| ― 家系図と古文書からたどる我が家のルーツ ―
近年、自分自身のルーツについて考える機会が増えました。
父や親戚から聞いてきた話、代々大切に受け継がれてきた家系図や古文書、そして先祖のお墓や仏壇に残された記録を改めて整理してみると、神��家の歴史は、地域の歴史そのものと深く結び付いていることに気付かされます。
もちろん、ここに記す内容の中には、家系図や古文書で確認できる事実だけでなく、先祖から語り継がれてきた伝承や私自身の考察も含まれています。しかし、それらもまた先人たちが大切に守り伝えてきた「家族の記憶」であり、子や孫へ受け継ぎたい大切な財産だと思っています。
戦国の豊前に繋がるルーツ
神��家の歴史をたどるうえで欠かせないのが、櫛永家との関係です。
家系図によれば、櫛永家は豊前国山田地区に居を構えた家柄であり、現在の豊前市にあった山田城(櫛狩屋城)との関わりが伝えられています。
また、神��家に残る古文書には、豊前国を長く治めた城井宇都宮氏の由緒が記されており、先祖たちが宇都宮氏と深い関係を有していたことがうかがえます。
豊前国の歴史を語る上で、城井宇都宮氏は欠かすことのできない存在です。戦国時代の激動の中で滅びゆく運命を辿りましたが、その歴史と精神は様々な形で地域に受け継がれてきました。
神��家や櫛永家の歴史もまた、その豊前の歴史の流れの中に位置付けられるのではないかと感じています。
家紋に残された先祖の記憶
神��家の墓所や関係する家々には、「左三つ巴」と「右三つ巴」の両方の家紋が見られます。
その理由について明確な記録は残されていませんが、古くから「戦乱の時代を生き抜くために家紋を変えたのではないか」という話が伝えられてきました。
真偽を断定することはできません。しかし、一族の中に異なる向きの家紋が存在することは事実であり、その背景には私たちの知らない先祖たちの苦労や決断があったのかもしれません。
家紋は単なる模様ではなく、先祖の歩みを今に伝える大切な証でもあります。
学問と医術で地域を支えた神��家
神��家の家系図の最上部には、「神��磯右衛門」の名前が記されています。
伝承によれば、磯右衛門は江戸時代に藩医を務めた人物とされ、宇都宮氏ゆかりの寒田地区を拠点としていたと伝えられています。
もしその伝承が事実であれば、神��家の先祖は武士としての誇りを持ちながら、医術と学問によって地域社会を支えたことになります。
代々の家系図や古文書が今日まで残されていることも、先祖たちが学問や記録を重んじてきた証ではないかと思います。
明治時代、櫛永家の流れを汲む櫛永孫一氏と、神��家の流れを継ぐ神��マンとの間に生まれた日義氏は、神��姓を継いでいます。
その背景には、由緒ある神��家の家名や財産、そして先祖から受け継いだ歴史を守ろうとする家族の判断があったと伝えられています。
名字は神��となりましたが、櫛永家の血脈や歴史が失われたわけではありません。
むしろ、二つの家が支え合いながら現在へ命のバトンを繋いできたことこそが、神��家の歴史の大きな特徴ではないかと思います。
地域を支えた穴田家との縁
私の祖母・敏代の実家である穴田家もまた、地域を代表する家柄でした。
上毛町にあった穴田家には複数の蔵が並び、地域有数の資産家であったと伝えられています。
さらに家系図をたどると、中津藩家老家との婚姻関係も確認できます。
当時の身分制度を考えれば、このような縁組は穴田家が地域社会の中で高い信頼と家格を有していたことを示しているように思われます。
ご先祖様から受け継いだもの
家系図をたどると、私たちの先祖は決して特別な英雄ばかりではありません。
戦乱の時代を生き抜いた武士、地域を支えた医師、家を守るために知恵を絞った人々、そして家族や地域のために尽くした多くの無名の先人たちの姿が見えてきます。
そこに共通しているのは、「誇り」「知恵」「絆」「信頼」の四つではないでしょうか。
先祖たちが残してくれた家系図や古文書は、単なる古い記録ではありません。
それは、時代を超えて私たちに語りかけるメッセージであり、「どのように生きるべきか」を教えてくれる人生の教科書でもあります。
これからも家族の歴史を大切にしながら、子や孫の世代へ語り継いでいきたいと思います。
※本稿は家系図、古文書、墓碑、過去帳および親族からの聞き取りをもとに整理したものであり、一部には伝承や考察を含みます。


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