神崎聡(こうざきさとし)夢からはじまる
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ブラジル日本移民110周年記念式典訪問

平成30年7月17日〜24日(4泊8日)の日程で、ブラジル日本移民110周年記念式典訪問団として式典及び日本人祭り、またスザンノ市福博村福岡県人会50周年記念式典に出席してきました。日本人移住110周年を迎えるに当たり、この節目の年を記念して、眞子内親王殿下が祝賀行事に御出席されたことは、日系社会の皆様には本当に感無量の事だと心からお慶び申し上げます。

県議となり、今回で3回目のブラジル訪問となりました。1908年6月18日に笠戸丸でサントス港に降りた日本人のブラジル移住から110年。日系人の皆さんが日本から遠く離れたブラジルで大変なご苦労をされた上で、今日のブラジルにおける日本に対する高い評価を勝ち得ていることに、深い尊敬の念とと共に、その先人たちの精神を受け継ぎ、二世、三世・・・として幅広い分野で活躍されておられるのを目の当たりにして改めて敬意を表したいと思います。

サンパウロでは、イビラプエラ公園内にある開拓先没者慰霊碑で黙祷をし、移住した方々への歴史と功績に対して深い敬意を表しました。世界初としてサンパウロに開館され1周年を迎えたジャパン・ハウスを視察しましたが、来館者数の多さに驚き、日系人の皆さんがブラジルで培ってこられた日本への信頼の表れだと感じました。

サントス港では笠戸丸の乗員781名の石碑を磨きました。ブラジル日本移民史料館では、1895年の日伯国交樹立から、移民の受け入れ、その後の発展の歴史を学びました。ブラジルでの奴隷解放後、働き手不足の解消策と して、当時日本が明治維新後人口増加に労働市場が追いつかず過剰となった労働人口の吸収先として国策としての移民政策があった事、そしてコーヒー農園への入植者達は奴隷の代わりとしての労働力と期待され、厳 しい生活を強いられた事、またそうした中から、日本人としての誇りを失わないために日本語教育や日本的な生活習慣の存続を図ってきた事、その後近郊野菜や胡椒それまで輸入に頼ってきたコーヒーを入れる麻袋に使う麻 の栽培など、工夫と並々ならぬ努力により今日のブラジル移民の姿があることを知りました。

サンパウロから車で約2時間かかり、カンピーナス市郊外の歴史ある農場「東山農場」(日経経営農園)の視察。会長の岩崎透氏は岩崎弥太郎の曽孫さんとのこと。歴代総理をはじめ各界の著名人が来場された署名が残っております。広大なコーヒー畑を見せて頂き、コーヒーの実もその場で初めて食べました。 樹齢数百年の木々に囲まれての昼食は、これがブラジル農園かと感動した食事でした。

「ブラジル移民110周年記念式典」は、目頭が熱くなり、本当に素晴らしい式典でありました。同時開催の 「日本祭り」の福岡県国際交流センターのブースには田川地区では添田町、福智町をはじめ22町村の特産品の展示があり、多くの皆さんでごった返していました。

スザノ市の福岡県人会スザノ支部創立50周年記念式典と福博村福岡県人会スザノ支部合同の歓迎会の参加では、この地に入植された日本人の方々の苦労話や、二世、三世の皆さんがしっかりと守り、発展させている姿に感動いたしました。スザノ市長ご夫妻も出席され、日系の人達のこの地でのしっかりとした存在感を感じ取りました。

ps:ヒューストンでのトランジット時間を利用したNASA見学も非常に勉強になりました。小学生の頃のアポロ11号月着陸のニュースは今でもはっきり覚えています。


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