神崎聡(こうざきさとし)夢からはじまる
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父(次彦)の格言は、遺言だったのか?!

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60歳となった妻も、お陰様で校長として最後の卒業式を終えることができた。3学校目の校長とは言え、校長式辞や卒業証書授与は万感胸に迫るものがあるんだと思う。50歳で福岡教育大学の大学院生となり、学校に復帰後、管理職の道へと進むことになる。それから怒涛のような一年一年だったように思う。結婚する時に、父から「育子さんの仕事を絶対に辞めさせる事はならんぞ!」と言われ、きっとあの世で「よし、よし」とうなずき、父母、義父ともあの世で喜んでいるんだと思う。本当にご苦労様でした。立派に教員人生を全うしてきたと思う。

66歳で突然事故でなくなった父には、いろいろと格言めいたことを言われてきた。今考えると、その後暗示するような出来事が次から次へと起こっており、まるで遺言のようにも思えてくる。

「財を残すよりも 人を残せ」 → 大学時代に言われたが、結婚して4人の子どもの親となり、お金は子育て・教育に使い切ろうと考えた
「大きな組織の小さな歯車よりも 小さな組織の大きな歯車になれ」 → 分社化で子会社になり、腐りかけていた自分を奮い立たせる
「お前の力を見せつけてやれ、実績こそが力」 → 一人部署となり新規事業で部門別損益で評価されることになっていく
「育子さんの仕事を絶対に辞めさる事はならんぞ」 → 選挙に出ることになり、周りから奥さんを辞めさせるように何度も言われる
「昔の家は大黒柱で家を支えていたが、今の家は、それぞれの柱が家を支えている。家族も同じぞ」 → 所帯は共働きが当たり前になり、二人で家計を支えるようになる
「人は家を作り、家はまた人を創る」 → 環境が人を育てるように、実際に5回家の建築に立ち会うことになる
「聡、お前に親父(日義おじいさん)の気持ちがわかるか、(おじいさんがつくった)このタンスを捨てることはならんぞ」 → 欅のタンスは倉庫に保存

また父の格言を思い出したら、ここに付け加えていこう。


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