないかと思う。それにしても4人の子供は、それぞれ個性が違って面白い。この4番目は上から虐げられながら、自由奔放で負けん気が強い。それぞれどんな大人になるのやら・・・

長女〜神��未悠(みゆう) 1月生まれで未来に向かって悠々自適に
長男〜神��颯行(はやゆき)5月生まれで颯爽と生きてほしい
次男〜神��陽行(あきゆき)7月生まれで太陽のように明るく陽気に
三男〜神��誉行(たかゆき)12月生まれで神��家の誉れであれ

親としては字画も考慮しながら一生懸命思いを込めて命名した。僕も同じような思いで名前をつけられたんだと思うが、亡き父は今の僕を見てなんて思うのか?父から受け継いだ精神や物事に対する情熱・誠意をまた僕も次の世代にしっかりと受け継いでいきたいと子供の誕生日の日に思う。

2006.12.31



クリスマスイブ

久しぶりに家族での食事。クリスマスイブなのでケーキとお子様用シャンパンで乾杯をする。中一の長女は、添田町教育交流事業で一昨日よりホームスティ団員として、北海道は美深町に行っている。先程電話が入り元気に過ごしているとの事。いろんな人との交流を通じて成長していく子供を見ていると、何もしてやれないけど心の中で「がんばれ!」と叫びたくなる。親父が生きていてくれたら、どんなに喜んでくれるかと思う。孫の成長を本当に楽しみにしていたから・・・

さぁ子供たちも寝静まったようなので、サンタさんに変身してプレゼントを渡そう。去年のクリスマスは、一番下の子供は「こわい、こわい」と言って逃げ回っていたが、今年は少しは成長したかな。12年間ずっと続けているが、あと何年できるのやら。他人には絶対見られたくない格好である。

2006.12.24



妻〜神崎育子 その3

当時、会社では初めての試みであったが、僕はNECに出向していた。NECでは、金融機関の第3次オンラインシステムに従事する。傍ら、スーパーASOのPOSシステム、問屋との受発注システム、福岡流通VANとの連携等々を業務として取り組んでいた。どれも新規事業であり、相当なパワーも必要であった。そんな中での教育関係の仕事。当時の直属の課長に、「これから教育事業が大きく伸びます。是非、取り組みたいと思います。」と懇願した。が、却下。部長に話をしてもダメだった。それで、専務(後の社長)に直談判をした。神崎がそこまで言うんだったら、一人の部署でやったらいい。という事でCAIネットワークセンターを立ち上げ、一つのプロフィットとして損益を持つ事になる。当時、飯塚病院の看護学校に最新のコンピュータ室をつくっていたので、事務長に相談し、管理・運営、メンテナンスを自分が担い、代わりに教室を一般向けに開放してもらう。結局、田川市を除く筑豊教育務所管内の小・中学校の先生のパソコン指導を手がける事になる。受講した先生方は、延べ800人を超え、お陰様で当初の学校へのシェアーは90%近くになった。

その受講した先生の一人が、妻・育子であり、以降学校の先生方とは、情報教育だけに留まらず、算数研究会での研修や管理職研修、企業への社会人研修の受け入れ、国の教育の情報化推進事業(約1億8千万円)の田川郡での実証実験、等々本当にお世話になっている。彼女とは一年間の交際期間を経て、平成5年2月27日に結婚。教育論については、当然彼女なりの考え方を持っていて、僕なりにまた違う角度から議論したりする。性格はいたって明るく、仲間内では世話好きである。「よく学び、よく遊び、よく飲み」を実践する、タフな女性だと思っている。結婚して本当に楽しく、愉快に、たまに喧嘩もするが、充実した毎日を送っている。決して順風満帆な生活ではないけれども、乗り越えないといけなかった壁を共に乗り越えてきた良き同志だと心から感謝している。

2006.11.28



妻〜神崎育子 その2

昭和60年、麻生セメント入社。情報システム部に配属になる。どういう訳か上司から、麻雀にゴルフに誘われ、可愛がって頂いていたが、給料の殆どが費やされていた。その年、飯塚事業所(筑豊電算センター)の事務所が手狭になり、事務所を増設する話になっていた。それに伴い、地域に開かれたパソコン教室をつくるという。新入社員でありながら、「神崎お前に任せる」という上司の命令で企画を練り、独学でBASICを学ぶ。当時の情報システム部長と飯塚市教育長が親しかった事もあり、飯塚市内の学校の先生にパソコンを教えてくれないかと言われた。パソコンサークルを結成し、コンピュータ・リテラシーや教材開発を一緒に取り組むことになる。もちろん、学校が終わってからの活動であり、僕も楽しかったので残業なんかつけなく、ボランティアで行っていた。

そんな活動を噂で聞いていたとの事、田川郡教育研究所の指導主事から電話が入った。飯塚市柏の森の事務所に、田川郡教育研究所長、指導主事、それに妻の父、山本徳孝氏(元福岡県教育庁人事管理主事、添田中学校長)が来社された。「田川の子供たちのために、情報教育に力を入れていかないといけない。是非協力してくれないか。お金はありません。」という内容だったと思う。何故か自分の判断で、その場で承諾をした。でも、それを実行に移すには、直属の上司との葛藤、社内やグループ社の根回しをしなければならなかった。

(当時、田川郡教育研究所の所長は、僕の田川高校の同級生の父であり、妹同士も仲の良い同級生だったので知っていた。また、指導主事は僕の家の斜め前にあり、妻が生まれてから小学校までいた家であった。何とも不思議な出会いである。)

2006.12.26



スウィート10 モルディブ(!?)

今日は仕事で妻の帰宅が遅くなるという事だったので、夕方から子供のスイミングの迎えと夕食にお風呂、そして長女の迎えと時間に追われる。それからお寺の行事があり、帰宅が21時になった。帰宅すると妻もちょうど帰ったところで、二人で飲みながら食事をする。学校の同僚が今度結婚する事になり、いろいろ催しも考えているとの事。結婚前っていうのは、本当に楽しく、夢も希望もあり、聞いていて何とも微笑ましく思える。新婚旅行の話題にもなったと言う。僕らの新婚旅行先はモルディブであった。妻からモルディブに行こうと言われたが、当時どこの国なのかもわからず、ずっとモンゴルに行くものだと思っていた。インド洋に浮かぶ島々で、それは素晴らしいところだった。島の周囲は歩いて15分足らずで、のんびりと時間が流れ、別世界そのものだった。帰国する時に、「10年たったら、また連れてきてやろう」とスウィート10ダイヤモンドじゃないけど、スウィート10モルディブと妻を喜ばせたのを思い出す。10年を過ぎて、実現していない。子供にも4人恵まれ、仕事も責任を持つようになり、それどころじゃなかったのが現実である。

結婚の話から、ちょっとやぶ蛇になり、そう言えば10年経ったら、また行こうねと新婚らしい約束をしたが、いまだ実現できず、この先また行ける時が来るのか来ないのか、夢は持ち続けようとは思っている。

2006.11.15



4分の4運動会終了

4つの運動会がすべて終了した。今日で最後の運動会を飾ったのは、3才・年少組の末っ子、幼稚園の運動会だった。何といってもかわいいし、微笑ましい。年少組の歌にラジオ体操・かけっこ・お遊戯、その姿は、見ていてほのぼのする。保護者の参加競争にも2種目出場し、楽しめた。幼稚園の運動会も連続10年だから、りっぱな表彰もんかな?でも、年少組での運動会もこれが最後かと思うと少し寂しい気がする。ビデオ片手にカメラも写し、父はほとんど肉眼でかけっこなんか見たことがない。30年先、この子供たちはどんな大人に成長するのかなぁ。写真なんか見ても、親がどんな思いで撮っていたのか、な〜んて、考えもしないんやろうなぁと思う。

5年前、海外出張中に新築したばかりの家が類焼で火事になり、写真やビデオがすべて焼けてしまった。子供たちにとって、と言うより親にとって、せっかく一生懸命に撮ったものがなくなってしまったが、生まれた時のこと、様々な出来事は心の中にはしっかりと焼き付けている。いずれにしても、子供たちが、明るく、健やかに、笑顔いっぱいで駆け回っている姿が、親にとって何にもまして、変え難いものであることは間違いない。

2006.10.8



9月20日 誕生日に思うこと。

今日9月20日、44才になった。来年の誕生日にはどんなふうに迎えているのかなぁ。青少年でもなく、老人でもなく、何となく世の中の仕組みなり環境にも適合するようになり、自分の長所や短所も見えてきて、人生ってこんなもんかと思う年代かもしれない。が、ちょっと待って、今までのしがらみや利害得失を離れてみて、一度ゆっくり考えてみる時間があってもいいのではと思う。本当にやりたいことは何なのか?今までの経験や技術、知識や人間関係等々の貴重な財産があり、それを活用できる場が必ずあるんじゃないか、そう思った。たった一度の人生だから、自分自身の人生だから、やりたい事にチャレンジできる年になったと思う。失敗をしないという事よりも、後悔をしない人生をこれからは送ろう。僕らの世代が、果敢にチャレンジしないでどうして新しい時代が築いていけるのかと思う。人は「夢」の大きさに応じて成長していくんじゃないかと感じる。皆さん、そう思いませんか?

2006.9.20



4人の子供プラス1

朝夕は少しではあるが過ごしやすくなってきた。夕方にはカミナリ雲を伴って夕立が降る。カミナリが鳴ると元気の良い犬が、尻尾を巻いて家に入れてくれといって、泣きながらガサガサと戸を叩く。何かカミナリぐらいでと言ってみても、とにかく怖がる。そう言えば8月15日、母の実家の伯父の初盆参りで家族全員、犬も車に乗せて連れて行った。途中、子供たちが喧嘩をし、犬もワンワン鳴いていたので、「うるさい!いい加減にせんか!」と大きな声で叱った。子供たちは父のカミナリにシュンとなり静まり返ったが、犬もそれ以降、ピタリと泣き止んだ。ん〜ん、まだまだ犬の「ソータ」も子供なのか?助手席に乗っている妻と二人で、犬の「ソータ」に怒っていないのに、自分が怒られたと思っている「ソータ」のその態度にクスクスと笑ってしまった。飼っている動物も家族の一員。今日も朝早く起きて散歩に行く。これが犬にとって、義務教育なのかもしれない。

2006.8.26



父親の役割

8月21日、妻も子供たちも出校日だった。僕はというといつも通りの朝からの挨拶廻り。とお昼前にお調子ものの3番目の子供の担任の先生から電話が入り、ブランコから落ちて腕を打ったとの事。帰宅すると痛さなのか、ホッとしたのか泣き出した。直ぐに病院に連れて行きレントゲンを取り診断してもらう。骨折はしていないようだが、ギブスをしてもらう。子供っていうのは怪我や病気をしながら大きくなるものだが、4人いると楽しみも4倍だけど心配も4倍になる。

でも自分の子供の頃はどうだったか。親にはたぶんに心配をかけたに違いないが、今の親御さんのように目をかけてもらえなかったと思う。また、そんな時間もなかったんじゃないかなぁ。僕の子供の時を思い出すと、山へ川へと力いっぱい遊んでいた。自然の中の遊びは多少の危険が伴うもの。ハチに刺されたり、木から落ちたり、いつも傷だらけであったが、それでも親からは外で遊ぶなといわれたことはなかった。自然とはそういう所だと親もわかっていたから。自分や友達が危険を経験することで、危険を回避する知恵を自然と学んでいったのかもしれない。そして、その危険を自分の知恵でどう回避するかとあれこれ工夫することを含めて、子供は存分に自然を楽しむことができる。

  

例えば母親が教育のイニシアチブを握り、少しでも怪我をする可能性があることをやらせないようにしてしまっている家庭も多いんじゃないのかなぁ。そして柵に囲まれた安全な場所や、海や山の危険のない波打ち際や整備されたハイキングコースでしか子供を遊ばせない。でもそれじゃ返って子供にはマイナスなんじゃないのか。だからこそ、父親の存在は大きい。本来遊びを子供と共有し、子供の成長を見守り促すのが親、とりわけ父親の役割であり、大きな楽しみでもあると思う。

そういえば、夏休み子供たちを思いっきり遊びに連れて行っていない。一日ぐらいお許しを頂いて父親の役割をさせてもらおう。もし家族連れで見かけましたら、「神崎さん、遊びですか?余裕ですね〜」な〜んて言わないで下さい。まだ一度も連れて行っていないものですから。

2006.8.21



災難は忘れた頃にやってくる

大事に至らなくてよかった。昨日電話が入り、看板を取り付けるように言われたので急いで取り付けていたら、ペンチで針金を扱っている時に目尻に当たり縫うケガをしてしまった。1cmずれていたら目をやっていた。大事に至らず良かった。これで顔の大きなケガは3回目となる。3才の時に家の階段から落ちて眉間に3針。28才の時に会社の玄関が開いているものと思い窓ガラスに走って突っ込み眉間に10針。まったくオッチョコチョイであり落ち着きがないと妻に叱られる。病気だけじゃなくケガにも気をつけなくてはと本当に反省している。

子供たちも遊んでいるときにガラスで切ったり、石に頭をぶつけたりして縫うケガをしているが、親はヒヤヒヤさせられる。が、こんなところで自分が大きなケガをするとは思いもよらず、子供に説教するどころかである。次から次へと処理や取り組まなければならない事があるので、とにかく後回しにすることなくその場その場で解決しようとした結果、心にゆとりがなかったのかもしれない。これからが本番、皆さんから「健康に気をつけて下さいよ」と言われていたのは、病気だけじゃなくてケガや事故のないようにという事がよ〜くわかった。

2006.7.15



7才の誕生日

うだるような暑さ、今日は一体何軒回ったのか、地域の方と多分4,5百件は廻ったんじゃないかと思う。それでも所々で家に上がり込み冷たいお茶をご馳走になって、本当に生き返る思いがした。これはもう体力勝負。自分との戦い以外何ものでもない。家々を見たらぞっとするような軒数だけど、廻ってみると達成感がある。とにかく着実に浸透するには足で稼ぐ以外他に道はなく、一人一人に挨拶をし、握手をするしかないんじゃないかなぁ。努力に勝る天才なし、地道な活動がきっと大輪の花を咲かせるんだと言い聞かせ、今から帰宅して飲む一杯のビールを楽しみに今日のブログはこの辺にしておこう。

今日は3番目の子供の誕生日、7才になる。挨拶廻りの帰宅途中でケーキを買ってきて、今から誕生日祝いをする。7年前、午後7時30分に仕事で田川郡教育研究所で学校の先生たちと「生きる力」についての議論を重ねていた。妻から携帯電話に、どうも陣痛が始まったみたいだという電話がなった。慌てて帰宅したのが午後7時55分、身支度は既に整えていた。妻は歯を磨いて病院に行くと言った。焦っていたのか、なぜか僕も一緒に歯を磨いていた。そして子供2人を車に乗せ、ゆっくりした足取りでアパートを出て、病院に向かった。到着が8時10分、玄関で陣痛の間隔が短く、既に立てない状態になっていた。そしてそのまま分娩室に。生まれたのが午後8時20分。危機一髪の出産だったのがよみがえってくる。くしくも「生きる力」についての話をしていた最中に生まれた子供だった。生まれたばかりの赤ちゃんを姉弟が嬉しいそうに見ているそばで、神崎妻は涙を流していた。

2006.7.12



10才の誕生日

「病気や事故には気をつけてね」と、よく声をかけられる。本当に有難い。健康管理もしなくてはと思っていると子供が風邪をひく。子供の数が多いので連鎖反応のように次から次へと、そしてまた風邪のキャッチボールになる。子供は風邪の子、怪我や病気をしながら免疫をつけ、成長していくんだと思う。

田川郡内を廻り帰宅すると、次男が一人でボール遊びをしていので、少しの間キャッチボールをしてあげた。近頃なかなか遊んでやれていないので、とても嬉しそうで、「もう1球、もう1球」とせがまれる。4人の子供に恵まれ、一人一人を見ていると同じように育てているつもりだけど、個性が一人一人違い面白い。兄弟の中での上下関係の社会があり、悔しい思いをしながらもたくましく成長していくんだと感じる。そんな事を思いながら、朝早く起きて薄暗い添田公園を歩いていたら、蛍を一匹見つけた。今日は、長男の10才の誕生日。前々から家族でささやかなお祝いをするように計画していた。

2006.5.28



入学式、入園式

昨日から今日は、子供の入学式に入園式。長女が中学校、次男が小学校、そして三男が幼稚園と満開の桜の下でそれぞれみんな新しい生活が始まる。中学の子供は豊津高校との中高一貫教育の福岡県立育徳館中学に入学した。歴史は福岡県で一番古く248年になるそうで、緊張の中厳粛に行なわれた。学校長や先生の話を聞いていると情熱や取り組みがひしひしと伝わってくる。最終的には教育が一番大事であり、次世代にどう受け継いでいけるか、資源のない日本で人を育てず何を育てるのかと思う。また、ゆっくりと妻や学校の先生たちと教育論議をしよう。すべての原点はここにあるから。

2006.4.8



感動の卒業式

今日は長女の小学校の卒業式。厳粛にして感動する卒業授与だった。妻と二人で出席し、今までの思い出が頭をよぎり、涙が出てきた。式終了後、教室で最後の先生との別れ、子供たちもみんな泣いていた。それを見て保護者ももらい泣きをし、心温まる先生の配慮に本当に感謝したい気持ちで一杯になる。人は出会いがあれば必ず別れが来る。そしてまた新しい出会いが始まる。子供たちには夢と希望を持って、たゆまない努力で自分自身を鍛えてもらいたい。10年すればこの子供たちも22才になり、殆どが社会人となる。その時に地元できちんと就職できる企業なり環境をつくらないといけない。今日は活動せず、娘のためにお祝いをしてやろう。でも10年後には、4番目の子供の小学校卒業式を迎えるんだなぁ。

2006.3.17



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