神崎聡(こうざきさとし)夢からはじまる
last update 2024/04/18 11:51
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自在に生きる・・・

県議になり10年目に入り、政治家への道を志して既に15年半が経ちました。企業時代(サラリーマン)と大きく違っているのは、定時出勤・退社という時間の制約がないことですね。だから時間やスケジュールも自分で管理するから自由な生活かと思いきや、時間にもお金にも終始、”不自由”しているのが現実であります。しかも病気になる自由さえもないですから、実際には不自由な生活を送っているのかもしれません。従いまして、政治家っていうのは何とも不自由な職業なのではないのかと痛感しているところです。でも、この10年間、不自由さを知ったことで、自由の有難さ、当たり前の難しさがわかったようにも思います。同時に、お金や時間の大切さ、家族の有難さも十分過ぎるほどわかってきました。

じゃぁ、”自由に生きる人生”とは何ぞや、とふと考えると、誰にも邪魔されず、何の制約も受けずに生きることが、自由に生きる人生と言えるのでしょうか?
「これさえなけりゃ、もっと自由に出来るのになぁ〜」とか、「あの人さえいなけりゃ、万事うまくいくのになぁ〜」とか思うことがありますが、それで本当に ”自由に生きる人生”が可能になるのかと言えば、決してそういうことにはならないんじゃないかと思ったりします。
邪魔なもの、制約を受けるものがあり、それを排除しようとすれば、必ずしっぺ返しが来ますし、様々な壁がある社会では、土台無理なことで、そんなことをしていたら、それこそ不自由な人生を送ることになってしまうんじゃないかと思います。

昔、何かの本に書いてありましたが、
「凧が空高く飛べるのは、誰かが糸を引っ張っているから。でも凧は、その糸さえなければ、もっと自由に空を飛べると思っている。その糸がなければ、地上に落ちてしまうのも知らずに」
凧が空高く舞い上がることが出来るのは、糸があるがゆえであります。人も同様に、邪魔なもの、制約を受けるものがあるからこそ、人は逞しく生きることが出来るのだと思います。魚がすいすい泳げるのは水の抵抗力があるからであり、飛行機が離陸できるのも空気抵抗があるからこそ飛び立つことができるんです。
つまり、真の自由な生き方とは、自由を妨げるものを妨げだと感じなくなった時であり、ありのままを受け入れる人生、そう「自由に生きる」というよりも「自在に生きる」、そんな人生を送ればいいんじゃないのかなぁ・・・と、そうなことふと考える今日この頃です。「素晴らしい人生ではないのかもしれないが、素晴らしい生き方はできる」


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