明治大学校友会田川支部に参加
28日18時30分よりラ・ファミィユ・フクジュで行なわれた明治大学校友会の懇親会に参加してきた。県議選前(3年前)より声をかけて頂き、挨拶をさせてもらっている。僕の伯父(神崎義生氏)や従兄2人が明治大学という事もあって・・・何より僕の選挙対策事務局長をして頂いた中村國雄さんが、明治大学出身で、伯父と浦田県議(田川市)のお兄さんと一緒の下宿だった縁もあり・・・そして同級生では、㈱ツシマ津島社長、ベストケアーカンパニー宇都宮社長も明大出身で一緒だった。ほとんどが田川高校の先輩だったように思った。 いろんな関係があるんだなぁ~。思い起こせば30年前、田川高校時代の成績は、大体200番前後(315人中)だった。(サッカーばかりやっていて、勉強は世界史だけしかしなかった。・・・あれぇ?いいわけか?) それでも、従兄たちが明治大学だったので、何となく自分も明治大学に行きたいと思っていた。 大学受験は、明治大学商学部商業学科・明治大学経営学部・中央大学商学部会計学科・法政大学経済学部・日本大学商学部会計学科そして国公立は北九州大学商学部を受験した。たしか、共通一次は680点だった。見事に1勝5敗。したがって、必然的に日本大学に進学という事になる。今考えるとよく受験できたなぁと思う。世界史は本当に面白く夢中になっていたが、他の教科はまったく勉強していなかった。 ちなみに高校受験は、福大付属大濠高校、常盤高校特進クラスに合格。結局田川高校に進学したが、中学生時の成績は、40番前後(180人中)だったと思う。この順位は、中の上と呼ばれていた。当時、田川高校進学は添田中学校から38人~45人ぐらいだった。塾には行っていたが、なかなか成績は上がらず、3年生からは家庭教師もつけてもらった。それでもギリギリで、親父から「もし、田川高校に落ちでもしたら、丁稚(でっち)奉公たい!」とえらくプレッシャをかけられた。きっと本気で大工の親方の家に丁稚奉公させられたと思う。結局、中学3年の冬休みから、尻に火がついたように、毎日、朝5時まで勉強をした。やっぱり本人にやる気がないとまったく伸びないことを身をもって経験した。 んっ何の話やったけ?・・・そう明治大学受験は失敗し冷たい風が吹いたけど、今日の明大OB会には温かい風で迎えてもらった。 |
その他平成21年活動報告はこちらから>>
2009/01/28 21:51
Copyright © Since 2005 Kouzakisatoshi.com. All Rights Reserved.
|